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幻の物集女城 悲しい洛西竹の径 [町道!街道!眠り未だ足らず]

阪急・洛西口(らくさいぐち)駅から西へ歩けば
交差している道に
「物集女(もずめ)街道」と書いてあります。
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なにやら妖しい。
魅せられて街道を南にとれば
「物集女城跡」の案内?!
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城があったのですね。
それじゃ!引き返して北に進んで城を探します。

が!
行けども行けども城に出会いません。
標識もなにもありません。
見落としているのかも。
ゆるゆると歩いていた刀自(とじ)に問うと
「長年住んでいるけど聞いたこともない」とか。

それでも
「なんか古い跡がある」と教えてもらい
行ったところに広場がありました。
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樫原(かたぎはら)廃寺跡と書いてありました。
城でもないようでした。



Uターンして物集女街道を南下。

「ちぇっ」
夏の太陽が暑いじゃないか!
紛らわしい案内標を置くなよ!
最後まで責任を取れよ!

やがて!
1 本杉(たぶん!杉だったと思います)のある
土盛りに出ました。
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物集女車塚古墳だとか。

結局!この街道でこの古墳だけ!目についたのは。
観察力不足といわれれば否定はしませんが
「妖しい」こともなんにもありません。
行きかうくるまがうるさいだけでしたね。



もういい!
自分にハラを立てながら西へ
緑のかたまりのある方に向かいます。

竹林の中の道に出ました。
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「竹の径(みち)」だとか。

いろんな「垣」が展示(!)されていました。

寺戸垣!古墳垣!深田垣!物集女垣!
竹穂垣!かぐや垣!来迎寺垣!なんて。

あ!?
いくつか撮りましたが
どれがどれでしたやら!忘れました。
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しかし!
この垣!歴史があるというより
ここの施設者がここで作った
オリジナルの命名じゃないの?!



京都市洛西竹林公園に出ました。
向日市(むこうし)を歩いていたはずでしたが
この竹林の緑地は
京都市との境界にあるのですね。

寒山竹がありました。
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これですか!
筍(たけのこ)がおいしいというのは。

大久保恒次がどこかに
「デミョ コサン カラ モソ」と
おいしい筍の順位を書いていたような。

「デミョ」は大名竹のこと!
大名竹は別称・寒山竹らしい。
案外!細い竹なんですね。



無料だから竹の資料館に入り
奥に抜ければ竹の生態園。

応仁の乱(1467 ~ 1477)の遺構を移築したという
百々橋(どどばし)を渡ります。

さらにすごいものが!?
この石の集まり!
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欠けたり割れたりしている石仏!石像群。
出土品を集めて祀っています。

織田信長が
(旧)二条城造営(1569 年ごろ)したときの
石垣に使われていたもの。
石垣に石仏なんかを使うとは
神仏を恐れぬ暴挙?!

そうでしょうか。

100%ではなくても
私はある程度!正しいような気がします。
石仏を石垣に利用しても
石材の!資源の!再利用じゃないでしょうか。

どの宗教でも末端の信者は
敬虔(けいけん)で素直なものですが
それらを支配しているいわゆる上の人の多くが
道をはずして
甘い汁におぼれて
口をぬぐって
欺瞞(ぎまん)に
満ち満ちているとは思いませんか。

それはいつの世も同じ。
現代はそれ以上?!

それなら
石仏でも石垣にして
大衆の目を覚まさせてあげたら、、、。
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ま!ここだけのはなしです!すみません。



阪急・洛西口駅まで帰ってきました。

ここのベンチは「建仁寺垣」!
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これは歴史があるのかも。
臨済宗の建仁寺発祥の垣でしょうか。



(敬称略)
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