牧水は似合わなかった京街道 [町道!街道!眠り未だ足らず]
いつも気にはなっていたんですが
JR・京阪の京橋駅の前に古い道標があります。
「右 大坂」「左 京みち」
なんだか向きが変ですがケチをつけるのはよしましょう。
向こう側に「右 大和」ともあります。
ここから(後に起点は高麗橋になったらしいけど)
京まで京街道がつづいていたのですね。
今日は急ぐ用事もないので
少したどってみますか。
新京橋商店街のアーケードにもぐって出発です。
商店街の中に大阪市の建てた京街道の説明の碑。
いろんなものに埋没していますが怒る人もいないらしい。
石標をたどります。
心配になったころに次の案内があらわれます。
地下鉄・野江内代駅あたりで紛れます。
ああ!
前回!この駅から京街道に入ろうとして
少し手間取りましたね。
今回も、、、どちらに行くのか忘れました!
記憶力も学習能力もゼロらしい。
あのとき途方に暮れて
コンビニで牛乳を買ってきて座って飲んでいたら
目の前に案内があったのを思い出しました。
なんだか急に記憶がよみがえって速足。
関目の七曲がりに入ります。
もし敵が進軍してきたら苦労するようにと
豊臣秀吉がくねくねさせたらしい。
どれほど効果が期待できるものやら。
七曲がり!終わり。
地下鉄・関目高殿駅を過ぎます。
古市橋。
汚くよどんだ川に架かっています。
由緒あるものかと思ったら
昭和 12 年(1937 年)架設らしい。
そもそもこの川はそのころ掘られた運河らしい。
古市橋を越えたら
標識が「京街道」から「京かいどう」になりましたが
あいかわらずなんにも面白いものはありませんね。
ひとり歩くのは道でも人生でも寂しいものです。
が!それも慣れれば
百代の過客も邯鄲一炊(かんたんいっすい)。
いずれ苦もなく慣れますよ。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの
はてなむ國ぞ 今日も旅ゆく
でも!若山牧水の歌を思い出したりして。はは。
牧水はどんな境遇の人なのか
まったく知らないのに
なぜか歌は思い出したりしますね。
なすべきを なさざる故に この如く
さびしきものと なりしやわれは
多くの人が若いとき
1 度はくちずさみ
そして長い間覚えている牧水の歌。
さらに北へ進みます。
牧水の歌は
自分が詠んだように脳をかけめぐって
口から出るのじゃないでしょうか。
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む
このさびしさに 君は耐ふるや
有名な短歌や俳句を教えられても
私のような凡人や
忙しい若いときには
なるほどそうなのかな!と一瞬思うだけかも。
牧水の歌はどこか違うような。
観賞眼はなくても
ただ感動してしまうんでしょうなぁ!
千林商店街を横断しました。
人は忙しそうに歩いています。
時として 市街のいらかも ゆく人も
黄なる落葉と 見ゆることあり
ある!ある!
あるけど!それで嫌われて
格差感覚が強ければ友人がいないさだめ。はは。
案内が石標ではなく金属板を道に埋めています。
それもいいですけど
石標を追っていたら見逃してしまいそうです。
今市の交差点に案内碑が並んでいます。
京街道には守口宿!枚方宿!淀宿!伏見宿!と
4 宿場町があったそうですが
ひとつ目の守口宿に着くまでに飽きました。
この辺でリタイアしましょう。情けないけど。
この歩み 止めなばわれの 寂寥の
裂けて真赤き 血や流れらむ
JR・京阪の京橋駅の前に古い道標があります。
「右 大坂」「左 京みち」
なんだか向きが変ですがケチをつけるのはよしましょう。
向こう側に「右 大和」ともあります。
ここから(後に起点は高麗橋になったらしいけど)
京まで京街道がつづいていたのですね。
今日は急ぐ用事もないので
少したどってみますか。
新京橋商店街のアーケードにもぐって出発です。
商店街の中に大阪市の建てた京街道の説明の碑。
いろんなものに埋没していますが怒る人もいないらしい。
石標をたどります。
心配になったころに次の案内があらわれます。
地下鉄・野江内代駅あたりで紛れます。
ああ!
前回!この駅から京街道に入ろうとして
少し手間取りましたね。
今回も、、、どちらに行くのか忘れました!
記憶力も学習能力もゼロらしい。
あのとき途方に暮れて
コンビニで牛乳を買ってきて座って飲んでいたら
目の前に案内があったのを思い出しました。
なんだか急に記憶がよみがえって速足。
関目の七曲がりに入ります。
もし敵が進軍してきたら苦労するようにと
豊臣秀吉がくねくねさせたらしい。
どれほど効果が期待できるものやら。
七曲がり!終わり。
地下鉄・関目高殿駅を過ぎます。
古市橋。
汚くよどんだ川に架かっています。
由緒あるものかと思ったら
昭和 12 年(1937 年)架設らしい。
そもそもこの川はそのころ掘られた運河らしい。
古市橋を越えたら
標識が「京街道」から「京かいどう」になりましたが
あいかわらずなんにも面白いものはありませんね。
ひとり歩くのは道でも人生でも寂しいものです。
が!それも慣れれば
百代の過客も邯鄲一炊(かんたんいっすい)。
いずれ苦もなく慣れますよ。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの
はてなむ國ぞ 今日も旅ゆく
でも!若山牧水の歌を思い出したりして。はは。
牧水はどんな境遇の人なのか
まったく知らないのに
なぜか歌は思い出したりしますね。
なすべきを なさざる故に この如く
さびしきものと なりしやわれは
多くの人が若いとき
1 度はくちずさみ
そして長い間覚えている牧水の歌。
さらに北へ進みます。
牧水の歌は
自分が詠んだように脳をかけめぐって
口から出るのじゃないでしょうか。
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む
このさびしさに 君は耐ふるや
有名な短歌や俳句を教えられても
私のような凡人や
忙しい若いときには
なるほどそうなのかな!と一瞬思うだけかも。
牧水の歌はどこか違うような。
観賞眼はなくても
ただ感動してしまうんでしょうなぁ!
千林商店街を横断しました。
人は忙しそうに歩いています。
時として 市街のいらかも ゆく人も
黄なる落葉と 見ゆることあり
ある!ある!
あるけど!それで嫌われて
格差感覚が強ければ友人がいないさだめ。はは。
案内が石標ではなく金属板を道に埋めています。
それもいいですけど
石標を追っていたら見逃してしまいそうです。
今市の交差点に案内碑が並んでいます。
京街道には守口宿!枚方宿!淀宿!伏見宿!と
4 宿場町があったそうですが
ひとつ目の守口宿に着くまでに飽きました。
この辺でリタイアしましょう。情けないけど。
この歩み 止めなばわれの 寂寥の
裂けて真赤き 血や流れらむ
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