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明日香風 スカートの風 甘樫丘 [いわなが姫の丑の刻参り]

奈良県明日香村。
飛鳥寺の西に入鹿の首塚があります。
blog01入鹿の首塚.jpg

乙巳(いっし)の変でクーデターにあい
中臣鎌足らに暗殺された蘇我入鹿の首が
飛鳥板蓋宮からここまで飛んできたとか。

ここから宮は見える距離なんですが
でも!イチローがボールを投げても
届くような近さでもありません。

この五輪塔は南北朝時代のもの?!
古くても鎌倉時代よりは後らしい。
首が飛んできて数百年後の建立ですね。

ま!いきなり建てた訳ではなく
なんらかの代わるものか
伝承があったからでしょうね。

蘇我入鹿の首が飛んできたという
いい伝えの地は他にもあるそうな。
大変な恨みが込められていたからかも。

これは私怨です!私が感じるのは。
中臣鎌足が年齢の近いライバルを
殺したいだけだったような。

首謀者のひとりという中大兄皇子は
まだ 20 歳!?
国のビジョンの確たるものはなく
利用されていたのでは。

このあたりに飛鳥寺の前身の
蘇我氏の氏寺である法興寺があったらしい。
その庭で
打毬(だきゅう)かなにかの行事のとき
中臣鎌足と中大兄皇子は知り合ったとか。



ふと!唐突に
牛若丸と弁慶の出会いを思い出します。

弁慶が五条橋で刀の強奪をくり返し
1,000 本目に牛若丸と会うのでしたね。

五条橋の一帯は平家の本拠地です。
広大な敷地です。
大変な数の警備兵がいるはず。
そんな場所でなん日も
刀狩りができるとは思いませんが。

だれが創作したのやら。



向こうの丘が蘇我氏の御殿があった
甘樫丘(あまかしのおか)!
その麓にある蘇我氏の氏寺。

蘇我氏だらけの中から物語を始めるなんて
面白い発想じゃないですか!
五条の橋上の刀狩りのはなしの
元形と思ってしまいました。



南北に細長い甘樫丘の北の麓の
甘樫坐(あまかしにいます)神社に寄ります。
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この周辺に「豊浦寺跡」とか「難波池」とか
「全日本愛瓢会発祥之碑」とか
私には
ちょっと気になるところがあるのですが
みなさんと同道しているときには
興味ないでしょうから
通り過ぎることが多いですね。



甘樫丘にのぼります。

志貴皇子の歌碑があります。
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采女乃    うねめの (采は女偏あり)
袖吹反    そでふきかえす
明日香風   あすかかぜ
京都乎遠見  みやこをとほみ
無用爾布久  いたづらにふく

「袖」ですか。
私なら「羅裳(らしょう)」か
「くん(衣+君)」にするような。
風に吹かれるなら
袖よりスカートのほうが好きです。
好き嫌いのことではないでしょうけど。

最初の「うねめの」の読みは
これでいいのでしょうか。
4 音ではなにかつまづく感じ。

この碑は犬養孝書ですね。
訓読みも氏でしょうけど。

あら!この歌!
佐佐木信綱も斎藤茂吉も
まったくおなじ訓読みをしていますね。

あ!ただし!斎藤茂吉の解説によると
過去には「たをやめの」「たおやめの」
「たはれめの」「みやひめの」
「たわやめの」等々読むこともあったらしい。

どうしても「うねめ」といいたいのなら
「うねめらの」と
5 音にしたらどうかとのこと。

ひとりのスカートを!いや!袖を
動かしているのと
大勢の乙女の袖を揺らしているのとは
思いが違うでしょうけど。



志貴皇子は天智天皇(中大兄皇子)の子。
ここカタキの蘇我氏の屋敷跡に
歌碑なんぞを建立していいものやら。

明日香の郷がよく見えます。
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たしかに歌をしのぶにはよい場所ですが。

北に向けば大和三山。
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あちらに遷都したころの歌でしょうか。



甘樫丘の尾根を南に進みます。
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どうして蘇我入鹿ばかりを
悪者にするのでしょう。

蘇我稲目!馬子!蝦夷(えみし)!入鹿!
ホントの名前ではないような。
藤原不比等あたりが
卑しい名前に書き換えたのでは。

和気清麻呂は
弓削道鏡にたてついて
道鏡の愛人(?)の女帝・称徳天皇に
別部穢麻呂と改名させられました。

いかにも穢(きたな)い名前!

為政者は地名から動植物の名から
他人の名前まで改名できるのです。

二上山が見えます。
blog08.jpg

ああ!腰砕けになりそう。

歩いていて心を疲れさせて!どうします。
下手の考え休むに似たり。

どうせ!勝ったほうの歴史しか残りません。
どんなひきょうな手段を駆使しても
勝ったほうが正義ですから。

負け犬の私は野良に甘んじて生きましょう。



(新訓 万葉集/佐佐木信綱編/)
(斎藤茂吉著/万葉秀歌/)参照
(敬称略)
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