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恋に泣く!石上露子の夕千鳥 [町道!街道!眠り未だ足らず]

近鉄・富田林(とんだばやし)駅を出ると
なんと!古風な!
「楠氏遺跡里程標」の大きな石碑。
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楠木正成(くすのきまさしげ)の関係あるところ
たとえば千早赤阪城までなん里と裏に書いてあります。
太平記を拝んだ時代があったのですね。

すぐに日本の道百選の城之門筋に出ました。
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古い家だらけ!
300 年前の豪邸がひしめいています。

ここ寺内町(じないまち)は
興正寺(こうしょうじ)を中心に
東西 400 m 南北 350 m
周囲に土居(どい)をめぐらした自由都市だったようです。

寺内町といっても
東高野街道と千早(ちはや)街道が交差し
石川の水運があり
商業の町として発展し
多くの豪商が生まれたそうです。

道がところどころずれています。
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「あてまげの道」といって敵が侵入したとき
見通しを悪くしているとか。

今日は
石上露子(いそのかみつゆこ)の
「小板橋(こいたばし)」を探しにきたのです。
「ゆふちどり」の筆名で「明星」に発表した詩の橋。

本町公園に詩碑がありました。 

  小板橋

   ゆきずりの わが小板橋
   しらしらと ひと枝のうばら
   いずこより 流れか寄りし。
   君まつと 踏みし夕に
   いひしらず 沁みて匂ひき。
   
   今はとて 思ひ痛みて
   君が名も 夢も捨てむと
   なげきつつ 夕わたれば
   あゝうばら あともとどめず
   小板橋 ひとりゆらめく。

ちなみにこの詩の中の「君」は
なにもかも捨ててカナダに行き
かの地の土になったそうな。

すぐ近くに歌碑もあります。
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豪邸のひしめく中にさらに大きな杉山家が
露子の生家でした。
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露子の本名は杉山孝(たか)でした。
案内板に写真が。
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ふと!成海璃子(なるみりこ)を思い出しました。
似てはいませんが
やはり目元涼やかな美人です。
美人には悲恋が似合うんですよね!どういう訳か。

杉山家は公開されています。
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土間に大きなかまどがありました。
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いくつ部屋があるのでしょう。
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江戸時代にタイムスリップしました。
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ああ?!小板橋を探しにきたのでしたね!

ありませんね。
分りません。
城之門筋に半分埋もれた小橋・岩永橋がありましたが。
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違いますね。

じないまち交流館で
露子の生涯をまとめたビデオを見ていたら
分ったような気がしました。

小板橋は小川に一枚の板を渡しただけの
名前をつけるような橋でもないような。

しかも実在の橋ではなく
露子の心の中だけにあった橋!?
私はそう思わずにはいられません。


ラブレター フロムカナダの 歌知らず
     ゆふべの千鳥の ただ赤きルージュ (ほっ)
おそまつ!

(敬称略)
タグ:石上露子
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