ずいき祭 還幸祭 [平安京有情]
JR円町駅から西大路通りを北へ
北野天満宮の方へ歩いて行くと
わ!?
西から獅子が 2 頭やってきました。
1 歳児は頭をかまれても笑っていますね。
3 歳児たちは逃げて行きましたが。
戸籍上おとなの私は泣く訳にもいかず
かまれてもとりあえず立ち尽くすのみ。
獅子の方がこわがってかみませんがね。
次々と見たことのないものが現れます。
馬もきました。
杖に頼っていますが口の減らない
地元のおばあさんのいうことにゃ
役どころが 60 ほどあるそうですので
大勢の動員です。
この通り(上ノ下立売通り)の西に
北野天満宮の御旅所があるんですね。
神幸祭(2015/10/01)があり
御霊が御旅所に到着!
そこで 3 日間神事をしていたようです。
そして今日(2015/10/04)還幸祭。
神さまが本社へお帰りになるのかな。
西大路通りを横切って行きます。
北野天満宮の
ずいき(瑞饋)祭(2015/10/01 ~ 05)です。
ということは
ずいき(里芋の茎)の神輿(みこし)が
巡行しているはず。
もう通り過ぎたのかな。
南の丸太町通りに引き返して
東に進んでいたら!
先ほどの行列より威勢のいい一団。
ずいき神輿じゃないですか。
天神通りとの交差点。
はすかいに横断して
私のいる方に向かってきました。
屋根はたしかに「ずいき」です。
その他はよく分かりませんが
野菜と乾物品で飾られているそうな。
神輿は北の方へ行ってしまいました。
つづいてやってきました。
先ほど私の前を横切った行列でしょうか。
この行列は
ずいき神輿のように私に向かってこないで
まっすぐ通り過ぎて行きますが。
あ!牛車!
「ぎっしゃ」ですよね。
「うしぐるま」とか
「ぎゅうしゃ」とか読んだら
別のくるまになると習いませんでしたか。
「ぎっしゃ」は高貴な人が乗るくるま。
「ぎゅうしゃ」は
大根や肥えたご(肥桶)を積むくるま。
、、、だったような。
もっとしっかりと
おベンキョーしておけばよかったですね。
もう!遅いですがね!人生遅いことばかりですね。
ともかく!牛車について歩きます。
なごんちゃん(清少納言)も
こんなのに乗ったのでしょうか。
蜻蛉(かげろう)日記の作者も乗った?!
和泉式部や紫式部はどうしていたのでした!?
なぜか牛車に感激(!)してしまいました。
小さな子たちも歩いています。
慣れない扮装で大変でしょう。
女の子たちには傘がついていました。
男の子たちには
きれいな(和服が!きれいな!)ママ(たぶん!)たちが
手をつないでいました。
先が思いやられますなぁ!一生マザコンになるよ。
三条駐輦所(ちゅうれんじょと読むのかな)で行列が休憩。
お疲れさまです。
お供えがありました。
「はるさめ」なんかの乾物品もありますね。
私はもう十分!ここでお別れ。
まだ北野天満宮は遠いけど頑張ってね。
御池通りに出たら
西から東へかなりの速度で
ずいき神輿がやってきました。
この神輿だけ別の巡行コースがあるのですね。
ずいき神輿は室町時代からあるそうです。
そうとう古いです。
でも!なごんちゃんや蜻蛉は
それより前の人でしたね。
北野天満宮の方へ歩いて行くと
わ!?
西から獅子が 2 頭やってきました。
1 歳児は頭をかまれても笑っていますね。
3 歳児たちは逃げて行きましたが。
戸籍上おとなの私は泣く訳にもいかず
かまれてもとりあえず立ち尽くすのみ。
獅子の方がこわがってかみませんがね。
次々と見たことのないものが現れます。
馬もきました。
杖に頼っていますが口の減らない
地元のおばあさんのいうことにゃ
役どころが 60 ほどあるそうですので
大勢の動員です。
この通り(上ノ下立売通り)の西に
北野天満宮の御旅所があるんですね。
神幸祭(2015/10/01)があり
御霊が御旅所に到着!
そこで 3 日間神事をしていたようです。
そして今日(2015/10/04)還幸祭。
神さまが本社へお帰りになるのかな。
西大路通りを横切って行きます。
北野天満宮の
ずいき(瑞饋)祭(2015/10/01 ~ 05)です。
ということは
ずいき(里芋の茎)の神輿(みこし)が
巡行しているはず。
もう通り過ぎたのかな。
南の丸太町通りに引き返して
東に進んでいたら!
先ほどの行列より威勢のいい一団。
ずいき神輿じゃないですか。
天神通りとの交差点。
はすかいに横断して
私のいる方に向かってきました。
屋根はたしかに「ずいき」です。
その他はよく分かりませんが
野菜と乾物品で飾られているそうな。
神輿は北の方へ行ってしまいました。
つづいてやってきました。
先ほど私の前を横切った行列でしょうか。
この行列は
ずいき神輿のように私に向かってこないで
まっすぐ通り過ぎて行きますが。
あ!牛車!
「ぎっしゃ」ですよね。
「うしぐるま」とか
「ぎゅうしゃ」とか読んだら
別のくるまになると習いませんでしたか。
「ぎっしゃ」は高貴な人が乗るくるま。
「ぎゅうしゃ」は
大根や肥えたご(肥桶)を積むくるま。
、、、だったような。
もっとしっかりと
おベンキョーしておけばよかったですね。
もう!遅いですがね!人生遅いことばかりですね。
ともかく!牛車について歩きます。
なごんちゃん(清少納言)も
こんなのに乗ったのでしょうか。
蜻蛉(かげろう)日記の作者も乗った?!
和泉式部や紫式部はどうしていたのでした!?
なぜか牛車に感激(!)してしまいました。
小さな子たちも歩いています。
慣れない扮装で大変でしょう。
女の子たちには傘がついていました。
男の子たちには
きれいな(和服が!きれいな!)ママ(たぶん!)たちが
手をつないでいました。
先が思いやられますなぁ!一生マザコンになるよ。
三条駐輦所(ちゅうれんじょと読むのかな)で行列が休憩。
お疲れさまです。
お供えがありました。
「はるさめ」なんかの乾物品もありますね。
私はもう十分!ここでお別れ。
まだ北野天満宮は遠いけど頑張ってね。
御池通りに出たら
西から東へかなりの速度で
ずいき神輿がやってきました。
この神輿だけ別の巡行コースがあるのですね。
ずいき神輿は室町時代からあるそうです。
そうとう古いです。
でも!なごんちゃんや蜻蛉は
それより前の人でしたね。
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