知恩院 御影堂 大修理 女史好み? [工場見学]
せいしまる(勢至丸)さま!こんにちは。
法然の幼名は「勢至丸」なんですね。
ここなん日かに 2、3 度
ふしぎに場所を替えても
法然のはなしが酒の肴になっていましたが
そのとき脇で聞いていた私が知ったかぶりして
法然の幼名を「俊徳丸」といっていたような。
すみません!間違いです!忘れてください。
いい訳すれば
「能」の「弱法師(よろぼし)」と
「落語」の「菜刀息子(ながたんむすこ)」が
同根と聞いたのですが!とてもそう思えず
「弱法師(よろぼし)」の「シテ」の
「俊徳丸」ばかり頭にあったものですから。
それはどっちでもいいことですが
法然の浄土宗・知恩院にきました。
御影堂に大屋根がかかっています。
「宝御影堂平成大修理」ですか。
もしかして最初の「国」が落ちているのでは。
「国宝の御影堂」ですから。
修理工事を見学します。
あ!もう瓦が並べられていますね。
2012 年 1 月から修理を始めたとか。
日本有数の木造建築物ですから
御影堂をすっぽり覆う素屋根工事だけで
10 か月かかったそうな。
それから瓦を降ろし
小屋組みを解体し
軒を持ち上げたとか。
屋根の重量で
長年の間に軒が下がっているのですね。
それから解体と逆の順序で組み立てていき
屋根瓦を葺く作業は
昨年(2016)の 8 月から始めたようですが。
総瓦数 85,000 枚。
一部残ってはいますが
ほぼ屋根中に並べられていますね。
瓦を降ろすのに半年
並べるのにも半年ですか。
古い瓦に
大昔に寄進した人の名前が残っています。
寛永(1633 or 1639)年間!寛文 11 年(1671)!
元禄 14 年(1701)!宝暦 10 年(1760)!
明治 41 年(1908)!の
5 種類の瓦が葺かれていたそうな。
意外にも創建当時の寛永の瓦の質がよく
全体の 80%を占めていたとか。
まだ使えるものは再使用します。
補充瓦は三州瓦。
成型時のプレスの仕方が大昔と違うので
おなじ形にすると重量が増えるのだそうな。
それで新しい瓦は
重さを減らすために
中を落ち込ませているのですね。
寄進した人のメッセージを書くのに
そのへこんだところがちょうどいいと
歓迎している人もいるとか。
プレス機械が優秀(!)なので
1 枚ずつ銘が打てていいですね。
そんなこんなで
いっぱいレクチャーを受けましたが
ほとんど覚えていません!はは。
「なんであんたらだけで抜け駆けするのよ!」
ん?!
2、3 のアラフォー(around 40)のおばさん!
いや!
おね~さん方が口をとがらせていますが。
見たいですか!大屋根なんて。
意外ですね。
色気もなんにもない殺風景なところですよ。
そういえば
飛び切り若くはないけど
それでも!
まだ!こどもは産めそうなくらいの年齢の
おね~さん方が大勢いましたね。
興味を持つことはいいことです。
大修理は
8 年間ものスケジュールで動いていました。
まだ完了までだいぶ時間があります。
行事がないときなら
月の最初の日曜日に
見学会が催行されています。
まだ機会がたくさん残っていますので
どうぞお立会いくださいね。
無料ですから勝手にどうぞ。
浄土宗じゃない人でも大丈夫です。
入山するときに
「せいしまるさま!こんにちは」といってください。
法然の幼名は「勢至丸」なんですね。
ここなん日かに 2、3 度
ふしぎに場所を替えても
法然のはなしが酒の肴になっていましたが
そのとき脇で聞いていた私が知ったかぶりして
法然の幼名を「俊徳丸」といっていたような。
すみません!間違いです!忘れてください。
いい訳すれば
「能」の「弱法師(よろぼし)」と
「落語」の「菜刀息子(ながたんむすこ)」が
同根と聞いたのですが!とてもそう思えず
「弱法師(よろぼし)」の「シテ」の
「俊徳丸」ばかり頭にあったものですから。
それはどっちでもいいことですが
法然の浄土宗・知恩院にきました。
御影堂に大屋根がかかっています。
「宝御影堂平成大修理」ですか。
もしかして最初の「国」が落ちているのでは。
「国宝の御影堂」ですから。
修理工事を見学します。
あ!もう瓦が並べられていますね。
2012 年 1 月から修理を始めたとか。
日本有数の木造建築物ですから
御影堂をすっぽり覆う素屋根工事だけで
10 か月かかったそうな。
それから瓦を降ろし
小屋組みを解体し
軒を持ち上げたとか。
屋根の重量で
長年の間に軒が下がっているのですね。
それから解体と逆の順序で組み立てていき
屋根瓦を葺く作業は
昨年(2016)の 8 月から始めたようですが。
総瓦数 85,000 枚。
一部残ってはいますが
ほぼ屋根中に並べられていますね。
瓦を降ろすのに半年
並べるのにも半年ですか。
古い瓦に
大昔に寄進した人の名前が残っています。
寛永(1633 or 1639)年間!寛文 11 年(1671)!
元禄 14 年(1701)!宝暦 10 年(1760)!
明治 41 年(1908)!の
5 種類の瓦が葺かれていたそうな。
意外にも創建当時の寛永の瓦の質がよく
全体の 80%を占めていたとか。
まだ使えるものは再使用します。
補充瓦は三州瓦。
成型時のプレスの仕方が大昔と違うので
おなじ形にすると重量が増えるのだそうな。
それで新しい瓦は
重さを減らすために
中を落ち込ませているのですね。
寄進した人のメッセージを書くのに
そのへこんだところがちょうどいいと
歓迎している人もいるとか。
プレス機械が優秀(!)なので
1 枚ずつ銘が打てていいですね。
そんなこんなで
いっぱいレクチャーを受けましたが
ほとんど覚えていません!はは。
「なんであんたらだけで抜け駆けするのよ!」
ん?!
2、3 のアラフォー(around 40)のおばさん!
いや!
おね~さん方が口をとがらせていますが。
見たいですか!大屋根なんて。
意外ですね。
色気もなんにもない殺風景なところですよ。
そういえば
飛び切り若くはないけど
それでも!
まだ!こどもは産めそうなくらいの年齢の
おね~さん方が大勢いましたね。
興味を持つことはいいことです。
大修理は
8 年間ものスケジュールで動いていました。
まだ完了までだいぶ時間があります。
行事がないときなら
月の最初の日曜日に
見学会が催行されています。
まだ機会がたくさん残っていますので
どうぞお立会いくださいね。
無料ですから勝手にどうぞ。
浄土宗じゃない人でも大丈夫です。
入山するときに
「せいしまるさま!こんにちは」といってください。
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