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河原ぱっち(1) 先斗町 [スペインのハエ (R-18)]

「なんですかぁ!?」と
居並ぶ若い人がみんな「??!」
あることで私が
「河原ぱっちですね!」と発言した後のこと。

ちなみに
後日!試しにおばさんやおじさんに聞いても
「?」ばかり。

「ぱっち」は大阪の言葉でしょ?!
大阪の土着人が知らないとは。
股引かズボン下かステテコに似た下着のこと。

もっとも「ぱっち」は韓国語らしい。
大昔!かの国の釜山で
「ぱっちは」
「愚かな日本に」
「賢い韓国が教えてやった」と
有名らしい女子大に娘が合格したのが自慢の
おばさんがついでに自慢していましたが。

ぱっちは知っているけど
「河原ぱっち」は知らない?!
そうですか!
昔なら私の周囲は
エログロ史研究家?ばかりだったせいか
なぜか!みんな知っていましたけどね。

  河原ぱっちで初めて抱かれるのどす。
  河原ぱっちいうのは
  ぱっちを河原で洗って干すとしますやろ。
  ぱっちをひろげると
  足をひろげたカッコになります。
  そのカッコで
  動(いご)いたらいかんといわれましたえ。

京都は花街・先斗町(ぽんとちょう)の
豆弥姐さんの水揚げのときの述懐。
その時点!豆弥姐さんは舞妓です。
(極道まんだら/永六輔著)

舞妓と芸妓は
髪型!かんざし!着物!
帯!帯留め!帯揚げ!履物!
みんな違います。

さらに 30 歳過ぎ芸妓の装いは
また違うそうですが。

よく分かりませんが確実にいえるのは
だらりの帯とおこぼ(厚底下駄)は
舞妓さんどす。

豆弥姐さんのころには
男はんと接したときから
芸妓になったようです。
ことばを変えると
舞妓を卒業するには男はんが必要らしい。

13 歳で芸妓になるのが普通らしい?!
したがって当時の舞妓はこどもだけ!?
今の小学生くらいの年令?!

現在の舞妓はもっと上ですけどね。
昨年(2009/08/11)親しく?会話した
舞妓さんは 18 歳と 20 歳でしたけど。

先斗町に行ってみます。

路地の奥まったところの
小料理屋の「鳩」が
豆弥姐さんの店だといいます。

それらしき路地。

blog1.jpg
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blog3.jpg
blog4.jpg

ありませんね。

もっとも!そのはなしは
アポロ 11 号が月に行ったころ
今から 40 年も前のこと。

もう!ないのは当然かも。

先斗町に 31 の路地があり
三条の方から数えて
25 番目の路地だそうですが
今!そんなにたくさん路地がありますか?!

景観保存地区じゃないんですから
先斗町も変わって当然ですね。
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