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夫婦橋のほとりで しめさば定食 [いわなが姫の丑の刻参り]

お!いいじゃないですか。
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今日はここでランチにしましょうか。
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天神橋筋商店街三丁目の
「串焼き居酒屋 結び。」ですか。

「日替わり定食(税込み 650 円)!
「なくなりました!

元気のいいおね~さんが
こちらがなにも聞かないのに!いいます。

格安な定食目当てと
思われてもおかしくない
寂しい風体をしていますからね。

正午を 20 分ばかり過ぎただけなのに
他のいくつかの定食も終わっています。
にぎわっている店舗ですね。

いえ!いえ!
それできたのじゃないのです。
「とろしめさば炙り定食」が珍しい。
食べてみたくなったのです。

思ったより大きなサバ(鯖)でした。
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税込み 850 円。
満足しました。

しかし!「しめさば」とは!?
大阪では普段は
「きずし」といっていますが。

最近!大阪のことばも
妙な変化が目立ちませんか。

「関東煮(かんとだき)」はすでに死語だし
「のっけ丼」なんて
関東のことばがしのび寄っています。



天神橋筋商店街のアーケードを北に進めば
三丁目と四番街の境の頭上に阪神高速道!
下に夫婦橋(めおとばし)があります。
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橋は天満堀川に架かっていたそうな。
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堀を造る前には夫婦池があったとか。
大昔!このあたりの町名は
夫婦町(みょうとまち)だったらしい。

池も堀も川も
まったく消えて久しいようです。

橋のたもとのなかよしさん。
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夫婦かどうか知りませんが。



大阪市北区役所の隣接の北区民センターで
「大梅田タイムトリップ展」
(2023/01/09 ~ 29)をしていました。
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昔の写真を展示しています。

建てもの!路地!町並み!神社仏閣!
それにひとびと。

芸者さんも。
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芸者さんは大阪に
千の単位でいた時代もあったのでしょう。

ん!?
関西だから芸妓さんかな。
関西では芸者とは
男のたいこ持ちのことでしたかも。
お座敷に出たことも!
遊んだこともないので知りませんが。

消えた祭事も多いのでしょうね。
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あら!?
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元鶴乃茶屋と石畳だそうな。
先日!(拙ブログ 2023/01/24
能勢街道で石碑を見ましたが。

でも!どれが鶴乃茶屋なの?!
女児たちが遊ぶ
庶民の集合住宅があるばかり。

もしかして!
この写真のときにすでになく
正面に写っている大きな石と
石畳だけだったのかも。
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宇治の太閤堤 抹茶のランチ [いわなが姫の丑の刻参り]

宇治橋から宇治川の下流を見れば
JR奈良線が走っています。
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鉄橋が右岸で
奇妙な建てものの中に入っています。
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あの建てものは京阪の宇治駅ですね。
線路は交差していませんが
京阪の乗客は
JR線をくぐっているのでしたか。

いつも気にしないで利用していましたが
反対側から見ても面白い意匠の駅舎です。
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茶の木をたくさん植えましたね。
ここ!宇治川沿いは太閤堤跡の一部。
公園化の整備が終わったのでしょうか。

公園の中に石の集積が。
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昆虫や小動物の隠れ家や
冬眠場所を提供しているのかと
一瞬!思いましたが
そんなやさしい考えではないですね。

これが太閤堤の「石出し」ですか。



ふと!無学なものは
宇治川はやがて淀川になりますが
その下流のほうで
明治の初めに施工されていた
ケレップ水制を思い浮かべましたが。

岸から本流に向けて
指を 1 本突き出すように
粗朶(そだ)と石でしがらみというか
堤といえばいいのか
水流をじゃまする工事です。

ついでにいえば!
ケレップ水制とケレップ水制の間が
やがてワンドと呼ばれる水たまりになり
結果!
詩歌に名高い巨椋池(おぐらいけ)が
消滅して!滅びたはずの固有の生物が
ワンドで生き残っていたのでしょうけど。

この「石出し」は
ワンドが形成されるほどの
長さを持っている訳でもないような。

ん!?ケレップ水制は
本流の水量を確保のためでしたかも。
この「石出し」は岸を
守るためのものでしょうか。

よけいなこと!忘れてください。



これも「石出し」でしょうか。
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杭があるので「杭止め護岸」かな。
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ここは石積み護岸に杭がいっぱい。
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「土木」が好きなひとは面白いかも。
そうでない阿呆は「へ~」といって
通り過ぎるだけですね。

大きな建てものが完成しています。
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「お茶と宇治のまち交流館」
「茶づな」とあります。

宇治茶のミュージアムでしょうか。
講座やイベントも催行されているようです。

レストランもあります。
「太閤堤カレー」だそうな。
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また!「へ~」といって通り過ぎましたが。



「茶づな」に隣接して
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の
墓があります。
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宇治の地名は菟道と表記するのが古くて
正統性があるようですが。

応神天皇の子。
応神帝はこのひとに
帝位を継がせたかったようですが。

日本書紀では自殺して
異母兄弟の仁徳天皇に譲ったという
美談になっています。

早いはなし!
仁徳帝が殺してしまったのでしょう。

勝ったほうの歴史しか残りません。
勝ったほうが正義です。

菟道稚郎子の墓は
世界文化遺産の宇治上神社の後ろの山に
想定されていますが
明治政府はここに土盛りをして
古墳(!)を造ってしまいました。

菟道稚郎子が即位したという
うわさ(?)もあるからなんでしょう。

なんでもしますな!その時代の正義は。



菟道稚郎子の墓の前で
「肉のはりよし」の
抹茶コロッケをいただきます。
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税込み 190 円。
100 円くらいのときから
買っていたような。
ずいぶん!ときが流れましたね。
ちっとも!成長しませんが。

宇治のお茶も飲みます。
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税込み 160 円。
碾茶(てんちゃ)入りとなっています。
碾茶は抹茶にひく前の茶葉。

碾茶を作った後の「ひげ」を
ペットボトルのお茶に使っている
大手メーカーがあると
茶畑で聞いたことがありますが。

碾茶より廃棄物のほうがいいお茶になれば
それはそれでいいことですがね。

これではまだ!ランチとなりませんね。
持って帰るつもりだった
「モグモグベーカリー」で買った
パンに手をつけますか。
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抹茶サンライズ(税抜き 220 円)と
茶壷(税抜き 270 円)です。
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額田王のなやましいわが背子 [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・JR桜井駅から
山の辺の道をたどり大和川に出ると
向こう岸に
「佛教伝来之地」の碑が見えます。
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山の辺の道と別れて
つかず!離れず!
大和川をさかのぼります。

「仏教会得の地」の碑が。
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不勉強で聞いたこともないですが。

欽明天皇の「磯城嶋金刺宮址」の碑も。
だれが比定したのやら!エラいなぁ。

季節は「枯野見(かれのみ)」のころ。
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様子がいいのは春日神社かな。
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枯れたつるが川に垂れています。
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ハヤトウリ!?
まだ食べられそうな実が
たくさんありますね!
もらってもいいのでしょうか。

「萬葉集発耀讃仰碑」があるのは
白山比咩神社ですね。
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万葉集の冒頭にある
「こもよ みこもち」で始まる雑歌の作者
雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡を
桜井市はここに比定したのでしょう。

「一筋縄そうめん」がありました。
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「一筋縄」は
普通!否定形で使いませんか。
なんか!
とんでもなく悪そうなイメージ。

「出雲の流れ地蔵」があります。
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「出雲」です。
桜井市の出雲です。
ここは野見宿禰(のみのすくね)の
ゆかりの地です。

野見宿禰が出雲の国からきたからなのか!
こちらが本家!かれの出身地なのか。

出雲集落の中心にあるのは十二柱神社。
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野見宿禰を祖としている集落ですから
狛犬を 4 人の力士が支えています。
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境内は武烈天皇の
泊瀬列城宮の伝承地だとか。
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長谷寺の参道に入ります。
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ゆるやかにのぼればほどなく長谷寺。
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門前町で
榧(かや)の実が売られていました。
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ただ!煎って食べればよかったですか!?
アク抜きするのでしたか?!
すっかり!都会っ子になって
忘れています。



額田王(ぬかたのおおきみ)の
歌碑がありました。
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 三室(みもろ)の やまみつつゆけ 吾が背子が
 い立たしけむ 厳樫が本(いつかしがもと)

白文も表示してありましたが。
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万葉集の 9 番ですね。

この読みでは!なんかモーラが悪い。
4 7 5 6 7
三十一(みそひと)文字じゃない。

「い立たしけむ」を
「いたたせりけむ」と読めば 7 字になり
残った頭の 4 字を
なんとかすればいいかも。

そもそも!この歌には
標準的な読み方がありません。

白文も伝本によって漢字が微妙に違います。

ここには
「奠器圓隣之大相土見乍湯氣吾瀬子之
「射立為兼五可新何本
とありますが
「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之
「射立為兼五可新何本
だったり
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣吾瀬子之
「射立為兼五可新何本
と書いてあったり!まだまだいろいろ。

いずれにしろ

 みつつゆけ わがせこが
 いたたしけむ(いたたせりけむ)
 いつかしがもと

は!多くのみなさんが
ほぼよく似た読みをしていますが
頭の部分!
奠器圓隣之大相土とか
莫囂圓隣之大相七とかが
学者や歌人が 500 人いたら
500 通りの読み方をしています。

これ!だれが読みくだしたのでしょう。
「奠器圓隣之大相土」を
「みもろのやま」とは?!

斎藤茂吉は
古義ではそうだといっていますが。

ちなみに手元の
佐佐木信綱編/新訓 万葉集/では
読みを放棄しています。はは。

4,500 首の内
これだけ読めていません。

茂吉は賀茂真淵の訓に
従いたいようです。

それは

 紀の国の 山越えて行け 吾が背子が
 い立たせりけむ 厳樫(いつかし)がもと

これなら三十一文字ですけど。
「奠器圓隣之」が「きのくにの」とはね。



ま!あっしにゃ
カンケーね~ことでござんす。

ここは草餅の里(?)ですが
赤飯まんじゅうを食べたい気分。

ん!?
いつも買う店に
赤飯まんじゅうが並んでいません。
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どうして!?
こちらのほうが私には問題です。



(敬称略)
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白鳥を追って 古市古墳群カレー [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・古市駅前の白鳥神社に参詣。
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日本武尊(やまとたけるのみこと)を
祀っています。

世界文化遺産の
「百舌鳥・古市古墳群」の中で
「白鳥」を追い
竹内(たけのうち)街道をたどります。

といいながら
ん!?
道を見失いました!はは。

この周辺はなん度もきていて
なん度も迷子になっている!
因縁(?)の場所です。

ありました。
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「日本武尊御陵表参道」の案内の碑。
ここが竹内街道ですね。

やがて!白鳥陵古墳。
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日本武尊は
伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり
そこに陵を造ったそうな。

その陵から白鳥になって飛び立ち
あちこちに降りて
また飛んで行って!また降りています。

ここにも降りて!また!
羽を曳くように飛び去ったというので
この市の名は羽曳野市。

なのに!宮内庁は
日本武尊の陵墓と治定しています。
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おかしいでしょ!
発掘してみなされ。

もともと!白鳥神社は
この古墳の頂にあったのかも。

白鳥神社がつぎに移設されたのは
峯ケ塚古墳の上らしい。

峯ケ塚古墳は
日本武尊白鳥陵と書かれた古書もあるとか。
なにがなんやら。

近年の調査で
3,500 点以上の埋葬品が出ています。
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さらに先日
巨大な木製埴輪(はにわ)が見つかり
説明会が行われています。(2022/12/10)
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前方後円墳の造り出しと前方部の
接続するあたりに立てられていた
石見型木製品だといいますが。
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352cm×75cm×8cm
コウヤマキ製だそうな。
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不勉強なものがバカなことをいいますが
そもそも!こんな板を埴輪というのですか。

円筒埴輪とか形象埴輪とかの
土器のイメージしかないのですが。

殉死の代わりに土師氏(はじし)が
思いついたという記・紀の記述は
ウソでしょうけど。

3 世紀末の奈良県の桜井茶臼山古墳の
石室の周囲を囲んでいた
穴の明いた土師器の壺が
初期の埴輪だと思っていたのですが。

穴は埋葬された霊魂だけが
くぐり抜けられるのでは。
悪霊は遮断されるような。

それから時代を経て
円筒埴輪が!
さらに形象埴輪ができて
この世とあの世との境の意味も
薄れたのでしょうか。

それに
この板のようなものも埴輪とは。
どこに霊魂のくぐる穴があるの!?

やめましょう。
浅学すぎる恥の上塗りだけの発言は。



説明会の現地で
羽曳野市が年賀状に
世界文化遺産の古墳を印刷して
売っていました。
63 円のはがきを 63 円で。

印刷代だけ損でしょうが。
可哀そうだから買ってあげましたが。
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でも!こんなはがき!
どこで使ったらいいのでしょうか。



峯ケ塚古墳のある峰塚公園に隣接して
「FLOUR 竹内街道軽里店」がありました。
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「古市古墳群カレー」をいただきます。
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古墳群というのですが
前方後円墳がひとつしかないですね。

税込み 950 円。
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法隆寺の怨霊 手羽先定食あり [いわなが姫の丑の刻参り]

収穫の終わった田畑にあがる煙。
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春先の枯れ草を焼く野火には
まったく感動はなく
風にあおられて
燃え広がる懸念さえいだくのですが
秋の煙にはやさしさだけ覚えて
おおげさにいえば感傷的になります。

特に盛ったもみ殻が
ゆっくり燃えるときの煙が
心にしみます。

なぜだかよく分かりません。
遠い記憶になにかあるのかも。

遠い日に死んだ祖母が
怨霊になって
手招きしているのでしょうか。

私を可愛がってくれたのに
期待を裏切って
シケた人生に甘んじているのを
叱りに出てきてくれて!ありがとう。



なんの変哲もないような土盛り。
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藤ノ木古墳です。

法隆寺のそばにあります。

つい最近(1988)発掘され
豪華な副葬品が衆目を集めたようですが。

石棺に 2 体合葬されていたそうな。
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奇妙なことです。

1 体は成人男性。
もう 1 体は残っている骨が少なく
たぶん!
成人男性ということになっています。

同時に葬られた可能性が
高いというのも変ですが
男同士というのもなんでしょう。

骨盤が風化してしまっているほうは
女性の可能性がないのでしょうか。

被葬者はだれですか。

一時!崇峻(すしゅん)天皇説が
にぎわいましたが。

今!宮内庁の比定している崇峻天皇陵は
過去!いく度か揺れ動いて
だれも信じるものはいないので
半ば納得した人!多数。

それからどうなっているのでしょうか。

古墳の上を行く秋の雲を見ながら
立ち尽くします。
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法隆寺の中門の前を横切ります。
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堂々とした楼門です。

門の真ん中にも柱があります。
それは聖徳太子の怨霊を閉じ込めて
外に出さない閂(かんぬき)だと
梅原猛は主張しました。

その説が書かれた
「隠された十字架」を読んでも
基礎学問の欠落している私には
さっぱり理解ができませんが。

だいたい!あんな柱 1 本で
強大な怖い怨霊がおさえられますか。

怨霊さんは!
小さな間隙でもすり抜けられるでしょう。
屋根も越えられるに違いありません。

怨霊も考えられるほど
聖徳太子の周囲はあまりにも生臭い。

悪いのはみんな
蘇我馬子になっていますが
物部守屋の殺害や
崇峻天皇の暗殺にも
多大な関係がありそうだし。

聖徳太子が制定したとされる十七条憲法!
あれは「憲法」の体をなしていますか。
それはさておいて!その中の
「和を以て貴しとなす」の「和」のふしぎ。

十代のころから放蕩生活をした人が
少女歌劇を作って
「清く正しく美しく」といったり。

場末の居酒屋では
奥さんに逃げられているおじさんが
「ぼくら夫婦仲がいいのが自慢」
とほざいたり。

軍部に取り入って大儲けした人が
戦争はよくないことだから
まったく加担したことがないと
いけしゃあしゃあとしていたり。

すねに傷がある人ほど
逆のことを声高々にいいませんか。

聖徳太子の「和」が変に感じます。
和のないことをしてきたからといえば
叱られますか。

日本で一番の聖人!
日本で一番多い業績!
ということになっていますが
でも!天皇ではありません。
すぐにでも天皇になれる身分なのに。

父は用明天皇です。
用明帝の 4 きょうだいは
みんな天皇になっています。
その内の敏達帝と推古帝はきょうだい婚です。

巷間!多くの事績を
当時の推古天皇の手柄といわないのは
どうしてなんですか。

推古帝は日本書紀では在位 36 年
古事記では 37 年という長期政権。
大変優れたと思われる天皇なのに。

聖徳太子の本名もよく分かりません。
死後 100 年後の
古事記・日本書紀に見られる
「厩戸(うまやと)」は明らかに
景教(キリスト教)の影響でしょうし。

尊称はみな!ずっと後世の作。

だいたい!この聖人は実在の人ですか。
それとも!平凡な皇子を
聖人にしたてた人がいるのでしょうか。



JR法隆寺駅から帰ります。

日ごろ!頭を使わないものが
とんちんかんなことを考えていると
おなかがすきます。

「手羽先定食」とあります。

「ぎんのからあげ」という店舗。
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「金」ではなく「銀」ですか。
その「きんぎん」かどうか知りませんが。

大きな手羽先のから揚げでした。
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税込み 650 円。
いいじゃないですか。

野生の血が濃い私は
骨つきのものにおいしさを感じます。



(敬称略)
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