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清朝の野戦料理の白菜 [いわなが姫の丑の刻参り]

西園寺公一(さいおんじきんかず)が
「清朝の戦場料理」を食べています。

ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟の
妃殿下からご馳走になって
非常においしかったと記述しています。(蟹の脚が痒くなる季節)

焼き豚!ハム!蒸し豚!燻製の鶏肉!ソーセージ!
胡瓜!隠元豆!細切り豚肉!を細かく刻んで
ごはんに混ぜ!千切りの焼き豚を散らします。

白菜の青い葉先部分を左手に持ち
青紫蘇を載せ
味噌(胡麻・味噌・にんにく)をつけ
前記の混ぜごはんを包んで食べるものだそうです。

「白菜」がミソか!と西園寺はほめています。

その愛新覚羅浩(あいしんかくらひろ)妃殿下著
「食在宮廷」(1961年発行)に
「戦場料理」は記載されていません?!
戦場料理ですからねぇ!
宮廷料理じゃないのかも。

ところが
復刻版「食在宮廷」(1996年発行)に
次女のこせい女史が序文に
母の思い出として「菜包(ツアイパオ)」のレシピを書いていました。

菜包を乱暴にいいますと
炒飯をレタスでくるんだものです。

1619年!
清の太祖皇帝は兵を進め
野営を重ねていたら食糧が欠乏しました。
農民に
鴿子(日本語では鳩?!)と白菜と紫蘇の葉と米をもらい
「菜包」を作ったという故事がありました。

清朝の初期の苦難時代を忘れないように
毎年7月5日に
「菜包」を食べる清朝皇室行事があったのだそうです。

しかし!です!
清朝末期!
その鴿子(鳩?!)だけの質素な料理を
あの!西太后が
ぜいたくな具を混ぜさせて豪華版にしたのだそうです!
あのおババ!なんてことをしてくれるんでしょう!

そのときから!戦場料理ではなくなりましたね。
原点はどこかへ忘れて
立派な宮廷料理になったのかも。
そして!じきに清朝は滅びました。

原点は質素!お~!私向きです。
そんなに肩肘張らずに作ればいいのですね。
ごはんにあるものだけを混ぜて
豆板醤を塗った白菜と紫蘇に包んでいただきましょう。

西園寺が白菜の葉に感激しているのを
がっかりさせるようですが
なぜ白菜かというと!
こせい女史は
「昔の中国にはレタスがなかった」
ただそれだけのようです。
今は食べやすいレタスに置換されているのでしょう?!

(敬称略)


タグ:愛新覚羅浩
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