餅!もち!もっちもち! [お命!いただきます]
正月に餅を食べそこなっても
悲しくもありません。
餅は年中食べられます。
珍しくもありません。
が!昔の庶民はあこがれの食べ物だったのか
たとえば 17 世紀の
醒睡笑(せいすいしょう=安楽庵策伝著)なんかを広げると
お寺の小坊主たちの
餅をめぐる涙ぐましいやりとりがたくさんあります。
餅にタネがあったら
植えて餅を生(な)らせてたくさん食いたいとか
泣かせますね。
もち米を蒸して搗(つ)くなんて
だれが考えたのでしょう。
日本だけの調理法でしょうか。
でも!餅という漢字は日本語じゃないですよね。
11 世紀の宋の梅堯臣(ばいぎょうしん)の詩の中に
主婦は餅を煎(や)いて去り
小児の鏡をたたく声せり
と!餅があります。
ちなみに月蝕という題です。
月が欠けたとき
餅やら鏡でもとどおりにするまじないを
詩にしたものですが。
この餅は
穀物の粉をだんご状にねって作るものでしょうね。
愛新覚羅浩著/食在宮廷に
餅(ピン)は
皇帝の食卓では
小麦粉で作った点心だと書かれています。
やっぱり!搗く餅はありませんか?!
戦前の浄土真宗本願寺派の宗主であり
探検家であった大谷光瑞(おおたにこうずい)は
餅好きで
別邸のあったジャワにはもち米があり
搗いていたと
著書「食」に書いています。
現地に杵(きね)と臼(うす)はあるはずですから。
ただし!
ジャワの人が食べていた訳ではないでしょう。
あれ!?
ありましたね!
台湾のアミ族は日本と同じように
もち米を蒸して搗くようです。
(粒食文化と芋飯文化/日本観光文化研究所編)
統治した日本民族のおしつけでもなく
といって!その後の漢民族の影響でもない
独自の餅文化があるみたいです。
でも!日本のように焼いては食べません。
硬くして保存する考えはないとか。
搗いてすぐ食べてしまうのです。
パーティのとき
餅を用意しておくと
不思議とよく売れます。
裕福に暮らしていても
心は小坊主のままの
貧しき人たちよ!
なんて!ほざきながら
小坊主にもなれない哀れなバチあたりは
正月の残りの餅を焼いて飢えをしのぐ
寒い夜です。
明治の製法で作った高級ウスターソース・敬七郎で
ねぎを焼いて
焼き餅も加えます。
醤油で食べるのもおいしいですが
ソースだってスパイスの香りが
楽しいですよ。
(敬称略)
悲しくもありません。
餅は年中食べられます。
珍しくもありません。
が!昔の庶民はあこがれの食べ物だったのか
たとえば 17 世紀の
醒睡笑(せいすいしょう=安楽庵策伝著)なんかを広げると
お寺の小坊主たちの
餅をめぐる涙ぐましいやりとりがたくさんあります。
餅にタネがあったら
植えて餅を生(な)らせてたくさん食いたいとか
泣かせますね。
もち米を蒸して搗(つ)くなんて
だれが考えたのでしょう。
日本だけの調理法でしょうか。
でも!餅という漢字は日本語じゃないですよね。
11 世紀の宋の梅堯臣(ばいぎょうしん)の詩の中に
主婦は餅を煎(や)いて去り
小児の鏡をたたく声せり
と!餅があります。
ちなみに月蝕という題です。
月が欠けたとき
餅やら鏡でもとどおりにするまじないを
詩にしたものですが。
この餅は
穀物の粉をだんご状にねって作るものでしょうね。
愛新覚羅浩著/食在宮廷に
餅(ピン)は
皇帝の食卓では
小麦粉で作った点心だと書かれています。
やっぱり!搗く餅はありませんか?!
戦前の浄土真宗本願寺派の宗主であり
探検家であった大谷光瑞(おおたにこうずい)は
餅好きで
別邸のあったジャワにはもち米があり
搗いていたと
著書「食」に書いています。
現地に杵(きね)と臼(うす)はあるはずですから。
ただし!
ジャワの人が食べていた訳ではないでしょう。
あれ!?
ありましたね!
台湾のアミ族は日本と同じように
もち米を蒸して搗くようです。
(粒食文化と芋飯文化/日本観光文化研究所編)
統治した日本民族のおしつけでもなく
といって!その後の漢民族の影響でもない
独自の餅文化があるみたいです。
でも!日本のように焼いては食べません。
硬くして保存する考えはないとか。
搗いてすぐ食べてしまうのです。
パーティのとき
餅を用意しておくと
不思議とよく売れます。
裕福に暮らしていても
心は小坊主のままの
貧しき人たちよ!
なんて!ほざきながら
小坊主にもなれない哀れなバチあたりは
正月の残りの餅を焼いて飢えをしのぐ
寒い夜です。
明治の製法で作った高級ウスターソース・敬七郎で
ねぎを焼いて
焼き餅も加えます。
醤油で食べるのもおいしいですが
ソースだってスパイスの香りが
楽しいですよ。
(敬称略)
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