SSブログ

山の辺の道の古事記のみかん?! [桃栗残念!柿蜂の巣?]

JR桜井線の巻向(まきむく)駅から
東に!すなわち巻向山の方に歩けば
珠城山古墳群があります。

このあたりが
11 代・垂仁(すいにん)天皇の宮があったと
比定されているようです。

垂仁天皇纒向珠城宮跡の碑があります。
「まきむくたまきのみやあと」と読むのかも。

ちなみに私の手元の古事記には垂仁天皇の宮は
「師木玉垣宮(しきたまがきのみや)」とありますが。

その古事記に
「ときじくのかくの木の実」という果実が!?

垂仁天皇が
多遅麻毛理(たぢまもり)を
常世(とこよ)の国へ派遣して
得ようとした果物だとか。

多遅麻毛理が探し出して帰朝したら
垂仁天皇はすでにこの世になく
かれは御陵の前で泣きながら息絶えてしまいました。

多遅麻毛理は
日本書紀では
さらに現代でも
田道間守と表記されているらしいのですが
私の持っている日本書紀には載っていません。あれ?!

今!宮跡のそばの
南北に走っている山の辺の道に乗って進めば
みかん(蜜柑)の木が目につきます。

blog青垣.jpg

「ときじくのかくの木の実」は
「みかん」だともいわれていませんか。

でも!
温州みかんのような大きな果実だったかどうか。

古事記では「是今橘也」
「たちばな(橘)」だといっていますが。
「たちばな」と「田道間守」は音がよく似ています。

しかし!
現代でいう「たちばな」の実はとても
現代でいう「みかん」と同じような食べ方で
食べられるとは思えませんが。

なんて!いつものことながら飢えているのに
非生産的なことに思いわずらっていると
お~!
田道間守の子孫なのか奈良のセレブな大奥さまから
領地?で実ったみかんが送られてきました。

珍らしい種類ですね!
不勉強な私のために名前を書いてくださっています。

blogみかん.jpg

どれも甘くて酸味が少なくておいしい。

みかんを食べて飢えがやわらぐと!ふと思いつきました。

「ときじくのかくの木の実」は「非時香木実」
福永武彦訳では
「四季を通じて枝に実るかぐわしい果物」です。

香りはいいのかも知れませんが
「実」を今の「果物」と訳していいものかどうか。
そうなると食べられるものかどうか。
少なくともどこにも
「生食」したと書いてありませんが。

ということは「ときじくのかくの木の実」は
今の「たちばな」と解釈してもいいのかも。

(敬称略)
タグ:古事記
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。