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東横堀川水門 サバフライを食う [わが街・大阪ブギウギ]

淀川から分かれて大川
さらに分かれて土佐堀川
さらに分かれて東横堀川が始まっています。
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最初の橋は葭屋橋(よしやばし)!
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右の上流側が葭屋橋!
下流側が今橋。
橋ふたつがV字になっています。

今橋は秀吉の時代に
すでにあったともいいますが
葭屋橋は蟹島遊廓のために
18 世紀の終わりごろ架けられたそうな。

大きな橋をひとつ架設したら
いいと思うのですが
どうしてこんなことになったのやら。

それほど
遊廓が発展していたともいえますが
その大きいはずの痕跡が
今!私には探せません。

今橋の下に
いつの時代のものでしょうか!
古い親柱がありました。
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つづいて高麗橋。
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橋のたもとに里程元標跡の碑があります。

高麗橋から
東横堀川の水門を見降ろします。
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今日は勉強嫌いが!魔がさして
水門のお勉強にきたのですが工事中。

接近はあきらめて
コントロール室に入れてもらい
レクチャーを受けます。
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どうして
土佐堀川と東横堀川を航行するのに
パナマ運河のようにしているのか!
前にも教えてもらったようなのに
ちっとも理解していません。

というのは!
江戸時代には
水門がなかったじゃないですか!

水門の役目は
水位の制御!
水質の浄化!
船舶の通航!
防災!と多岐にわたっていました。

ていねいに説明してもらったのですが
江戸時代にはなかった!に回帰する
おバカな脳みそです。
困ったもんです。

川沿いを歩きます。

川の上に屋根のように
阪神高速道が架かっています。
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傘をささなくても航行できます。はは。

特大の石がころがっています。
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「義商」「天野屋利兵衛」ですか。

「忠臣蔵」の中では
討ち入りを支援したというひと。
史実は!赤穂事件には
まったく関係のなかったそうですが。

人間とは!歴史とは!こっけいなものです。

船上ビアガーデン(!)の船が
係留されています。
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ま!
尾羽うち枯らした身には縁のないもの。

小さないかだ(?)も準備されています。
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あれがうわさに聞いた
「納涼の茶室」とか
「水上ピクニック」とか
いわれているものでしょうか。

川の中ほどに係留してくれるとか。

デートする予定が皆無のものには
やっぱり無縁ですね。

しかし!水上でおしっこしたくなったら
どうするのでしょうか。
尻を出して用足ししたら
初めてのデートでも
親近感がどっと増しますか。

私が心配することはないのですが。



ん!
「この上さん。」とは屋号ですか。
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離れて見てもよく分かりませんが。
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ランチが税込み 550 円から!?
入店しない訳にはいきませんね。
金額にほれる由緒正しい貧乏人だぁ!

メニューを見れば
「サバフライ定食」なんて
他店では聞かない料理があります。

税込み 650 円ですが!いただきましょう。
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期待以上のボリュームがありました。
根菜の煮ものや生キャベツもたっぷり。

ごはんと漬けものは
食べ放題と書いてありましたが
どこにあったのでしょう。
ランチどき!立て込んでいたので
さっさと出てあげましたが!残念。

ここは水の都。
赤い水のグラスがあってもいいです。
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