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畝傍山は 正義の火の山 [いわなが姫の丑の刻参り]

はでな着物の童女が並んで
順番に記念写真を撮っています。
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「七五三」詣りでしょうか。
橿原神宮にもゆるキャラはいるんですね。

カメラマンと助手を引き連れている
女の子と両親(たぶん!)と
ふた組の祖父母(おそらく!)と
総勢 7 人ものグループがいます。

そんなグループはひと組ではないですね。
大変だぁ!
「大変」が好きなのかも知れませんが。

拝殿の前には玉砂利があります。
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神社にはどうして玉砂利だらけなのか
帰依もないバチあたりは
聞いても忘れているのでしょうけど
とくにこのあたりには厚く敷かれています。

もこもこと着せられている童女の中には
暑苦しいのか!はだけたり!
玉砂利は歩きにくいので
はきものを脱いでしまったり。

パールを落とした!?

なんでしょう!?
あわてている親もいます。

小さなパールでしたら
このたくさんの砂利の中で!
探せるのでしょうか。



拝殿の向こうの
畝傍山(うねびやま)はいい天気です。

のぼります。
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標高は 200m にとどかないほどの山。
散歩気分で行けるでしょう。

水槽のカワニナのエサの朴葉(ほおば)が
減ってきていたので!探しに行きます。

朴葉には!まったく出会いませんね。
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30 分もかからず!山頂の三角点。
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それでも!見降ろせばさわやか。
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「畝火山口神社社殿跡」の碑があります。
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「畝火山」は「畝傍山」とおなじ。
元・火山だといいますから
「畝火山」表記のほうがいいのかも。

ん!?
大昔のひとは
どうして火山だと分かったの!?
1,500 年くらい前まで
火を噴いていたのでしょうか。

考え過ぎですか。
万葉集には「雲飛山」表記もあるはず。

どうして神社の「跡」かといえば
明治時代になって!
ふもとに橿原神宮が造られたため
叱られたらしい。

橿原神宮を見降ろすとは
恐れを知らないのかといわれ
罰として(!?)社格を下げられて
反対側のふもとに遷座させられています。

後からなにもなかった場所に
神武天皇陵や橿原神宮を造営しておいて
勝手なはなしでしょうけど。

なにもない寂しいところで
養鶏場を経営していたひとが
ぼやいていたことがありました。

付近の荒れ地が宅地造成されて
イノシシやカエルが追い払われて
ひとがどっと住み着いたのだそうな。

その住民たちが
鶏がやかましい!臭い!出て行け!
市に追い払う法律を作れと要望したそうな。

明治国家主義も現代の日本民主主義も
おなじようなものですなぁ。

政治は「悪」です。
必要悪かも知れませんが。
政治家は右から左まで
アホからかしこぶっているものまで
みんな!極悪人ですなぁ。



TVドラマで趣里が演じる
「ブギの女王」のモデルの笠置シズ子は
三笠静子だったのですが
三笠宮家が創設されたら改名しています。

昔!奈良の若草山で
ボランティアのひとがいっていたはなし。

三笠山という名前だったのですが
宮さまの上にあがる訳にもいかず
忖度(そんたく)したのだとか。

福沢諭吉ら適塾のものたちが
花見に行ったという桃山。
そこにできた鉄道の駅は桃山停車場。
桃山御陵が造られたので
桃谷に改称したといいます。
今の大阪環状線の桃谷駅ですが。

これらはすべて俗説かも知れませんが
なるほど!と納得してしまいます。

たとえ!そうだとしても
それがその時代の正義だったので
正しいのです!たぶん。



畝火山口神社だけではなく!
そもそも!神武天皇陵とその社は
畝傍山の上にあったのでは。

古事記は
「畝火山(うねびやま)の北の」
「白檮(かし)の尾の上(へ)にある」
ですから。

江戸幕府の「文久の修陵」のとき
学者の意見が割れて
現在の平地に治定してしまったのでは。

ホンモノの神武天皇陵を守ってきた
洞(ほら)村も
上にいるとはけしからんと!
降ろされていますね。



なんの収穫もなく!とぼとぼと
近鉄・橿原神宮前駅に向かっていたら
感じのよさそうな町家(!)があります。
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「ギャラリーカフェ narairo」ですか。
ランチの看板があったので入ります。

きれいな店内です。
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この店の名前のついた
「ならいろライス」をいただきます。
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焼きめしに
地元の野菜がのっているのでしょうか。

税込み 900 円。



(安本美典著/大和朝廷の起源/)
(住井すゑ著/橋のない川/)参照
(敬称略)
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