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トキワ荘の丸さんカクテル [絵に描いたどじょう地獄]

今月になって
丸山昭氏が昨年(2016/12/15)に
死去していたと報道されていました。合掌。

まんが家の梁山泊といわれた「トキワ荘」!
1953 年に手塚治虫が入居してから
まんが家がつぎつぎ住み始め
トキワ荘の 2 階 10 室が全部
まんが家に占められていた時代が
あったのですね。

丸山は
そのはなしになればちらちら見え隠れする
講談社(少女クラブ等)の元編集者ですね。

「まんが」の黎明期の狂言回し!?
赤塚不二夫や石森(石ノ森)章太郎や
水野英子を育てた
名プロンプト(prompt)かも知れません。



その時代は「漫画」より
「まんが(or マンガ)」という単語が
好んで使われていたのでしょうか。

「劇画」ということばはまだなかったようで
ちなみに最近は「コミック」なんて
書かれている場合が多いような。

昭和 30 年ごろに
「漫画イコール悪」という
正当な(?)発言が
日本列島を席巻していたようです。

「勉強しなさい」
勉強しないのは「漫画」のせいということ!?
すごいですね。

あんたのこどもの成績が悪いのは
才能が欠如しているからでしょうが。
と!だれもいわなかったのでしょうか。

じゃ!漫画を捨てて
活字を読んだら賢くなるの?!
活字の本にも悪書はあまたあるでしょうに。

活字が!いやまんがが
いいとか悪いとかじゃなく
「世の中ビジュアル化の流れがあった」と
丸山は述懐していましたね。

その後TVの時代。
「一億総白痴化」といわれましたが。

今の少年たちは
勉強しているんですかね。
なにやらスマホばかり見ているような。

いつの時代にも
だれにも
興味を持つものはあるものです。



トキワ荘の「酒」といえば
有名なチューダーがあります。

みんな貧しかったのです。
寺田ヒロオが考案した
焼酎 + サイダーがパーティのカクテル。

丸山が作ったという
「丸さんカクテル」に目が回ったと
赤塚不二夫が書いていましたが。

赤塚と石森章太郎と長谷邦夫に
徹夜で朝までに描き上げるように
依頼した丸山は陣中見舞いに
「丸さんカクテル」を置いて行ったとか。

それを飲んだらひっくり返り
朝までトドの昼寝のように寝てしまい
原稿ができあがらなかったそうです。

それはジン 2/3
グレープジュース 1/3 という
かなり度数の高いもの。

口あたりはよさそうですから
ぐいとあおれば腰が抜けそうですね。



今はいろんな味のカクテルが
大変安価で売られています。
「ぶどう」のものを探しても
すぐ見つかります。
blogぶどうサワー.jpg

アルコール分も 3 %から 9 %といろいろ。

日本は酒天国になりました。

とても貧しい私でもかなり大量に
手に入れることができます。
貧乏人でも
アルコール依存症になる気になれば
すぐなれそうです。

トキワ荘の時代では安価な肴だった
鮭缶やマグロフレーク缶が
逆に高価になっているのかも知れません。



「かんづめ」といえば
売れっ子まんが家の争奪戦が始まります。

まんが家を拉致(!)して
幽閉(!)して描かせるのですね。

月刊誌の締め切りが守れないのに
週刊誌が雨後の筍のように生まれ
ひとりのまんが家が複数の!
すごい人は
4 本も抱えざるをえないクレイジーさ。

他社の干渉がないように
どの社も「かんづめ」をねらったのですね。

この「かんづめ」の絵は
たいてい缶詰を描かれていますが
石森章太郎は
「館詰め」が正しいと書いていましたが。
「旅館」に「詰める」から館詰め。



私は漫画(まんが!コミック!)に
興味がありません。
吹き出しを読むのがメンドくさい。

吹き出しを読むのが
メンドくさいくらいですから
読書なんてとてもとても。
特に小説は読む気が起きません。

TVもほとんど見ません。
琴線に触れる番組がありません。

ゲームにもスマホにも縁がありません。
賭博はやらないし
群れないし
趣味はないし
暇があっても!なくても
寝ることだけの人生です。

そのうち!永久に眠ってしまいそうです。



手塚治虫 61 歳
寺田ヒロオ 61 歳
藤子・F・不二雄 62 歳
石ノ森章太郎 60 歳
森安なおや 64 歳
赤塚不二夫 72 歳
半数以上の元・トキワ荘の住民が
鬼籍に入っています。
まんが家は短命の人多し。合掌。



「マンガ」は未完成の魅力だと
石森は書き残しています。
永遠に進化しつづけるものでしょうか。

また「まもなく老人コミック誌が出る!」と
予言していましたが。
あたっているのでしょうか。



(石森章太郎著/章説・トキワ荘・春/)
(手塚治虫 他著/トキワ荘青春物語/)
(丸山昭著/まんがのカンヅメ/参照)
(敬称略)
タグ:手塚治虫
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明治時代のたまごめし [絵に描いたどじょう地獄]

あるとき百貨店をよぎったら
(よぎっただけです!買わないので)
(正確には買いたくても買えないので)
大勢の人が
押しかけているコーナーに遭遇しました。
blogたまご001.jpg

「たまごかけごはん」を売っていました。

なんと!
「たまごかけごはん」が 540 円。

みそ汁と香のものが
ついているのかどうか知りませんが
それにしても高価です。

ブランドものの鶏卵というのですが。

ブランドものでも
近所のスーパーの目玉商品でも
栄養分析したら差が出ますかね。

あ!?
おいしさが違う?!
ふ~ん!
すごいですね。
返答する気が失せますね。



それにしても
関西の人は「たまご」が好きですね。

私は食べます。
出されば人の倍くらい平気で食べます。あは。

でも!注文することは少ないのですが。
なんか!安っぽく感じられて
レストランや食堂や安居酒屋で
大枚はたいて食べるのは損したようで。



鶏卵は物価の優等生だと持ち上げられて久しい。
貧乏人の栄養補給源。
食えない時代に
鶏卵ばかりで過ごしたという人は多いようです。

もっとも!それはここ半世紀あまりのこと。
その前の時代の
たとえば桂米朝の「私の履歴書」なんかには
投げ売りの腐りかけのりんごで
飢えをしのいだとあります。

6 代目笑福亭松鶴は
「だれかて食後のデザートと思いまんがな」
「めしはなしで腐りかけのりんご」と
ネタにしていたそうな。



その鶏卵が
血管をダメにする元凶だと
ののしられる時代になったりしましたね。
忙しいですね。

昨年(2015)日本動脈硬化学会が
料理中のコレステロールと
血中コレステロール値の相関エビデンス(根拠)は
希薄だといっていませんでしたか。

特別に影響がある人は特別な体質の人。
一般の人が
1 日になん個食べても気にすることもないとか。

「たまごはあこがれの食品!」
先の戦中戦後を越えたご老体が
今でも口をそろえていいます。

あこがれの食べものがあっていいですね。
動脈硬化が起きるまで
せいぜい飽食くださいね。



明治 34 年(1901)発行の
大阪文廼社著/家庭教育 女かゞみ/の
「飲食之部」の「飯のたき方」に
雞卵飯(たまごめし)なるものがありました。


「雞卵飯」

常の如く能く米を炊ぎ
少し柔らかに仕かけ
焚きて薪を撤き
鶏卵を人数相応に打ち割り
能く掻きまはし上よりさぶりと注け
釜の中にて混ぜ合せ
暫く蓋を為し置くべし

其後は釜より直ちに盛り出すか
又は食籠にうつし出すもよし

かけ汁は
鰹節のだしを醤油加減して
胡椒 浅草海苔
葱の小口 たうがらし等を加役とす


平仮名で読み下せば。

「たまごめし」

つねのごとく よくこめをかしぎ
すこし やわらかにしかけ
たきて きをひき
たまごを ひとかずさうおうに うちわり
よくかきまはし うえよりさぶりとかけ
かまのなかにて まぜあはせ
しばらく ふたをなしおくべし

そののちは かまよりただちに もりいだすか
または じきろうに うつしいだすもよし

かけしるは
かつをぶしのだしを しやうゆかげんして
こせう あさくさのり
ねぎのこぐち たうがらしとうを かやくとす


ちなみにこの本は
「雞卵」と「鶏卵」のように
表記が統一していないところが多く
リライトしにくいったらありゃしない。



こんな本でお勉強する人は
明治時代にそうたくさんはいないでしょう。

お嫁入り前の良家のお嬢さまや
大きな家の奥さまだったのでしょね。

鶏卵はごちそうだった時代かな。

私は生たまごより
こんな半熟にした方が好きですが。
良家の子女じゃないのですが。

たまごかけごはんも
炊きあがったばかりのごはんがないと
しません。



明治時代と違って
現代は電子レンジなるものがあります。

冷やごはんと鶏卵を混ぜ合わせて
電子レンジで加熱すれば
たちどころに
炊き立て(に近い)「たまごめし」になります。
blogたまご002.jpg

小口切りのネギを
マヨネーズと醤油で和えてのせました。

かけ汁が必要なら!簡単。
平成の時代では湯をさせば
たちまちおいしい
ワカメスープができるのですよ。



(敬称略)
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+f 竹久夢二のポークライス [絵に描いたどじょう地獄]

羽根田武夫著/鬼の宿帳/に
竹久夢二あての請求書が転載してありました。

菊富士ホテルの
大正 8 年(1919)5 月のものです。

菊富士ホテルは
当時の住所表記で本郷菊坂町 82 番地にあった
今連想させられる「ホテル」というより下宿屋(?)
それも高級(!)な下宿屋のようですが。

その請求書の中に食べものがたくさんあります。

「昼御仕度 35 銭」(銭の字に金へんはありませんが!以下同様)
「夕御仕度 35 銭」

昼食・夕食の値段らしい。



「御かし 15 銭」またの日は「48 銭」

お菓子のことでしょうね。

「サト 5 銭」 またの日は「8 銭」「10 銭」
「角サト 5 銭」

サトは砂糖のことらしい。

「パン 5 銭」

どんなパンやら。

以下羅列すれば。

「牛乳 5 銭」またの日は「7 銭」
「紅茶 8 銭」
「番茶 2 銭」
「カステラ 30 銭」
「玉子 7 銭」
「サイダー 20 銭」
「夏みかん 16 銭」

まったく!アルコール類はありません。
夢二は下戸だったのですか。



「御仕度」ではなく追加の料理は。

「鴨南ばん 20 銭」
「ビステキ(ビフテキでしょう) 40 銭」
「支那料理 25 銭」
「ヲムレツ 35 銭」
「玉子フライ 20 銭」
「吸物 5 銭」
「ハムライス 35 銭」
「ポークライス 30 銭」

ハムライス!
ポークライス!どんな料理だったのでしょうか。



奈良県の馬見丘陵公園に東から向かえば
北駐車場の向こうにカフェかレストランが。
blog51.jpg

「+f」?!
なんと読むんですか。
「ぷりゅすえふ」!?どこのことばですか。

私には似合うはずがない店舗なのですが
ふらふらと入店。
暑い日だったので。

1 番安いランチをください。
カフェライスランチ(税込)870 円。
blog52.jpg

この日の「カフェライスランチ」は
「ポークバラ肉とキノコのハヤシライス」だそうな。
ごはんは古代米かなんかです。
油を使ったライスではありません。

おいしい。

しかし!「カフェ」に「ライス」
「ポーク」と「バラ肉」
面白い重ねことばですね。

あれやこれや!
なに語となに語やら!無学なものには難し過ぎます。



夢二のポークライスも
こんな風におしゃれだったのでしょうか。
レシピは残っているのでしょうか。

値段は?!
物価は一概に置き換えできませんが
今は 2,000 倍?!

夢二のポークライスなら
0.30 × 2,000 = 600 円!?

その計算でいけば
夕ごはんが 700 円ですね。
そんなもんでしょうか。

高級下宿屋ですから
この倍くらいの感覚だったような気がしますが。

でも!玉子が 1 個 140 円?!
サイダーが 400 円!?

やっぱり!きちんと置き換えは無理ですね。



あ!窓の向こうに遮光した花壇があります。
blog53.jpg

あれ!ここはダリア園でしたか。
拙ブログ 2014/10/14
blog54.jpg

いつもダリア園の側からカフェを見ていたのですね。
カフェとは気づきませんでしたが。

ダリアも日焼けするのですか。



夏を飾っていたひまわりの花も終わり
花の少ない季節です。

でも!集いの丘には色があります。
blog55.jpg

あざやかな花の多くはサルスベリ?!

背の低いサルスベリですね。
播種すればその年に開花するサルスベリかも。

昔!私たちテキトーに生きている連中が
「一才さるすべり」と呼んでいた木に似ていますが。

赤!白!ピンクとありました。
blog56.jpg
blog57.jpg
blog58.jpg



この季節のサルスベリには
すす病やうどんこ病の発生がフツーだったような。
全然ですね。
管理がいいのか!耐病性の品種が席巻しているのか。
世の中進んでいます。

それでも!秋が始まります。
私を残したまま。

赤とんぼがいっぱい!



(敬称略)
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卵を味わうマヨネーズ!入手! [絵に描いたどじょう地獄]

キューピーの
「卵を味わうマヨネーズ」です!
blog0a.jpg

やっと入手しました。

発売されてから 4 月ばかり過ぎたのに
大阪市の私の周辺の店頭には見かけません。

「あのマヨネーズ!まだ売ってない?!」

ホワイトデーに贈ろうと企てていた
見栄っ張りのおじさんが(拙ブログ 2015/03/11
今になっても唐突にいうではありませんか。

私なんかとっくに忘れていたのですが。

いるんですか!まだ色気づいていますか。
高価ですよ。
小さな瓶でメーカー参考価格 1,250 円(税抜)。
フツーのマヨネーズの 10 倍くらいの感覚。

あらためてネットで見たら
たまたまかどうか通販していました。

買いました。



「え!ひとつだけ!?」

ひとつだけじゃないでしょ!高いのに!
立て替えるものの身になりなさい。
いくついるの?!
100 個!?

「そんなにはいらんけど」



水上勉(1919 ~ 2004)が等持院の小僧時代に
大根とにんじんの酢味噌和えに
キューピーのマヨネーズを使ってみたところ
老師によろこばれたそうな。(水上勉著/精進百撰)

ということは!昭和の初めには
キューピーマヨネーズがあったのですね。



水上勉と同時代の池部良(1918 ~ 2010)は
ニューギニア・ハルマヘラ島で
終戦(1945/08)を陸軍少尉(中尉かも)で迎え
補給路を断たれ飢餓状態に陥ったそうな。

盗んできた鶏が産んだ卵を
90 人で分けて食べるために
マヨネーズを作ることを思いついていますね。
(池部良著/煮たり焼いたり喋ったり)

油はヤシのコプラから。
酢はヤシ酒を発酵させて。
塩は海水から。

芋にできあがったマヨネーズをつけて食べた後
全員便所に直行!

よく考えたら!
ヤシ油はせっけんの材料なんですね。



昭和 12 年(1937)検閲の陸軍省の
「軍隊調理法」に
「マヨネーズの作り方」がありますね。

その当時に珍しいものでもなかったのでしょうか。

すでにマヨネーズ愛好家
「マヨラー」がいたのかも知れません。



東海林さだお著/東海林さだおの弁当箱/に
コンストのおにぎりの中で
特に抵抗があるのが
鮭マヨネーズとかシーチキンマヨネーズとかの
マヨネーズ系だとあります。

ちなみに
コンストとはコンビニ
すなわちコンビニエンスストアの略です。
20 数年前(1987 ~ 1993ころ)に
書かれた文章ですが
コンストですか!隔世の感がありますね。



今でも寿司屋に行くと
エビマヨ(マヨネーズをマヨと略します 以下同じ)とか
イカマヨとか注文すると
やめろよ!というおじいさんがいます。

コーンマヨ軍艦巻き!なんて叫ぶと
こめかみに血管を浮き出させて怒り出します。

「気持ち悪いもん!食うなよ!」

ほっといて!あんたが食べる訳じゃないのに。
2 度とこういう輩と寿司屋に
回転寿司にだって行きたくありませんけどね。



私はマヨラーではないと思うのですが
ごまかすとき
「胡麻」よりよくマヨネーズに頼ります。

例えば!
常食の 4 個で 99 円(税別)のコロッケは
おいしくないときには
特に冷めたら!ホントにおいしくありません。

電子レンジであたためてから
マヨネーズと醤油かウスターソースをふれば
みちがえるようにおいしい!
ま!私の舌だけかも知れませんがね。



キューピーの「卵を味わうマヨネーズ」!
blog0b.jpg

なんか分からんけど!
思い切り買いましたけど。

ひとつ味見をしようかと思っていたものの
高価なのでためらっているうち
ウワサを聞いたのかあちこちから声がかかり
乞われるまま手放して
結局!私の口には入りませんでしたが。

私を経由して味わった人!
感想をお聞かせあれ。



(敬称略)
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氷餅?! [絵に描いたどじょう地獄]

冷凍庫で保存していた餅。
これを干したらどうなるの?!
これを干したら「氷餅」になるのでしょうか。

干してみます。
すぐ表面が乾燥して剥離(はくり)していきます。
blog氷餅1.jpg

クッキング用のペーパーで包んでおきますか。
blog氷餅2.jpg



それから泥縄式にあわてて勉強します。

今から 100 年前の
大正から昭和初期の食生活の記録の
「聞き書 長野の食事」を広げると
「凍りもち」なる記述がありました。

「諏訪盆地の食」のところに。

切り餅を作り
1 晩水に浸けてから
新聞紙に包み
藁(わら)でくくって連にして
軒先に吊るす!とあります。

夜と昼に
凍ったり!解けたりを繰り返し
1 か月くらいで乾燥して
「凍りもち」になるとか。

「佐久平の食」では
うるち米を炊いて
すりこ木でつぶす、、、ですか。

胡麻やゆかりを混ぜ込み
棒状にしてから小口切り。
かごに広げて
やはり外に出して
凍らせて乾かすそうな。



ショーバイ人はどうしているのでしょうか。

天野慶之著/食物百話/に
産地は諏訪湖南岸とありました。

昭和 45 年(1970)ころのはなしですけどね。

もち米を水浸
水を加えながら石臼で挽きます。

これを湯煎(!)しながら撹拌。
5 時間かけて糊状のものを作り
浅い長方形の容器に入れて
戸外で凍らせるとか。

これを角寒天のように切断。
新聞紙に包んで
藁で縛って吊るすのは同じ。
乾燥には 45 日以上かけるらしい。



聞いたら
ちょっと尻込みしますね。
大変な仕事です。

あ!
先の「聞き書」の中の「諏訪盆地の食」に
お供えの鏡餅を食べて残ったものを
凍りもちにするとありました。

それでもできるのですね。
安堵しました。
私の「氷餅」作りは
このまま干しておきます。

ただ!新聞紙というのが気になります。

それがその時代に簡単に入手できた紙だから?!
それともなにか
特別なメリットがあるのでしょうか。



そのまま忘れて 3 か月はゆうに過ぎ
春がきました。

包んでいた紙を取ると
たしかに
もろくなった餅が出てきましたが。
blog氷餅3.jpg

このまま口に入れれば
さらさらと舌に溶ける(?)といいますが。

全然!
硬いのなんの。

私の鬼のような牙ではかみくだけますが
とても!パウダースノーの感じはありません。

水か湯をかければ
2、3 分で重湯のようになるので
甘味を加えて食べるとも書いてありますが。

いっしょに吊っている干し柿を
甘味にしましょう。
石のように硬くなっていた干し柿を小さく切り
餅と混ぜて熱湯をかけて、、、と。
待てど暮らせど!重湯にならず!
餅は硬いまま。

かき回しながら
電子レンジにかけても同じ。
柿が崩れて行くばかり。
blog氷餅4.jpg

たぶん!私の餅は
2 度と凍らなかったからでしょうね。
なん度も凍結と解凍を
繰り返す必要があるのでは。

むずかしい!氷餅作りは。
もう作る気はありませんけどね。



(敬称略)
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