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大阪 九条のふしぎ [わが街・大阪ブギウギ]

大阪市西区の九条駅。
大阪メトロと阪神電鉄が交差しています。

どうして!九条なのか。
京(みやこ)の九条!?
難波(なにわ)京から
数キロ離れていますが。

離れていてもいいのですが
しかし!真西の方角ではおかしい。
南じゃないと。

だいたい!前期難波京は
「大化の改新(乙巳の変)」の直後!
後期難波京は聖武天皇による遷都!
どちらにしろ!そのころのこのあたりは
海の中か!芦の中洲だったのでは。

それに付近に八条も七条もありません。

駅前に松島新地があります。
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往年の遊廓です。
今も!その機能は継続していますが。
知らんけど。

新地を抜けたら松島公園。
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公園の前に竹林寺があります。
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そこの案内板に
松島は寺島という島に
松の大木があったので「松の寺島」から
松島になったと書いてあります。

慶応 3 年(1867)に松島の北隣の
戎島のその北に
外国人が住むための
「川口居留地」ができました。

「居留地」の定義を私は知りませんが。

「戎」は差別用語ととられかねないので
戎島は梅本島に改称したようですが。

明治 2 年(1869)に
大阪府は松島遊廓の建設にかかりました。

さらに屋根に金獅子をのせた
威容を誇る松鶴楼を建てて
居留地の外国人を呼び込んだようです。

今日の万国博覧会で
大阪府が外国人に誇ろうと建造物に
莫大なカネをかけるようなものかも。

松鶴楼のあった場所は
今の公園のどこかでしょうか。

ともかく!この周辺は
島だらけの場所だったのでしょう。



唐突ですが!林羅山です。

徳川家康に仕えて
方広寺の梵鐘の銘文の中の
「国家安康」「君臣豊楽」は
家康をのろっていると
無理やりな意見をいったひと。

朝鮮通信使の応対もしていたようです。

竹林寺はその朝鮮通信使の宿舎。

儒学か朱子学かの林羅山が
たぶん!松島の横の島を
「衢壌島(くじょうじま)」と命名。

漢字は音の借字でもあるので
後に難しい字より
簡単に九条島と書くようになったのでは。

そんな気がする九条。
推察ばかリ。
よいこは信用しないで!忘れてください。



アーケード商店街を歩きます。

「ナインモール九条」から
「キララ九条」へ。

いつも懐中に相談するランチ!
つまり!内容は二の次!
安価なものばかり。

今日はなんだか珍しく
キラキラしたものを
食べようかと歩きます。

が!
いいものがあるじゃないですか!
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「末広」!?
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居酒屋でしょうか。

メニューの一番上の
「塩さば定食」をいただきましょう。
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税込み 550 円。
やっぱり!財布の中身優先。



可愛いタンポポが咲いています。
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ほこりだらけの殺風景な街。
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変な環境でも!季節も考えずに咲く
セイヨウタンポポでしょうか。

いや!?
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違います。
日本のタンポポ?!
この季節なら帰り花!?

九条!奥が深い。
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