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堺の餅は大寺餅 芥子餅 肉桂餅 [食い意地]

長塚節(1879 ~ 1915)著/松虫草(原作は旧漢字)/に
堺の町はずれ
百舌鳥耳原中陵
(もずのみみはらのなかのみささぎ=仁徳天皇陵)が
出てきます。

明治の終わりのことでしょうか。

陵近くのすすきの穂の中のわらぶきの茶店に
大きな文字で「大寺餅あり」と書いてあったそうな。

大寺という寺の境内の餅屋がおろしているとか。
特別な日には 23 石あまりの餅をついて
和歌山あたりまでおろしている日本一の餅屋だそうな。

余談ですが昔のつづり方ですので
「23 石」は「2、3 石」(360L~540L)かも。

慶長元年(1596 年)創業だとか。
慶長といえば関ヶ原の戦いのころ。

大寺というのは開口(あぐち)神社のこと。
餅は今でもあるのでしょうか。

観光案内所で問うと
先の戦争で焼けたけど別の場所で営業しているとか。

なるほど!
土居川の相生橋近くに大寺餅はありました。



大寺餅!ひとつください。

「ひとつというのは、、、ちょっと」

ひと箱買わねばなりません。
小さなあんころ餅なんですね。

むっつ入っていて 525 円。

「昔はもっと大きな餅だったのかも知れません」と
店のおね~さんがいいます。

長塚節の松虫草では
三角な黄粉(きなこ)餅をみっつ串に刺したものとありますが。



堺は東洋のベニスといわれた港町。
いろんな物資が上陸していたのでしょう。

砂糖なんかも豊富にあったのでしょうか。
あんころ餅の嚆矢(こうし)がこの大寺餅だったのかも。

芥子(けし)の実もインドあたりから入ってきて
お菓子に使われたり
植えられてもいたのでは。

本家小嶋で芥子餅をふたつ買いました。1 個 115 円。

浅学にして心配したのですが
芥子餅がもしかして芥子(からし)餅だったら?!
ケシとカラシはおんなじ字ですよね?!自信がないけど。



シナモン(肉桂)も豊富にあったようです。

シナモンで作った餅も残っていました。
八尾源来弘堂で
肉桂餅をひとつ買います。210 円。



みんなまん丸だったのですが
ザックの中でいびつになって帰宅しました。
blog大寺餅.jpg



(敬称略)
コメント(2) 
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コメント 2

nao0880

堺の話題、懐かしく思えます。
大寺餅が、開口神社の境内にあったお店から始まったというのは聞いたことがありますが、少なくとも私の知る限り境内にお店はありませんでした。河合堂さんが作っていました。
大寺餅も芥子餅も食べた覚えがあります。ご近所ですから。
ほかに、かん袋のくるみ餅、曽呂利の大鏡、丸市菓子舗の斗々屋茶碗、青山盛月堂のむら雲などなど、古くからあるお店です。
芥子餅の本家小嶋とけし餅の小島屋は、たしか小島屋さんの方が拡販に注力してビルを建てたような記憶があります。
斗々屋茶碗は別名「UFO饅頭」と呼んでいました。
多くのお店・神社の若旦那・宮司さんたちは、地元の喫茶店に入り浸っていた頃の知り合いです。私を含めてサラリーマンになった人たちは各地に散ってしまいました。
by nao0880 (2013-09-12 08:23) 

ほっ

わぁ!たくさんありますね!
堺の歴史は違いますね。
今度おじゃましたときにいただきたいと思います。
ありがとうございます。
by ほっ (2013-09-12 08:33) 

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