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藤原宮跡のコスモス [解語の枯れ尾花]

香久山(かぐやま)があります。
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藤原京の藤原宮跡はコスモスの花園。

藤原京は日本最初の条坊制の都だと
遠い日に習ったような。
藤原宮は藤原京のまん真ん中に位置しているんですね。

以後の日本の京(みやこ)は
宮を北端に置いていませんか。
「玄武」に見立てた山を背負って。
この京はどうしてなんですか。
ま!いいです!お勉強は嫌いですから。

持統 8 年(694)に遷都だとか。
持統天皇は大化の改新(645)の年の生まれですから
もう 49 歳のときですか。

この時代の年表や人の配置は複雑で
歴史にうとい阿呆にはいつも分からなくなります。

持統女帝の父は
その大化の改新の主役を演じた天智天皇(中大兄皇子)!
13 才のときに父の弟!それも父母とも同じ弟の
大海人皇子(おおあまのみこ 後の天武天皇)に嫁し
天武帝崩御の後!逡巡したようですが即位。

藤原京は天武天皇の願いだったのかも知れませんが。



同道のアラフォー(around 40)の女史。
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後ろから注視すれば
いつの間にかプリンプリンと
おいしそうなお肉(?)になられましたね。
(失礼!このブログ!発見されないことを祈ります)

持統天皇の想像図がいっぱいありますが
私はふくよかな人だったような気がします。
このおね~さんのように。
根拠はありませんが。

藤原京の建設に 10 年費やしたとすれば
まさに持統帝のアラフォー時期。

目前のおね~さんが女帝に見えてきました。



藤原宮の真北に
耳成山(みみなしやま)も見えます。
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大和三山のもうひとつ
畝傍山(うねびやま)も見えるはずですが、、、。
あ!見えますね。
古事記に「白梼(かし)の尾根」と書かれている山が
建てものの影と逆光でぼんやり。
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昔の教科書には
藤原京は大和三山の内側としていたようですが
最近のジョーシキでは
大和三山も京の中にある大都城だったようです。



そんな跡地にコスモスですか。
藤原京時代にはなかった花ですが。

メキシコあたりが原産のコスモスは
明治以降の渡来でしょう。
1200 年の隔たりがありますけどね
現在からなら 1300 年の時空。

スペインに渡ったのも
18 世紀終わりから 19 世紀初頭のはず。

スペインで
ギリシア語の調和を意味するコスモスから命名。
どうしてそうしたのでしょうか。

たしかに周囲を乱しませんけどね。

病害虫は聞いたことがないし
伸びすぎて倒伏しても
倒れたままで枝葉を上に向けて
また咲き出す素直さがあります。

日本の名前は秋桜。
他にも呼称があるようですが!だいたい秋桜。
バラ科の桜と似ていますか。
色がピンクだからでしょうか。
でも!花弁の数なんかは違うでしょ。

脱線しますが!宇宙もコスモスですね!
世界の秩序・調和ですから。
コスメ(コスメティック cosmetic)は
調和ある化粧品のことかな?!

コスメティック!?
ふくよかで血色いい頬に白塗りの
持統天皇を想像して
またしてもアラフォーのおね~さんの
後ろ姿を凝視してしまいました。
すみません。



広いコスモス園には
これから咲かせる地区もありました。
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これがとてもさわやかに見えて!好きです。
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