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三輪山と妻問婚 [いわなが姫の丑の刻参り]

山の辺の道。
奈良県桜井市と天理市の境界あたり。
額田王(ぬかたのおおきみ)の長歌の碑。
blog000.jpg

反歌は

三輪山をしかもかくすか雲だにも
  心あらなむかくさふべしや

これが最後に見る三輪山かも知れないのに
雲が隠してしまうという
寂しい気持ちをあらわした歌でしょうか。

ここを通るとき
なぜか写真を撮ってしまいます。
わがアーカイブにはここの画像だらけです。
今回は初めて撮るおね~さんですが
やがてみなさんのように
遠い思い出の人になるでしょう。



今日の三輪山は晴れています。

古事記に
三輪山の名前の由来がありますが。

イクタマヨリヒメという麗しい娘のもとに
深夜美しい青年がやってきました。
だいたい!こんな場合の美男美女は
恋に落ちますな。
このときにも落ちたそうです。
あたりまえ過ぎて面白くないですが。

毎晩逢瀬を重ねると
やがて身ごもってしまいます。
親にしてみれば油断も隙もあったもんじゃない!

その男はいったいなにものなのか。
麻糸の先に針をつけておき
男の着物の裾に刺したのです。

翌朝!麻糸を追えば
かぎ穴を通って外に出ています。
糸は山の神社につづいていました。

神さまだったのですね。
用意していた麻糸は三勾(みわ)
すなわち三巻だけ残っていたそうな。

それでこの土地を「みわ」
漢字で美和とか三輪と書いたそうな。

四巻残っていたら四輪山となっていたかも。
近世になって自動車メーカーの聖地に
祀(まつ)りあげられていたかも。



日本書紀では
美男子が通ってくる美少女は
ヤマトトトヒモモソヒメですが。

姫はあるときイケメンの昼の姿を見たのですね。
蛇でした。
三輪山の神が
昼間は小さな蛇に化身していたのでした。

ついでにいえば
ヤマトトトヒモモソヒメは嘆いて
箸で陰処(ほと)を突いて亡くなります。
知りませんよ!なぜだ!?と聞かれても。
突いて死んだんだから死んだのでしょう。

亡骸を葬ったところが
三輪山の麓の箸墓(はしはか)古墳です。
拙ブログ 2012/05/12

古事記のイクタマヨリヒメの恋人も
蛇に化身して動いていたのかも。
かぎ穴から出入りしていますからね。



大昔から
神さまやら高貴な人は
男が女の家に忍び込む
妻問婚(つまどいこん)なんでしょうか。

しもじもの
夜這い(よばい)とどう違うのでしょうか。

妻問婚は結婚で
夜這いは犯罪のような気もしますが。

でも!勝手なもので
好みでない男がきたら犯罪!
いい男がきたら恋だというのでしょうねぇ。



妻問婚とはいえ
夜這いとはいえ
枕草子や源氏物語に接すると
いきなり少女の家に忍び込んで
押さえつけるというものでもないようですね。

この辺の仕組みを
まったく教えませんね!日本の教育は。
なっとらん!
「通い婚だといったら!通い婚だ!」なんて
大昔によく分からんから質問しているのに
叱られたりしました。

ていねいに応接しないと
グレるよ!私のような小心ものの若ものは。



情報交換があるのかな!初めは。

公達(きんだち)にも
お姫さまにも家族や親戚や取り巻きがいます。

「うちのお姫さまはきれいですよ」とか
「どこぞに麗しい姫君はいないでしょうか」とか
年ごろといううわさをふりまき
なにか引っかかったら!歌を作って
今ごろなら橘(たちばな)の花の枝にでも刺して
持って行かせることから始まるのでは。

すると向こうから歌のお返しがきます。

なん度かやり取りして
いい感じ!機が熟したら
いざ鎌倉と
深夜くるまを出してぞろぞろと行くのでしょうか。

もちろん!
器量はよくても頭の中は空っぽの公達も
お勉強はできるのですが詩心は欠如していて
歌を作れないお姫さまも。

取り巻きは阿呆では務まりません。

ご主人に代わって
ウィットに富んだしゃれた歌を
即座に作らねばなりません!たぶん。

悪筆もよくありません。
代筆もしなければならんでしょうなぁ。



余談ですが
今日(2015/05/15)は葵祭です。

蜻蛉日記(かげろふのにっき)の作者
え~と!名が伝わっていないので分かりませんので
仮に「蜻蛉さん」としてはなしますが
その蜻蛉が葵祭の見物にくるまで行きます。

早くから行って場所取りをするのだそうです。

ひょいと向こうを見れば
時姫のくるまがあります。

時姫も蜻蛉も藤原兼家(929 ~ 990)の妻ですが
時姫は後の関白太政大臣
わが世の春を謳歌した幸運児・道長の母ですから
兼家の多くの妻の中でも唯一名前が残っていますが。

長時間待ちくたびれて
作歌の得意な蜻蛉は
たぶん!いたずら心から
五七五と一首の半分を書いて
時姫に届けさせます。

さぁ!大変。
歌詠みの名手から上の句がきました。
時姫はたぶん
自分が第一夫人と自覚していたでしょうから
退く訳にはいきません。

時姫側の女房どもが
額を集めて練りに練ったものの
長時間かかったそうです。
それでも恥ずかしくない下の句を返したそうな。

宮仕えは今も昔も大変なんですね。



閑話休題。
通い婚にもどります。

無事に仲よくなったら夜だけせっせと通います。

こどもができます。

そのこどもの養育も
通ってくる婿殿の面倒も
かの女の親がみなければなりません。

婿殿の猟官運動の費用さえ負担するようです。

それが妻問婚かな。



ん?!
お姫さまの父親も通ってきて
かの女が生まれたのでは。

ということは
お姫さまの父親はよその家の人では。

なぜ!
娘が年ごろになったころ
その家にいるの?!

やっぱり!こういうことは
義務教育か
高校時代に
きちんと教えてもらいたかったものです。

そうすれば
拗(す)ねてグレない
健全な精神の国民が増えると思うのですが。
タグ:古事記
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