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かつお節弁当 艸墓古墳 西古墳 霊魂のゆらぎ [いわなが姫の丑の刻参り]

いいお天気の朝。
ちょっとした事由でひとりぼっち。
世間ではちょっとしたことでしょうけど
私の人生では破滅です。
ま!そんなたいそうなことではないですが。

桜井駅の近くです。
JRと近鉄がすり寄っている場所なのに
なんだかさびれた田舎街(失礼!)の様相。

奈良県の空気のきれいなところでも
新型コロナウイルス禍の
影響があるのでしょうか。

急に空腹を覚えましたが
さて!テキトーなものがありません。

ん!?
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「ほか弁 なつめ」が朝から営業しています。

「かつお節弁当」なるものがあります。
不調法なので
弁当店のメニューで聞いたことがありません。

税込み 500 円です。
しっかりとした値段です。



「かつお節弁当」をさげて歩きます。
どこか緑の中で食べたいもの。

寺川です。
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芦等の草が生い茂っています。
川はこうでなくては!
生物多様性のために。
ひいては人類の生存のために。

人類の生存の心配より
今日の自分の生存を心配しましょう。

川に降りる道が分からないので
さらに進めば若桜神社に出ました。

「桜の井」があります。
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なんの変哲もない井戸の跡のようですが
「桜井市」の地名の源!?
だれが作った伝承やら。

近くに樹木に囲まれた草原の
「土舞台」がありましたね。
とりあえず!そこに行きましょう。

坂道を上へ!上へ!しんどいこと!
簡単に朝食を摂らせてくれません。

やれやれ!着きました。
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あれ!?安倍山城跡でした。

大丈夫!隣接して「土舞台」があります。
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日本書紀に推古 20 年(612)に
百済人が呉から学んだ伎楽(くれがく)を
聖徳太子が少年たちに習わしたとありますが
その場所がここ!?

それでここを「芸能発祥地」としたらしい。

推古帝時代には
小墾田宮(おはりだのみや)がありますがね。
推定ですが!大きな宮殿ですよ。
そこではなく
どうしてこんなに離れた山の上で
舞っていたのですか。

近年!どなたかが比定したのですか。



まぁ!いい!そんなことは。
下手の考え休むに似たり。
おとなの事情があるんだべ。

弁当を!
かつお節弁当を食べなければ。

これ!?
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削ったかつお節がのっているから
「かつお節弁当」に違いないでしょうけど。

へ~!
感じ入りますね。

それに 500 円とはね。

私は!あくまでも私の考えでは
これよりうんと安価な
「のり弁当」のほうが好きですね。



安倍文珠院に寄ってみますか。

坂を西にくだっていたら古びた道標。
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「艸墓(くさばか)古墳」!?

うそでしょ!
ここじゃないでしょ。
古くなった道標を
杭かなにかに流用しているのでしょうか。

艸墓古墳にはめったに行かないから
記憶があいまいですが
この坂をもどってあがり
東にさがった途中だったような。

すれ違いのできないような道を
通らねばならなかったような。

あちらの坂の家と家のすき間かな。
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う回して行けば
幅員が 60cm もない片方が崖(!)の道。
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背を丸めて通り過ぎれば突然の古墳。
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見学するスペースが狭小。

玄室が開いたまま。
家形石棺も残存しています。
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あらためて見ると!
すごいじゃないですか。

墳丘が昔のままなら
玄室に比して小さいような。

今は名もなき人の墓。
どんな人だったのでしょう。



艸墓古墳を
さらにりっぱにした玄室があるのが
安倍文珠院にある西古墳。

ここも玄室が開いたまま。
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奥で魂のゆらぎを感じます。

あ!不動明王を祀っているのですね。
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霊魂ではなく!ろうそくの炎でした。

ここは壁も天井も大岩だらけ。
それもていねいに加工されています。

被葬者を
阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)と
寺では比定していますから
7 世紀中ごろの築造かな。

すると飛鳥時代!?
古墳時代終末期?!

墳丘が小さい。

この西古墳も艸墓古墳も
技術的には完成されていても
もう!巨大な墳丘を造ることは
禁止されていた時代なのかも。



ただ暑い夏がきましたね。

墓がないものは墓ない!儚(はかな)い!
儚い身でも
明日まで生きていましょう。
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