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淀川のテナガエビ [手のひらを太陽に]

淀川です。
新淀川大橋の下流!広大な河川敷。
水際には芦原が広がっています。

その芦原の中に
クリーク(人工水路)のような川があります。
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小橋の上にパラソル。
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老人がいます。
連日!見かけます。
テナガエビ専門の釣り人でした。



焼物に組みあはせたる富田蝦    桃隣

桃隣(とうりん 1649 ~ 1719)は芭蕉門下。
芭蕉とおなじ伊賀の人。
40 歳過ぎまで大坂に住んでいたようで
関西の景色を感じられる句も多いようです。

五月雨(さみだれ)の色や淀川大和川   桃隣

大和川は淀川に合流していたのですが。
1704 年に付け替えが施工され
大和川は堺の海に落ちるようになりました。

桃隣が大坂にいたときは
まだ!合流していたのでしょう。

それはさておき
「富田蝦」は「とんだえび」と読むのでしょう。
「富田(とんだ)」は
今の高槻市のJR摂津富田駅や
阪急・富田駅のあるあたり。

茶事かなんかのあらたまった席に
富田蝦が出たようです。

富田に有名なエビがいたのかどうか
まったく分かりませんが
このエビをテナガエビだというのが定説。

富田のどこで得たものやら。
池か沼か渓流か用水路か。
考えてみれば棲息域の広い生物かも。

川なら淀川水系でしょうね。
ここの老人の獲ものも
富田蝦とルーツはおなじかも。



先の大戦後!合衆国の占領軍の中に
農薬会社の回しものがいて!
ま!農薬会社ばかりではなく
小麦粉会社とかなんでもかんでも
アメリカ企業の
回しものだらけだったのですが!
日本国中に猛毒を
これでもかとまき散らしたのですね。

結果!生物多様性は悪と刷り込まれ
真っ先に小動物が犠牲になったようです。

小さなエビも姿を消してしまいましたが。
節足動物の宿命で神経毒には弱いそうな。

しかし!淡水のエビでは大型なのに
なぜか!テナガエビは生き残っていたとか。



淡水のエビを総称して
モエビといったりするそうな。

漢字で書けば「藻蝦」でしょうか。
藻(も)の中にひそんでいるから。
基本的に夜行性だという人もいますが。

だから!釣りのときには
釣り人の影を水面に落として
夜(?)を作り
影の中にエサを落としたらいいとか。

ホントですかね。
わが家の水槽のテナガエビは
昼間でも
隠れ家から出て歩いて(?)いますが。
危険がないと
さとっているのかも知れませんが。

那須良輔は
テナガエビと
モエビは違うといっていますが
細かいことは聞かないようにします!はは。



テナガエビの釣期は
八十八夜ごろから
2、3 か月といわれていますが
わが家の前の池では
年中!とき知らずのような。

それでも先日!(拙ブログ 2021/05/31
獲ったテナガエビは
まだ成長期の可愛いものでした。
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この老人も
まだ小さい型しか出ないといっていますが
私の獲ったものより
なん倍も大きな個体を釣りあげていました。



(岩満重孝著/百魚歳時記/)
(クック編集部編/おいしい魚図鑑/)
(服部善郎著/釣れて釣れてこまる本/)
(那須良輔著/魚と遊ぶ/)参照
(敬称略)
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