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古事記のカニの横走り!? [いわなが姫の丑の刻参り]

この蟹や 何処の蟹     (このかにや いずくのかに)
百伝ふ 角鹿の蟹      (ももつたう つぬがのかに)
横去らふ 何処に到る    (よこさらう いずくにいたる)

古事記です。

15 代・応神(おうじん)天皇が
木幡で可愛い娘を相手に
杯を傾けているときに詠んだ詩の
アタマの部分ですが。

角鹿(つぬが)は
日本海側の
今の敦賀に間違いないらしい。

敦賀のカニといえば
今は「間人(たいざ)ガニ」とか
「越前ガニ」とか
ブランド名で呼ばれるものと同じ
いわゆる「ズワイガニ」でしょうか。

飲んだところは木幡という集落。
「こばた」?!
JRでは「こはた」駅。
京阪では「こわた」駅。
いずれにしろ今は京都府宇治市。

木幡は琵琶湖の南です。
カニが日本海からはってくるには
遠いですねぇ。

そんなカニで酒盛りをしたのでしょうか。
傷んでないでしょうか。

カニとは
天皇自身のことをいっているのでは。

敦賀あたりから
向こうの女性の目を盗んで
横走りに?!
こちらの女性に会いにきたのでは?!
たいそう!女性に興味のある
天皇のようですから。

なんて!不謹慎な考えが浮かびました。

この天皇の出生は異例です。

神功(じんぐう)皇后が三韓征伐の途中
筑紫で産んで
帰朝した赤ちゃんは
角鹿で禊(みそぎ)しています。
そう!?その角鹿です!

また!入り婿(むこ)説もあるそうです。
遠くからやってきた説が多いんですね。

配偶者は記録にだけでも相当な数ですが
この木幡の女性のような
地方出身者がかなりいるみたいですから
それも地方住まいが長かったという
傍証になりませんか。

地方で横走り!?しているうちに
天皇家に入り!天皇になったのでしょうか。

次の 16 代・仁徳(にんとく)天皇から
宮居を今の大阪平野に移して
なかなか大和に帰りません。

応神帝と仁徳帝は
同一人物じゃないかという説があるようです。
入り婿の応神・仁徳帝は旧勢力が煙たく
奈良盆地を避けたともいえます。

余談ですが
この木幡の女性が産んだ娘が
仁徳天皇の皇后です。
仁徳天皇は応神天皇の息子ですから
妹を皇后にしているのですね。

応神帝と仁徳帝の
同一人物説が正しければ
娘を皇后にしているかも。

ん?!

応神天皇は
「蟹の塩辛を見ながら詠んだ」と
福永武彦は訳しています。

どこにそんな文言があったのですか?!
ともかく!塩辛説ですか!
それなら半分納得。

でも!シオマネキやらサワガニなら
簡単につぶして塩を混ぜれば
塩辛になるでしょうけど
ズワイガニをどう!つぶしますか?!



地下鉄西田辺駅近くの自称高級割烹「J」が
カニを皿に盛りつけていました。

「ケジャン」だとか。
ワタリガニのキムチらしい。
セコガ二(ズワイガニのメス)くらいな大きさですね。
本場には
大きなズワイガニのケジャンもあるらしい!?

ああ!それかも!?
応神天皇が食べていたのは。

三韓方面に出生の秘密がありそうな天皇ですし。
もっとも!
当時には唐辛子はないでしょうけど。

“ 写真を撮らせて ”

blogケジャン.jpg

「ついでに食べて行ったら」

それでは!いただきやす。
“ カニが小さい!身が少ない!”

“ いくら?”
「 600 円」
“ ええ!?高いんじゃない?!”

「そんなことはないよ!」
「ウチだって 180 円しか儲からん」
ウソやん!このケチが
そんなに高く仕入れてくるはずがない!?

(敬称略)
タグ:古事記
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