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Aマッソ!準優勝!おめでと! [パパラッチ!ママえっち?]

あああ!
準優勝です!
2 位です。
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初代笑けずりチャンピオンは
ザ・パーフェクトというコンビでした。

そのときのAマッソの顔。



東西 250 組の芸人の
「生き残りお笑いライブ」(拙ブログ 2015/08/22
「爆笑ファクトリーハウス 笑けずり」は
今夜(2015/09/25)が決勝戦。
TVは生放送でした。

Aマッソは残り 2 組まで残ったのですが。
残念でした。



今夜も家にTVのない私は
西田辺の自称・高級割烹に。

嫌われても堂々と
500 円置いて
勝手にビールを出してきて飲んでいました。

身びいきか
イケると思ったのですが。
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ボケと突っ込みが入れ替わる漫才かな。
ころころ入れ替わる漫才もあるのですが
ちょっと中途半端だったのが
視聴者の票が延びなかったのかな。

この番組は
「しゃべくり」に重点をおいたようで
コントより理解はしやすかった気はしますが
やっぱり!そんなに笑えない旧世代の頭です。
根性がひねくれているだけかも。



個人的な感想ですが
落語は素噺(すばなし)!
漫才は「しゃべくり」が心地いいのです。

昨今のお笑いコンビの舞台は
コントや
道具仕立てが多くて
なんだか理解できなく笑えないのです。

といっても
あまり寄席には行っていないこの頃ですが。

「しゃべくり」漫才の祖は
横山エンタツ・花菱アチャコなんでしょうか。

横山エンタツ(1896 ~ 1971)の
エンタツは関西弁で煙突のことらしい。
身長のあったかれのニックネームなんですね。

近世万才!つまり!
音曲万才・三曲万歳の祖といわれる
玉子家円辰(初代たまごやえんたつ 1864 ~ 1944)も
背が高かったので
エンタツというあだ名から芸名になったそうな。

玉子家円辰と横山エンタツに師弟関係はないようです。



花菱アチャコ(1897 ~ 1974)は
十代のころ
芝居の一座で下働きをやっていたとき
「拍子木」もやらされていたそうな。

その時代の喜劇の舞台は
最後の場面で役者全員が「絵」になるんだそうな。

全員動きを止めて静止。
同時に口を「あ」に開けて人形面になるとか。

間髪入れず
拍子木が「チョン」
幕がストンか!スルスル!

役者が「あ」でチョンやで!

なん度いわれても
いくら練習しても
うまく鳴らせられず叱られてばかり。

ほんの一瞬しかないそうな!タイミングは。

「あでチョンやで」ばかりいわれていたら
「あチョン」があだ名になったそうな。

「あチョン」から「アチャコ」の芸名に。

なんて!余談ばかりですみません。



でも!チャンピオンより
準チャンピオンの方が
生き残っているケースも結構ありますので
まだまだこれから。
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女・エンタツ・アチャコになって
田園調布に家が建つ日を信じましょう。

少なくとも
あたいは信じているケンね。
おばちゃん(片割れの愛子のおかあさん)
もうすぐラクができますよ。

あ!そうそう!
もっとハデな衣装にしたら。
もっと!オカマっぽく。



(敬称略)

(花菱アチャコ著/遊芸稼人/を読みました)
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