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のとキリシマツツジ なぜか明石原人 [解語の枯れ尾花]

ツツジ!?
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「のとキリシマツツジ展」が
長居植物園(大阪市東住吉区)で
開催(2017/03/07 ~ 12)されていました。

寒のもどりか
寒い風の吹く大阪で満開です。
花期は初夏でしょうけど
この展示に合わせて開花させているのですか。

「のとキリシマツツジ」とは!?
浅学なものは聞いたこともありません。
だいたい!ツツジもサツキもアザレアも
区別をつけずに暮らしています。

物集高量(もずめたかかず)が
好色な武帝の逸話から
「ツツジ」は「躑躅」と書くといっていますが
それは日本だけの表現で
漢字のホンバの大陸では「杜鵑」と書くらしい。
「つーちぇん」と読めば
「ツツジ」に変化するかも。
「杜鵑」は日本では「ホトトギス」かな。



キリシマ(ツツジ)も
ミヤマキリシマ(ツツジ)も
おんなじものかと思っていたのですが
調べれば!
ま!メンドくさいのであんまり調べませんがね!
まったく違うもののようです。

昔から私の周囲では
サツキを育てている人ばかりでしたが
ツツジもすごい!きれいです。

「のとキリシマツツジ」は常緑ですね。
その緑色の葉を隠してしまうほどの
花をつけていました。
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能登半島には
樹齢 100 年を越える古木が
500 本以上現存しているそうな。



横の自然史博物館の前で
ナガスクジラとマッコウクジラが泳いでいます。
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久しぶりにお勉強(するふりを)しに入館。

特大なスカラベ(糞ころがし)がいます!?
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10 倍にした模型ですか!驚かさないで。
前の箱にいるのがホンモノ!?

アカシゾウ(アケボノゾウ)(左側)がいました。
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小さいですね。
これはちぢめて作っている!?
そんな訳ではないですよね。
標準的な体長が 2m ほど。
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アカシゾウとは明石の象?!
明石海峡や西八木海岸では
古来から!今も!
たくさんの化石が出てきているとか。

人の腰骨も出ているんですね。
明石原人でしたね。

昭和 6 年(1931)4 月 18 日の夕刻
崩壊土から少し出ていたもの!
人の骨!?
直良信夫(なおらのぶお)の直感が
「明石原人の発見」です。



長居植物園に
明石植物群のエリアがありました。
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アカシゾウや明石原人は
こんな森で生きていたのでしょうか。
あ?!
いっしょに生きていたのじゃなかったですか。
アカシゾウと原人とは
ときの隔たりが大きかったような。
100 ~ 200 万年くらい?!

明石原人は幻の原人になってしまいました。

腰骨の化石は
昭和 20 年(1945) 5 月 25 日
アメリカの爆撃で消えました。
現在!人骨は
モノクロの写真しか残っていません。

北京原人とおなじころの原人説。
ネアンデルタール人のころの旧人説!
ずいぶん新しい!
1 万年前にもさかのぼらない縄文人説!と
いろいろあるようですが
ブツが残っていたら
たぶん!判別できる世になっているのに。

明石海岸の環境では
いや!日本の土壌・風土では
もう!なかなか骨は出ないでしょうね。

でも最近!
旧人の生活の痕跡は見つかったようですが。
だれか!なにかは住んでいたのでしょう。

私も 2、3 度
海岸沿いを歩いたことがありましたが。
でも!歩くことに疲れて
そんな学問的な思いはなくとぼとぼでしたね。



ときの流れが重い。
ヒトの!特に!私の一生は軽い。

なんか!気が遠くなってきて、、、!
無能なままの短い残された日々に戦慄が走り、、、!
うちひしがれて!
昼休みもとっくに過ぎているので!
帰ります。

まだ!梅林には花があります。
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カメラの三脚も迷惑千万ですが
写生のキャンバスの厚顔にも
おなじくらい興奮させられますね。

うちひしがれていた心が起きあがりますぞ!
自分が図々しいのに
図々しいヤツにはむかっ腹が立つんです。



(講談社/園芸大百科事典/)
(物集高量著/百三歳。本日も晴天なり/)
(直良三樹子著/見果てぬ夢「明石原人」/参照)
(敬称略)
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