豊国神社から豊国廟へ [平安京有情]
耳塚(京都市東山区)に
民族衣装を着用の人たち。
なにをしているのでしょう。
豊臣秀吉の朝鮮出兵・慶長の役のとき
討ち取った敵の首級(しるし)は
遠路なのでやめて
代わりに
耳や鼻を削ぎ取って持って帰ったとか。
それを埋めたところ。
豊臣秀吉を祀る豊国神社。
地元に人は「ほうこくさん」といいますが
「とよくにじんじゃ」が正式な読みかな。
今日(2018/09/28)は
「おもしろ市」だとか。
京都市内は「市」の多いところ。
どこかで!大げさにいえば毎日のように
なにかの市が開催されているような。
豊国神社の門扉の中の境内は
整然として!静寂を保っています。
一般の人が入れないのですから当然です。
おなじみのひょうたんの形の絵馬。
あれ!?
わらじの形の絵馬もあったのですね。
秀吉といえば
「ぞうりとり」から出世したという
イメージが強いからかな。
隣接の方広寺の梵鐘を仰ぎます。
日本三大梵鐘のひとつ。
政争の具に翻弄(ほんろう)されて
それでも 400 年!頑張っています。
秀吉・秀頼が建立した大仏殿跡。
東大寺の大仏殿をしのぐ規模だったそうな。
大仏殿は江戸時代になっても残り
1798 年落雷によって焼失したとか。
豊国神社から大仏殿跡へ
さらに豊国廟の参道へ
目的を決めている訳でもないのに
もうなん年もきていないのに
足が覚えているのか勝手に進んでいます。
あ!余談ですが
豊国廟は「とよくにびょう」ではなく
「ほうこくびょう」と読むようです。
京都女子大学の関係の学舎がならぶあたりに
ぽつんと鳥居が。
扁額(へんがく)はないのですが
豊国廟のものでしょうか。
この鳥居とは関係ないと思うのですが
横に新日吉(いまひえ)神宮があります。
境内のスダジイの巨木に会いに行きます。
たびたびの大風にも大丈夫だったようです。
機会があれば椎の実を拾いにきましょう。
「東山三十六峰」
「草木も眠る丑三つどき」
無声映画の弁士の語りで有名な
東山三十六峰のひとつ
阿弥陀ケ峰の上に
秀吉の眠る豊国廟があります。
入山料は 100 円。
この前まで 20 円か 50 円だったような。
はは。いつのときのことやら。
階段です。
どこまでつづくのかと思えるほど。
ひと息つける踊り場がないのですね。
その代わりか
踏面(ふみづら)を
広い!狭い!と交互にした
工夫をしているようです。
(下に向いて写しています)
やれやれ。
と思ったら!まだまだ先が!
秀吉は静寂の中。
西方浄土に向いて眠っています。
その昔!眼下には
方広寺の広大な境内がありました。
巨大な大仏殿の向こうに
本願寺(今の西本願寺)の
大屋根が見えていたはず。
その延長線上に
西方浄土があるのです。
そんな秀吉の夢!
徳川幕府が面白いはずがありません。
すると取り巻きが騒ぎ
妖言!放言が飛びかい
諫言(かんげん)!進言!
讒言(ざんげん)にまどわされ
忖度(そんたく)の雨あられ。
方広寺の梵鐘の
「国家安康」「君臣豊楽」の銘文に
無茶ないちゃもんをつけるありさま。
結果!方広寺はバラバラ。
秀吉の墓は破壊。
秀吉の眠る阿弥陀ケ峰の真ん前に
新日吉(いまひえ)神宮を置き
秀吉が
西方浄土に行けないようにしたのです。
さらに秀吉が
懇意な本願寺が見えぬように
本願寺の東側にもうひとつ
本願寺(東本願寺)を建てて遮断。
秀吉の怨霊封じに奔走しています。
やっぱり後ろめたく
落ち着かなかったのでしょうね。
西方浄土!見えませんねぇ。
今のぼってきた急坂があるのみ。
長居は無用!くだります。
しばらくこなかったのに
なんの変化もありませんね。
これとおなじような文章!
おなじ内容のブログ!
もうなん度も書いているような。
なんの進歩もありませんね。
民族衣装を着用の人たち。
なにをしているのでしょう。
豊臣秀吉の朝鮮出兵・慶長の役のとき
討ち取った敵の首級(しるし)は
遠路なのでやめて
代わりに
耳や鼻を削ぎ取って持って帰ったとか。
それを埋めたところ。
豊臣秀吉を祀る豊国神社。
地元に人は「ほうこくさん」といいますが
「とよくにじんじゃ」が正式な読みかな。
今日(2018/09/28)は
「おもしろ市」だとか。
京都市内は「市」の多いところ。
どこかで!大げさにいえば毎日のように
なにかの市が開催されているような。
豊国神社の門扉の中の境内は
整然として!静寂を保っています。
一般の人が入れないのですから当然です。
おなじみのひょうたんの形の絵馬。
あれ!?
わらじの形の絵馬もあったのですね。
秀吉といえば
「ぞうりとり」から出世したという
イメージが強いからかな。
隣接の方広寺の梵鐘を仰ぎます。
日本三大梵鐘のひとつ。
政争の具に翻弄(ほんろう)されて
それでも 400 年!頑張っています。
秀吉・秀頼が建立した大仏殿跡。
東大寺の大仏殿をしのぐ規模だったそうな。
大仏殿は江戸時代になっても残り
1798 年落雷によって焼失したとか。
豊国神社から大仏殿跡へ
さらに豊国廟の参道へ
目的を決めている訳でもないのに
もうなん年もきていないのに
足が覚えているのか勝手に進んでいます。
あ!余談ですが
豊国廟は「とよくにびょう」ではなく
「ほうこくびょう」と読むようです。
京都女子大学の関係の学舎がならぶあたりに
ぽつんと鳥居が。
扁額(へんがく)はないのですが
豊国廟のものでしょうか。
この鳥居とは関係ないと思うのですが
横に新日吉(いまひえ)神宮があります。
境内のスダジイの巨木に会いに行きます。
たびたびの大風にも大丈夫だったようです。
機会があれば椎の実を拾いにきましょう。
「東山三十六峰」
「草木も眠る丑三つどき」
無声映画の弁士の語りで有名な
東山三十六峰のひとつ
阿弥陀ケ峰の上に
秀吉の眠る豊国廟があります。
入山料は 100 円。
この前まで 20 円か 50 円だったような。
はは。いつのときのことやら。
階段です。
どこまでつづくのかと思えるほど。
ひと息つける踊り場がないのですね。
その代わりか
踏面(ふみづら)を
広い!狭い!と交互にした
工夫をしているようです。
(下に向いて写しています)
やれやれ。
と思ったら!まだまだ先が!
秀吉は静寂の中。
西方浄土に向いて眠っています。
その昔!眼下には
方広寺の広大な境内がありました。
巨大な大仏殿の向こうに
本願寺(今の西本願寺)の
大屋根が見えていたはず。
その延長線上に
西方浄土があるのです。
そんな秀吉の夢!
徳川幕府が面白いはずがありません。
すると取り巻きが騒ぎ
妖言!放言が飛びかい
諫言(かんげん)!進言!
讒言(ざんげん)にまどわされ
忖度(そんたく)の雨あられ。
方広寺の梵鐘の
「国家安康」「君臣豊楽」の銘文に
無茶ないちゃもんをつけるありさま。
結果!方広寺はバラバラ。
秀吉の墓は破壊。
秀吉の眠る阿弥陀ケ峰の真ん前に
新日吉(いまひえ)神宮を置き
秀吉が
西方浄土に行けないようにしたのです。
さらに秀吉が
懇意な本願寺が見えぬように
本願寺の東側にもうひとつ
本願寺(東本願寺)を建てて遮断。
秀吉の怨霊封じに奔走しています。
やっぱり後ろめたく
落ち着かなかったのでしょうね。
西方浄土!見えませんねぇ。
今のぼってきた急坂があるのみ。
長居は無用!くだります。
しばらくこなかったのに
なんの変化もありませんね。
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おなじ内容のブログ!
もうなん度も書いているような。
なんの進歩もありませんね。
2018-09-29 01:00
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