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梅川忠兵衛 桃の山の花見はいずこ [いわなが姫の丑の刻参り]

東高津公園(大阪市天王寺区)の
北西の交差点。
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ん?!
梅川と忠兵衛の墓ですね。
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すっかり忘れていましたが。

好まなくても大阪在住が長くなると
いろんなところを徘徊していますが
すぐ記憶から消えています。

新町の遊女の梅川を身請けしようと
忠兵衛が公金 300 両に手をつけて
処刑されたのは宝永 6 年(1709)のこと。

近松門左衛門がすぐさま!この事件を元に
浄瑠璃「冥土の飛脚」を発表しました。

そんな悪い人(!)の
墓なんか立ててもいいの!?
その時代の世間か
為政者かは許しませんよね。

あ!やっぱり!ここには遺骨はないのかも。
この墓は安政(1854 ~)のころのもの!?
事件(1709)からずっと後
150 年ばかり経ってからの供養墓。

この墓のあった伝光寺もなくなり
今ではにぎやかな交差点脇に
ぽつんと残っています。

どこかしかるべき境内に
移せないものでしょうか。



少し東に歩いてみると
高津高校の校庭に
仁徳天皇の「高津宮址」の碑がありました。
blog03高津宮址.jpg

明治 33 年(1899)に建てられたもの。

当時のエラい(!)学者たちが
忖度(そんたく)して
ここと決めたのでしょうね。

そもそも仁徳天皇はいたの?!
いたとしても
日本書紀の記述はどこまで真実なの!?

シロート考えですが!応神・仁徳帝ごろに
皇統が入れ替わっているような。
その整合性をとろうと
無理に創作した部分が多いような。



さらに東に行けば「味原町碑」が。
blog04味原町碑.jpg

このあたりに
花見の名所の味原池があったらしい。

南に帰ります。

「桃山跡」の碑があります。
blog05桃山跡.jpg

産湯稲荷神社ですね。

この周辺は桃の山だったのですね。
先ほどの味原池の花見も
桃の花だったのかも。

緒方洪庵の適塾(適々斎塾)の
塾生だった福沢諭吉たちも
大坂城跡の東に花見に行っていますが
それは!やっぱり!桃の花だったのでは。

私が確認できることは少ないのですが
JR大阪環状線の「桃谷」駅は
明治 18 年(1885年)の地図には
梅田鉄道「桃山停車場」とあります。

今の大阪環状線の東付近!
広範囲に桃の山があったと考えられます。

ちなみに明治天皇の桃山御陵が造られて
だれかが忖度して
「桃山」じゃ不敬!
改名しようと叫んだのでしょうね。

それでかどうか!大正時代からの地図には
「桃谷」駅と表示してあります。



近鉄・大阪上本町駅に着きました。

地下街にもぐり
「うえほんまちハイハイタウン」を歩けば
ランチはどれでも 640 円?!
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「日本酒の店 はなきん」!
居酒屋のランチですか。

「おばんざい膳」があります。
京都の懐石風でしょうか。
上品なこと(顔に似合いませんが)
私好みかも。

はぁ。
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これですか。

1 品を 1 食器にちょこんと盛り
面積の大きなお膳にしたら
気分が違うのかも知れませんが。

そう心に描いていただきましょう。

え!?
640 円に消費税がかかるんですか!



近鉄・大阪上本町駅から
大阪メトロの谷町九丁目駅まで
地下通路を歩きます。

ん!?
blog08.jpg

パンダの穴!?
ガチャ(ガシャ!)ですか。
blog09やるきが寝.jpg

この道はまったく暗いのですが
カプセルトイなんでしょうか。

こんな自販機のものも!
カプセルに入っているの?!



(福沢諭吉著/福翁自伝/)参照
(敬称略)
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