織田作之助のどて焼き [絵に描いたどじょう地獄]
織田作之助の「夫婦善哉」に
「ドテ焼」という食べものが書いてあります。
「どてやき」と読むのは明らかですが。
「夜店」「2 銭」
「豚の皮身を味噌で煮詰めたもの」とか。
「どて焼き」といえば
大阪の居酒屋や串かつ屋なんかには
よくある酒の肴ですが。
それは牛のすじ肉を味噌で煮込んでありますね。
「夫婦善哉」は昭和 15 年(1940 年)の発表。
そのころの大阪の「どて焼き」は
豚の皮身だったのですか。
そもそも豚肉もあったのですか。
織田作之助は
昭和 21 年(1946 年)発表の「アド・バルーン」にも
「ドテ焼」を書いています。
ん?!
それは
「夜店」「1 串 2 厘」
「豚のアブラ身の味噌煮(だ)き」!?
「アブラ身」とはなんですか。
脂の多い「ばら肉」のことでしょうか。
「ラード」そのものじゃないですよね。
ラードなら無料でもらえたりしますが。
(ん!?豚肉の横にありましたが!これヘットかも?!)
味噌煮ならみんな
「どて(土手)焼き」というのでしょうね。
今の大阪のどて焼きは
砂糖もたくさん入れていますが。
「夜店」の「ドテ焼」は高価なものじゃないですよね。
皮身は 2 銭!
「2 銭」とはいかほどでしょう。
100 銭が 1 円でしょうか。
アブラ身は 2 厘!
1 厘は 1 銭の 1/10 でしょうから
「2 厘」とは大変安いような!
豚のバラ肉の脂の多い安いところを
下茹でしてから
水に味噌と味醂と砂糖を溶いて沸かした中で
ことこと。
それなりにおいしくできました。
が!
これじゃないでしょうね。
当時の豚肉の「ドテ焼」は。
「ぼくは幼稚園のとき!どて焼きを食べて!感激!」
父親の行きつけのこ汚い居酒屋で食べた味が忘れられず
長じて日本料理の板前になったという人がいます。
そんなことで 1 軒の小料理屋を持つまでになりましたか。
ちなみにそのこ汚い居酒屋は今でもこ汚いまま!
私は知らないこともないですが
ここには書きません!書けません。はは。
「あのときのものは牛のすじ肉でしたが」
「大阪の基本のどて焼きは豚の内蔵です」
なんて!私を仰天させるようなことをいい出しました。
そうですか!
業界ではそんな歴史が常識ですか。
織田作之助の「ドテ焼」は昭和初期の
「大阪の」「どて焼き」に間違いないんですね。
(敬称略)
「ドテ焼」という食べものが書いてあります。
「どてやき」と読むのは明らかですが。
「夜店」「2 銭」
「豚の皮身を味噌で煮詰めたもの」とか。
「どて焼き」といえば
大阪の居酒屋や串かつ屋なんかには
よくある酒の肴ですが。
それは牛のすじ肉を味噌で煮込んでありますね。
「夫婦善哉」は昭和 15 年(1940 年)の発表。
そのころの大阪の「どて焼き」は
豚の皮身だったのですか。
そもそも豚肉もあったのですか。
織田作之助は
昭和 21 年(1946 年)発表の「アド・バルーン」にも
「ドテ焼」を書いています。
ん?!
それは
「夜店」「1 串 2 厘」
「豚のアブラ身の味噌煮(だ)き」!?
「アブラ身」とはなんですか。
脂の多い「ばら肉」のことでしょうか。
「ラード」そのものじゃないですよね。
ラードなら無料でもらえたりしますが。
(ん!?豚肉の横にありましたが!これヘットかも?!)
味噌煮ならみんな
「どて(土手)焼き」というのでしょうね。
今の大阪のどて焼きは
砂糖もたくさん入れていますが。
「夜店」の「ドテ焼」は高価なものじゃないですよね。
皮身は 2 銭!
「2 銭」とはいかほどでしょう。
100 銭が 1 円でしょうか。
アブラ身は 2 厘!
1 厘は 1 銭の 1/10 でしょうから
「2 厘」とは大変安いような!
豚のバラ肉の脂の多い安いところを
下茹でしてから
水に味噌と味醂と砂糖を溶いて沸かした中で
ことこと。
それなりにおいしくできました。
が!
これじゃないでしょうね。
当時の豚肉の「ドテ焼」は。
「ぼくは幼稚園のとき!どて焼きを食べて!感激!」
父親の行きつけのこ汚い居酒屋で食べた味が忘れられず
長じて日本料理の板前になったという人がいます。
そんなことで 1 軒の小料理屋を持つまでになりましたか。
ちなみにそのこ汚い居酒屋は今でもこ汚いまま!
私は知らないこともないですが
ここには書きません!書けません。はは。
「あのときのものは牛のすじ肉でしたが」
「大阪の基本のどて焼きは豚の内蔵です」
なんて!私を仰天させるようなことをいい出しました。
そうですか!
業界ではそんな歴史が常識ですか。
織田作之助の「ドテ焼」は昭和初期の
「大阪の」「どて焼き」に間違いないんですね。
(敬称略)
2013-07-10 01:00
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