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安土城の甦る三ツ矢サイダーの地 [町道!街道!眠り未だ足らず]

能勢電・山下駅の近くに東谷小学校があります。
その前に「東谷村」と書かれた石碑が
捨てられたようにありました。
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昔は東谷村だったのですね。
今は兵庫県川西市でしょうか。

南下すれば
東谷中学校がやはり名前をとどめていました。

中学校の横に
市杵島(いちきしま)神社が
セミ(蝉)の声をまとっていました。
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閑さや岩にしみ入蝉の声 ばせを
(しずかさや いわにしみいる せみのこえ 芭蕉)

蝉の声が「閑」ですか。
すごいですね。
芭蕉の 46 歳のときの作。
たくさん作品を残した年令ですね。

私にはなん年経っても分らん。
気を取り直してさらに歩けば頼光寺。
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ここは源満仲(912 ~ 997)を祖とする
清和源氏の発祥の地。
この寺も満仲ゆかりの古い創建だそうですが
別称「あじさい寺」も
本堂再建も最近のことのようです。

畦野(うねの)駅の前を通って能勢電沿いを下れば
一の鳥居駅前に城郭がそびえています。
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大阪青山大学の歴史文学博物館?!
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信長の安土城をモデルにしているらしい。
すごいですねぇ。
私学はお金持ちですね。

感心だけして
博物館に入場を忘れてキャンパスを出てしまいました。

さらに炎天下を下れば
平野駅近くに「三ツ矢塔」がみえてきます。
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天然炭酸ガスを捕集するための設備だったそうです。

この炭酸ガスを使って作られた
「三ツ矢平野水」が
明治 17 年(1884 年)ごろから販売されたとか。

後に「三ツ矢(シャンペン)サイダー」という
大ヒット製品が生まれたそうです。

塔の裏にある建てものは
「御料品製造所」と書かれています。
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明治 30 年(1897 年)東宮(後の大正天皇)の
御料品に指定され
明治 45 年(1912 年)にこれを建てたのですね。
案外!こぢんまりとしていますね。

その横に三ツ矢サイダーの碑と祠(ほこら)・住吉社が。
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「三ツ矢」は「満つ矢」だとか。

「満つ」は「満仲」のみつ。
ここにも源満仲が出てきます。

満仲が居城の地を求めて
住吉大社に祈念して鏑矢(かぶらや)を放ったら
この地に落ちたそうな。
飛んだものですねぇ。

だから!祠は住吉社なんですか。

その本拠地に行きます。
今は多田神社になっています。
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あ!?
丸い窓が。
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社殿の奥に丸い窓?!
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はは!
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奥の植木の丸い刈り込みが見えていただけ。
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暑い。
もう!思考力が失せて
幻覚がゆらゆらの真夏の白昼です。
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