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マロニーちゃんで小田巻き蒸し [こな(粉)もん]

そぞろまた
「小田巻き」(拙ブログ 2019/01/20)を
思い出したりして。

小田巻きは簡単にいえば
うどんを入れた茶わん蒸しのことですが。

大阪育ちの
アラフォー(around 40)のおね~さんが
「船場発祥の料理」といっていましたね。

100 年ほど前の聞き書きの
農文協/聞き書 大阪食事/の
船場薬種問屋のところ!
夜なべ仕事で空腹時に
「夜なきうどん」を食べています。

使用人たちは
具はかまぼことネギだけのうどん。

主の家族の夜食は小田巻き蒸し。
「小田巻き」とは
「小田巻き蒸し」の略でしょうね。

小田巻き蒸しには
かまぼこ!生麩(なまふ)!ぎんなん!
ゆりね!椎茸!焼きあなご!
さらに伊勢えびのぶつ切り!?
なんと豪華なうどんでしょう。


大谷晃一著/大阪学/によると
明治時代には
大阪のどこの町内にもうどんやがあり
小田巻きが一番高いうどんだったそうな。

ちなみにそのころ
「てんぷらうどん」はなかったそうな。
「てんぷら」は高価でぜいたくだったから。

伊勢えびのぶつ切りより高いなんて!?
ちょっと想像がつきませんが。

ともかく小田巻きは豪華なので
丁稚にはあたりません。



それで思い出すのが
谷崎潤一郎の小説の「船場」もの。

船場生まれの三島佑一は
主と雇用者を
武家の主従の関係と
おなじように書いているのは
少しおかしいといっています。

船場の使用人は
家来や先祖からの
家の子郎党じゃないというのですね。

たしかにうどんの場合をみても
いろいろの伝聞でも
「使ってやっている」という
旦さんもいたようですが
「でがわり」という制度がありました。

「旦那もついて出たいでかはり(文化 いろは引)

奉公人は
半年契約で入れ替わっていたそうな。

せっかく御寮さん(妻)にナイショで
仲よくなった下女が出て行くのはつらい!
知らんけど。

下女のほうも

「恩を知り出がはりの下女涙ぐむ(明治 京にしき)



はなしの澪(みお)が
さらに土手にあがりますが
先日亡くなったドナルド・キーンが
たとえば「細雪」では
「谷崎が東京生まれでありながら
「関西弁を使わなければ
「小説全般の雰囲気を
「充分醸すことができなかった
といっていましたが。

三島にいわせば
谷崎文学の船場のことばは
「船場ことば」じゃないそうな。

「船場ことば」にはない
野卑なせりふが多いそうな。
方言指導した人が
河内弁だったのでしょうか。



と!場末の居酒屋で
職場か家庭かその両方かで
なにか面白くないことがあるのか
最近!猛スピードで酒をあおり
短時間でガクッときて
目もうつろになって醤油はこぼす
箸は放り投げるお堅い職業のおじさんに
2、3 回に分けて
くどくどとしゃべったのですが。

前記の文がその半分ほど。
しかし!なんだか!こちらも酩酊していて
今!書いていたら
小田巻きの説明というには情けないような。

居酒屋で聞いてくれていたおじさん!
ごめんなさい。
たぶん!
早く帰宅したくないから
こちらにつきあっていただけで
なんにも頭に入ってないでしょうけど。



ということでで
「小田巻き」関連だと思っていた
私の酩酊ばなし!
以下!省略します。

夜食に小田巻きを作ります。

材料。
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牛肉!カニ(ただし!カニかま)!
ミックスベジタブル(冷凍)!小松菜!
もちろん鶏卵!
スープは粉末のたまねぎスープ!
醤油と味醂で少し調整。

うどんではなく
マロニー(拙ブログ 2018/12/31)を使います。

できました。
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船場でいえば
旦さんや御寮さん並みですな。

あ!餅も入れようと出していたのに
まったく忘れていました。



(上記図書の他)
(ドナルド・キーン著/日本語の美/)
(三島佑一著/船場道修町/他)参照
(敬称略)
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河内弁の枚方宿 [町道!街道!眠り未だ足らず]

春の陽気に誘われて
少しだけ京街道を歩いてみます。

京阪・枚方公園駅から少し歩けば
枚方宿鍵屋資料館があります。
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鍵屋は 1910 年まで船宿だったのですね。
今!まさに出立するところの
訳ありそうなカップルがいます。
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船宿の後はおよそ 1 世紀
1997 年まで料亭だったとか。
2 階の宴会場(?)に雛飾り。
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桃の節句は 3 月 3 日より
関西は 4 月にしたほうが似合うような。

「くらわんか舟」です。
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横の淀川を行く三十石舟に寄りつき
旅行者に
餅とか汁ものを販売していたのですね。
そのときのかけ声が「くらわんか」!?

漢字で書けば「食らわんか」
標準語(?)になおせば「食え!」?!
あるいは「食わないか」「食ってみろ」?!

もしかしたら「お食べください」!?
ここは河内!
ま!北河内というほうがいいのでしょうけど。

河内弁は他国のものからみれば
けんかを売っているようにしか!
野卑にしか聞こえないかも知れないけど
かれらは先祖から受け継いできた
上品なことば!?
そうでなくてもフツーの会話かも。

客はその暴言(?)に食べた食器を
投げて返したのかも。

今も淀川の底には
そのとき回収できなかった茶わんが
沈んでいるといううわさ。
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京街道を北上します。
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京都に向かうときは京街道!
大坂(大阪)に行くときには
大坂街道と呼んでいたと考えられます。

大坂に行くには三十石舟を利用していても
落語なんかを聞くと逆コースの「舟」は
あんまり聞かないような。

たぶん!
くだりの舟は流れのままに進みますが
逆は人や牛馬で引かねばならず
運賃を高く請求されるので
自分の足を利用するにかぎる?!

本陣跡。
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なんにもないですがね。

淀川のあちら側
右岸には西国街道があります。

西国街道は余裕がなくて
こそこそと急がねばならない
訳あり大名行列専用になっていたらしい。

昔のはなやかさを知っている灯籠。
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向こうに「宗左の辻」の道標。
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こちら側の古い石には
「くじら」?!
じゃないですね。
「くらじのたき」とあるのですね。

東の交野市にある
今の倉治(くらじ)公園の
源氏の滝(別称・倉治の滝)への案内ですか。

さらに進めば「枚方橋」の親柱。
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川はありません。
暗渠になってしまったのかな。



枚方市駅に着きました。
ひと駅だけ歩いたことになります。

駅前に威容を誇るビル。
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「枚方 T-SITE」だそうな。

8 階のレストランにあがってみましたが
行列ができている店舗ばかり。
すごく高価なランチばかり。
枚方市民は大金持ちばかり!?

そうなると急に空腹を覚え
駅の周辺を徘徊するものの
優柔不断で懐中不如意では
ムダ足ばかり!はは。

結局落ち着いたところは
関西医科大学の学生食堂。

定食は日替わりで 2 種類。
Aが肉!Bが魚系かな。
どちらも 450 円(税込)!
ただし!よそもので!
学生でもないので 515 円。

B定食をもらいます。
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この日はカレイのから揚げに
甘酢あんがかかっていました。

たぶん!年収が
下の端 2,000 万円くらいはある家の子女しか
私大の医学部には通えないでしょうから
ここには貧乏人はいないはず。

それにしては
質素なメニューの学食ですね。

よけいなおせっかいですが。
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淀水路の河津桜 2019 [解語の枯れ尾花]

淀水路(京都市伏見区)の早春。
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淀緑地(淀水路)の河津桜の季節。

立派な祠のお地蔵さま。
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ここならゆっくりお花見ができますね。
ん!?
木津釈迦堂?!
お釈迦さまでしたか。

木津釈迦堂というと
この水路は木津川の支流!?
ではないですよね。
宇治川と桂川を結ぶ水路のようなのですが
どちらから
どちらへ流れているのか未だ知りません。

このあたりはなん世紀にもわたって
川筋がうねりつづけ
幾回となく大規模な改修があったところ。

あんまり整備し過ぎる(!)と
情緒はないですね。
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菜の花も
もう少し元気に豊富ならいいのですが。
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ともかく宇治川のほうへ。
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川岸に寺院が集まって(?)います。

門前に榎本武揚の書の
「戊辰之役東軍戦死者之碑」がある長圓寺。
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新政府軍に押されていたとき
東軍(旧幕府軍)は
このすぐ近くの淀城に入場を拒否され
哀れな末路をたどったようです。

老中・稲葉正邦の淀藩が裏切るとは!?
稲葉正邦は養子のため
城代家老が政務を
ほしいままに動かしていたのですか。
しかも城主は留守だったのですね。

わ!
閻魔(えんま)大王さま~!
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「新選組のゆかり」の閻魔だとか。
どんな物語があるのでしょう。
まさか!
「おじゃる丸」は出てこないでしょうけど。

再び!水路へ。

椿(ヤブツバキ)がたくさん並んでいます。
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今は桜に注意が集まり
赤い花に振り向く人はまれですが。

河津桜がきれいに咲いているのに
なんですか!?
フェンスで囲っています。
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今年は水路が明るくなっているような。
たぶん!
雑木がたくさん伐り倒されていたからですね。
ここの桜以外の木々も
これから伐られるところなんでしょうか。

剣先かな?
剣尾かも!水の流れの向きが分かりません。
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風が強く!体感温度が低いのに
大勢がお花見としゃれこんでいます。
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宴を見るのは寂しいですねぇ。
根性がひねくれていますから。はは。

だれも宴の後が寂しいことでしょう。
戊辰之役でもなんでも
「勝てば官軍」なんて切ないですね。

淀緑地の端には
白い梅花と桜花が
妍(けん)を競っていました。
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宇治川の堤防にかけあがります。
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菜の花が風に震えていました。
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元之蔵の朝食バイキング 錦市場の聖護院大根 [たべほ!ブフェ!バイキング!]

お!
まだ営業していますね!
日は高くなっていますが。
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ダイワロイネットホテル京都四条烏丸。
その 1 階の
「あぶり 元之蔵(元は木偏つき)」に入店。
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もう 9 時半。
客はほとんどいません。

「あと 30 分あります」
「先にホテルのフロントで」
「支払ってきてください」

この時間がないときに!
どこですか!フロントは!
急いで 1,200 円(税込)払ってきます。

さつまいもの
芋粥(いもがゆ)がありました。
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香のものの種類が
たくさんあったのでうれしい。
そんなところに
気を取られている場合じゃないのですが。

豆腐のカレー?!
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もう手当たり次第に。

「あと 10 分です」

まだ大好きな菜っ葉を食べていないよ~!
フルーツとコーヒーと
デザートもいっしょに。
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たぶん
全種類食べないうちにタイムアップ。

なんでも高い(?)京都。
多くは望みますまい。



朝 10 時過ぎの錦市場。
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もうインバウンド(inbound)の観光客多数。

聖護院大根と聖護院蕪(かぶら)が。
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幼年のころ区別ができませんでした。
祖母は「(葉も含めた全体の)形が違う」と
いっていましたが。

今でも切って見なければ分かりません。
まったく学習もなにもない人生ですが
反省も悔やみもしない!無知無恥むっちん。

聖護院大根の切り干しも売っています。
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京都らしい。
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雨の山田池の梅花 鋳物民族資料館 [みんなで歩けばこわくない]

京阪・牧野駅の近くの
枚方市が枚方八景と呼んでいる牧野公園。

私は恥ずかしながら
気が遠くなるほど長く
大阪に棲みついていますから
簡単に「枚方市」と書いてしまいますが
関西に縁のない賢姉・大兄から
よく!ふりがなを打てと叱責されますね。

「まいかたし」じゃないですよ!
「ひらかたし」ですよ。

蝦夷(えみし)の首長アテルイと
副将モレの塚の前で歴史談義。
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みなさん!
平安初期の歴史の造詣が深いのですね。
エロごとだけしか
興味がない顔をしているのに(失礼!)
意外でした。

私は知ったかぶりで
「俘囚(ふしゅう)」(拙ブログ 2016/03/08)を
はなし始めたのですが
だれも聞いてくれませんね。はは。

公園に隣接の片埜神社へ。
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歴史は古いようですが
豊臣秀吉が大坂城鬼門鎮護の社と定めたので
方位鬼門除け(?)
霊験あらたかな鬼がいます。

天気予報通りに雨が降ってきました。

月例の寄せ集めハイキング。
こんな悪天候でもやってきますね。
平均年齢の高い人たち。

菜の花の咲く穂谷川沿いの歩道を歩きます。
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歩くと暑いくらいですが
とまるとうすら寒い!
みなさん!無理しないでね!死なないでね。



雨の中の山田池公園に着きました。
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花木園の中の梅林。
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おけいはん(京阪電車)の情報では
「見ごろ過ぎ」になっていましたが。
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十分!きれいじゃないですか。
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お花見ができまよ。
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この雨がじゃまですけどね。

花が散らずにぽたりと落ちています。
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ん!?
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このシルエットはヒヨドリ?!

頭上にメジロの群れがやってきました。
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盗蜜ですか。
花粉を媒介することなく
蜜だけ吸って逃げている鳥たち。

濡れながらうずくまっているにゃんこ。
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その運命を見て見ぬふりをして
急ぎ足で去れば
阿呆の心にも雨が降ります。

「さくら?!」
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河津桜かも。
今!公園内に咲いている桜花は
みんなこの種のようです。

美月橋を渡りましょう。



ドーム型のテントが並んでいます。はは。
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ヘラブナの釣り堀。

「春浅い雨の日に釣らなくてもいいものを」

趣味ですから季節も天候もないですよ。
昔はわが家の前の池には
霜が降りている朝でも
釣り人がぽつりぽつりいたものです。

今は釣り禁止になったのか
魚種が変わったのか!見かけませんが。

旧田中家鋳物民族資料館で見学です。
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ここからかなり離れている
万年寺山の意賀美(おかみ)神社のそばに
「枚方田中邸の椋(むく)」がありました。
拙ブログ 2019/03/08

あの樹が鋳物師(いもじ)の
田中家のものだったのですね。

その田中家の跡。
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なんにもありませんでした。

その工場をこちらに移設していたのですか。

「入館料がみなさんの大好きな無料ですよ!

あ!?だれもいません。
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振り向けば!消えています。

工場の隣に復元されていた
弥生時代の住居に全員!入っていました。

「そんなに大勢入って大丈夫!?

「2,30 人!宴会できまっせ」

まさかね!?
でも!立派な!デキのいい住居ですね。

鋳物の勉強してください。
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田中家の主屋も移されています。
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工場も主屋も放熱や防火に
考慮されていたようです。
付近の民家とは違い
瓦を葺いたりしています。
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