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白鳥を追って 古市古墳群カレー [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・古市駅前の白鳥神社に参詣。
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日本武尊(やまとたけるのみこと)を
祀っています。

世界文化遺産の
「百舌鳥・古市古墳群」の中で
「白鳥」を追い
竹内(たけのうち)街道をたどります。

といいながら
ん!?
道を見失いました!はは。

この周辺はなん度もきていて
なん度も迷子になっている!
因縁(?)の場所です。

ありました。
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「日本武尊御陵表参道」の案内の碑。
ここが竹内街道ですね。

やがて!白鳥陵古墳。
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日本武尊は
伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり
そこに陵を造ったそうな。

その陵から白鳥になって飛び立ち
あちこちに降りて
また飛んで行って!また降りています。

ここにも降りて!また!
羽を曳くように飛び去ったというので
この市の名は羽曳野市。

なのに!宮内庁は
日本武尊の陵墓と治定しています。
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おかしいでしょ!
発掘してみなされ。

もともと!白鳥神社は
この古墳の頂にあったのかも。

白鳥神社がつぎに移設されたのは
峯ケ塚古墳の上らしい。

峯ケ塚古墳は
日本武尊白鳥陵と書かれた古書もあるとか。
なにがなんやら。

近年の調査で
3,500 点以上の埋葬品が出ています。
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さらに先日
巨大な木製埴輪(はにわ)が見つかり
説明会が行われています。(2022/12/10)
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前方後円墳の造り出しと前方部の
接続するあたりに立てられていた
石見型木製品だといいますが。
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352cm×75cm×8cm
コウヤマキ製だそうな。
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不勉強なものがバカなことをいいますが
そもそも!こんな板を埴輪というのですか。

円筒埴輪とか形象埴輪とかの
土器のイメージしかないのですが。

殉死の代わりに土師氏(はじし)が
思いついたという記・紀の記述は
ウソでしょうけど。

3 世紀末の奈良県の桜井茶臼山古墳の
石室の周囲を囲んでいた
穴の明いた土師器の壺が
初期の埴輪だと思っていたのですが。

穴は埋葬された霊魂だけが
くぐり抜けられるのでは。
悪霊は遮断されるような。

それから時代を経て
円筒埴輪が!
さらに形象埴輪ができて
この世とあの世との境の意味も
薄れたのでしょうか。

それに
この板のようなものも埴輪とは。
どこに霊魂のくぐる穴があるの!?

やめましょう。
浅学すぎる恥の上塗りだけの発言は。



説明会の現地で
羽曳野市が年賀状に
世界文化遺産の古墳を印刷して
売っていました。
63 円のはがきを 63 円で。

印刷代だけ損でしょうが。
可哀そうだから買ってあげましたが。
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でも!こんなはがき!
どこで使ったらいいのでしょうか。



峯ケ塚古墳のある峰塚公園に隣接して
「FLOUR 竹内街道軽里店」がありました。
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「古市古墳群カレー」をいただきます。
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古墳群というのですが
前方後円墳がひとつしかないですね。

税込み 950 円。
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