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額田王のなやましいわが背子 [いわなが姫の丑の刻参り]

近鉄・JR桜井駅から
山の辺の道をたどり大和川に出ると
向こう岸に
「佛教伝来之地」の碑が見えます。
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山の辺の道と別れて
つかず!離れず!
大和川をさかのぼります。

「仏教会得の地」の碑が。
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不勉強で聞いたこともないですが。

欽明天皇の「磯城嶋金刺宮址」の碑も。
だれが比定したのやら!エラいなぁ。

季節は「枯野見(かれのみ)」のころ。
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様子がいいのは春日神社かな。
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枯れたつるが川に垂れています。
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ハヤトウリ!?
まだ食べられそうな実が
たくさんありますね!
もらってもいいのでしょうか。

「萬葉集発耀讃仰碑」があるのは
白山比咩神社ですね。
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万葉集の冒頭にある
「こもよ みこもち」で始まる雑歌の作者
雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡を
桜井市はここに比定したのでしょう。

「一筋縄そうめん」がありました。
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「一筋縄」は
普通!否定形で使いませんか。
なんか!
とんでもなく悪そうなイメージ。

「出雲の流れ地蔵」があります。
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「出雲」です。
桜井市の出雲です。
ここは野見宿禰(のみのすくね)の
ゆかりの地です。

野見宿禰が出雲の国からきたからなのか!
こちらが本家!かれの出身地なのか。

出雲集落の中心にあるのは十二柱神社。
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野見宿禰を祖としている集落ですから
狛犬を 4 人の力士が支えています。
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境内は武烈天皇の
泊瀬列城宮の伝承地だとか。
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長谷寺の参道に入ります。
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ゆるやかにのぼればほどなく長谷寺。
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門前町で
榧(かや)の実が売られていました。
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ただ!煎って食べればよかったですか!?
アク抜きするのでしたか?!
すっかり!都会っ子になって
忘れています。



額田王(ぬかたのおおきみ)の
歌碑がありました。
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 三室(みもろ)の やまみつつゆけ 吾が背子が
 い立たしけむ 厳樫が本(いつかしがもと)

白文も表示してありましたが。
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万葉集の 9 番ですね。

この読みでは!なんかモーラが悪い。
4 7 5 6 7
三十一(みそひと)文字じゃない。

「い立たしけむ」を
「いたたせりけむ」と読めば 7 字になり
残った頭の 4 字を
なんとかすればいいかも。

そもそも!この歌には
標準的な読み方がありません。

白文も伝本によって漢字が微妙に違います。

ここには
「奠器圓隣之大相土見乍湯氣吾瀬子之
「射立為兼五可新何本
とありますが
「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之
「射立為兼五可新何本
だったり
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣吾瀬子之
「射立為兼五可新何本
と書いてあったり!まだまだいろいろ。

いずれにしろ

 みつつゆけ わがせこが
 いたたしけむ(いたたせりけむ)
 いつかしがもと

は!多くのみなさんが
ほぼよく似た読みをしていますが
頭の部分!
奠器圓隣之大相土とか
莫囂圓隣之大相七とかが
学者や歌人が 500 人いたら
500 通りの読み方をしています。

これ!だれが読みくだしたのでしょう。
「奠器圓隣之大相土」を
「みもろのやま」とは?!

斎藤茂吉は
古義ではそうだといっていますが。

ちなみに手元の
佐佐木信綱編/新訓 万葉集/では
読みを放棄しています。はは。

4,500 首の内
これだけ読めていません。

茂吉は賀茂真淵の訓に
従いたいようです。

それは

 紀の国の 山越えて行け 吾が背子が
 い立たせりけむ 厳樫(いつかし)がもと

これなら三十一文字ですけど。
「奠器圓隣之」が「きのくにの」とはね。



ま!あっしにゃ
カンケーね~ことでござんす。

ここは草餅の里(?)ですが
赤飯まんじゅうを食べたい気分。

ん!?
いつも買う店に
赤飯まんじゅうが並んでいません。
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どうして!?
こちらのほうが私には問題です。



(敬称略)
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