まぼろしの除夜の鐘 [うそ八百]
大みそか。
寒い。
体は泥のようで動けず。
長い間忘れていた
蘇州の寒山寺の鐘の音が
心の闇にかすかによみがえる。
異国寒包手抱肩
いこくはさむし
てをとり かたをいだいても
漁火細揺消不眠
ぎょか ほそくゆれてきえ ねむれず
月落烏啼寒山寺
つきおち からすないて かんざんじ
地獄鐘声聴呆然
じごくのしょうせい ぼうぜんときく
遠い!遠い日
眠れず震えながら作った
私の「楓橋夜泊」「寒山寺」を思い出す。
そのときには脳が霜焼けて(!)いて
傑作と思ったのだが
あまりにもつたない詩もどきだった。
が!これも青春の愚行の記念碑か。
ん!?
これ!ほんとに鐘の音があったのやら。
深夜に鐘を撞(つ)くだろうか。
あれはまぼろし?!
元詩(!)の中唐の張継の
「寒山寺」に感化されているだけか。
あ!?
張継も深夜に鐘の音を聞いていたのだろうか。
暮れも押し詰まってある人と邂逅。
歳を重ねたのに
今!それなりに美艶でうれしい。
「うどん!食べよ。
『ん。
なんでうどんやねん。
「清水寺ではありがと。
『は?
「除夜の鐘をふたりで撞(つ)いたよね。
「大みそかになるとなつかしい。
『そうでしたね。
「あなたにはひとつの
「除夜の鐘だったかも知れないけど。
『え?
「だれかと
「寒山寺にも行ったといってたよね。
『月落ちカラスないて霜(しも)天に満つ!の
『蘇州の寒山寺!?
『忘れました。
『他人事なのに!よく覚えていますね。
『でも!あの鐘は除夜の鐘ではないですよ。
あの人は
カレーうどんを食べて出て行った。
後ろ姿が晴れやかに見えて安堵。
あの京の清水寺では最後に僧侶たちが撞く。
その前の 107 番目に撞いたとき
僧侶たちに
「いいご夫婦ですね」とお世辞をいわれて
妙にときめいた。
いろんな人と浮き名を流したけれど
いつも怪しいとは見られても
「いい夫婦」といわれたことはない。
それからもない。
そのことだけが今でも思い出されるのだが
今日はいわなかった。
いえばときめきが消えるようで。
「ま!いっぱい。
店の主人が焼酎のお湯割りを出してくれた。
落ち込んでいるように見えたのだろうか。
わ!お湯割りじゃないじゃないの!
ほぼ!焼酎じゃないの。
なんでも飲んで食らうので
アルコールに強いと思われているが
普段はたしなむ程度。
ウイスキーでも
焼酎でも 9 倍ほどに希釈して飲んでいる。
せっかくの好意。
一気に飲み干したら
「もう!いっぱい。
やめて。
でも!なんだかすぐ飲んでしまった。
ただで飲んで帰るなんて私の美学にない。
あらためて注文する。
有料のものはビアジョッキで出てきた。
ああ!あしたは大変なことになるぞ!と
もうろうと心配しながらも飲む。
まず会うことのない旧知の男たちが
こんなときにかぎってやってきた。
かれらのボトルの焼酎を
私のジョッキにつぎ足す。
油断していたらまた入れてくれるご親切。
やめろ~!
みんなでなんてことを!
ひと口目から地球が回っていたが
ついにはかすんでしまったのでお勘定。
「800 円。
ん!?
あの人の分は?!
「割り勘だといって
「自分の分だけ払って帰ったよ。
はは。
あの人らしい。
いつでも!いつまでも
尾を引くことはない仲!いい人だ。
帰巣本能だけで帰ったらしい。
窓際に並んだスズメが「起きろ」という。
朝か。
粟粒を 1 羽に 1 粒ずつあげよう。
1 羽が全部食べてしまった。
それも愛の形か。
頭も胃の腑も苦しみはないが
体が動かない。
朝風呂に入ってまた寝る。
昼に起き出して
ビタミンCの錠剤を
“飲むヨーグルト”で流し込んでまた寝る。
日は暮れてもうすぐ除夜の鐘。
四天王寺に撞きに行こうか。
しかし!今年は新型コロナウイルス禍で
夜中に電車が動くのやら。
徒歩や自転車で行くのはおっくう。
近くの田辺不動尊に行く。
800 歳のクスノキが叱るように
おおいかぶさってくる。
目を閉じれば
いつかの清水寺の除夜の鐘が聞こえる。
百八の 鐘を撞くひと いたいけで
清水寺は 遠いまぼろし
百八の 鐘が冷たい 安宿で
死のうといえば 死ねた若さよ
百八の 鐘にあななたの 秘められた
黒百合に白い ひとすじの絹
百八の 鐘が消えても 眠られず
闇に乳房が 孤独に浮かぶ
百八の 鐘はいくたび 聞いたやら
恋ばかりして 生きていいのやら
百八の 鐘を静かに 聞くよりも
クレヨンしんちゃんの 生きざまが好き
百八の 鐘に煩悩 なお増して
獣と化せば あすはいらない
百八の 鐘は鳴る鳴る 去年今年(こぞことし)
ひしがれたまま かすむ慕情
どこまで行っても気のきいたことばは出ない。
2021 年になったのか。
令和ではなん年だろう。
平成でいわれたときもとまどっていたが
しっかり覚えたつもりでも
3 歩歩けば忘れている。
寒い。
寒い。
体は泥のようで動けず。
長い間忘れていた
蘇州の寒山寺の鐘の音が
心の闇にかすかによみがえる。
異国寒包手抱肩
いこくはさむし
てをとり かたをいだいても
漁火細揺消不眠
ぎょか ほそくゆれてきえ ねむれず
月落烏啼寒山寺
つきおち からすないて かんざんじ
地獄鐘声聴呆然
じごくのしょうせい ぼうぜんときく
遠い!遠い日
眠れず震えながら作った
私の「楓橋夜泊」「寒山寺」を思い出す。
そのときには脳が霜焼けて(!)いて
傑作と思ったのだが
あまりにもつたない詩もどきだった。
が!これも青春の愚行の記念碑か。
ん!?
これ!ほんとに鐘の音があったのやら。
深夜に鐘を撞(つ)くだろうか。
あれはまぼろし?!
元詩(!)の中唐の張継の
「寒山寺」に感化されているだけか。
あ!?
張継も深夜に鐘の音を聞いていたのだろうか。
暮れも押し詰まってある人と邂逅。
歳を重ねたのに
今!それなりに美艶でうれしい。
「うどん!食べよ。
『ん。
なんでうどんやねん。
「清水寺ではありがと。
『は?
「除夜の鐘をふたりで撞(つ)いたよね。
「大みそかになるとなつかしい。
『そうでしたね。
「あなたにはひとつの
「除夜の鐘だったかも知れないけど。
『え?
「だれかと
「寒山寺にも行ったといってたよね。
『月落ちカラスないて霜(しも)天に満つ!の
『蘇州の寒山寺!?
『忘れました。
『他人事なのに!よく覚えていますね。
『でも!あの鐘は除夜の鐘ではないですよ。
あの人は
カレーうどんを食べて出て行った。
後ろ姿が晴れやかに見えて安堵。
あの京の清水寺では最後に僧侶たちが撞く。
その前の 107 番目に撞いたとき
僧侶たちに
「いいご夫婦ですね」とお世辞をいわれて
妙にときめいた。
いろんな人と浮き名を流したけれど
いつも怪しいとは見られても
「いい夫婦」といわれたことはない。
それからもない。
そのことだけが今でも思い出されるのだが
今日はいわなかった。
いえばときめきが消えるようで。
「ま!いっぱい。
店の主人が焼酎のお湯割りを出してくれた。
落ち込んでいるように見えたのだろうか。
わ!お湯割りじゃないじゃないの!
ほぼ!焼酎じゃないの。
なんでも飲んで食らうので
アルコールに強いと思われているが
普段はたしなむ程度。
ウイスキーでも
焼酎でも 9 倍ほどに希釈して飲んでいる。
せっかくの好意。
一気に飲み干したら
「もう!いっぱい。
やめて。
でも!なんだかすぐ飲んでしまった。
ただで飲んで帰るなんて私の美学にない。
あらためて注文する。
有料のものはビアジョッキで出てきた。
ああ!あしたは大変なことになるぞ!と
もうろうと心配しながらも飲む。
まず会うことのない旧知の男たちが
こんなときにかぎってやってきた。
かれらのボトルの焼酎を
私のジョッキにつぎ足す。
油断していたらまた入れてくれるご親切。
やめろ~!
みんなでなんてことを!
ひと口目から地球が回っていたが
ついにはかすんでしまったのでお勘定。
「800 円。
ん!?
あの人の分は?!
「割り勘だといって
「自分の分だけ払って帰ったよ。
はは。
あの人らしい。
いつでも!いつまでも
尾を引くことはない仲!いい人だ。
帰巣本能だけで帰ったらしい。
窓際に並んだスズメが「起きろ」という。
朝か。
粟粒を 1 羽に 1 粒ずつあげよう。
1 羽が全部食べてしまった。
それも愛の形か。
頭も胃の腑も苦しみはないが
体が動かない。
朝風呂に入ってまた寝る。
昼に起き出して
ビタミンCの錠剤を
“飲むヨーグルト”で流し込んでまた寝る。
日は暮れてもうすぐ除夜の鐘。
四天王寺に撞きに行こうか。
しかし!今年は新型コロナウイルス禍で
夜中に電車が動くのやら。
徒歩や自転車で行くのはおっくう。
近くの田辺不動尊に行く。
800 歳のクスノキが叱るように
おおいかぶさってくる。
目を閉じれば
いつかの清水寺の除夜の鐘が聞こえる。
百八の 鐘を撞くひと いたいけで
清水寺は 遠いまぼろし
百八の 鐘が冷たい 安宿で
死のうといえば 死ねた若さよ
百八の 鐘にあななたの 秘められた
黒百合に白い ひとすじの絹
百八の 鐘が消えても 眠られず
闇に乳房が 孤独に浮かぶ
百八の 鐘はいくたび 聞いたやら
恋ばかりして 生きていいのやら
百八の 鐘を静かに 聞くよりも
クレヨンしんちゃんの 生きざまが好き
百八の 鐘に煩悩 なお増して
獣と化せば あすはいらない
百八の 鐘は鳴る鳴る 去年今年(こぞことし)
ひしがれたまま かすむ慕情
どこまで行っても気のきいたことばは出ない。
2021 年になったのか。
令和ではなん年だろう。
平成でいわれたときもとまどっていたが
しっかり覚えたつもりでも
3 歩歩けば忘れている。
寒い。
片恋に 秋のバラ咲く [うそ八百]
片恋を きみにあげよう
望郷を きみにあげよう 秋のバラ咲く
片恋は おくれ毛だけが ゆれていて
やせたうなじに 秋のバラ咲く
片恋の 香りほのかな 陽だまりは
夢いたいけな 秋のバラ咲く
片恋は いつか見た山 いつか見た空
音消えて 秋のバラ咲く
片恋に 心ゆるめば 虫の声
ころりころころ 秋のバラ咲く
片恋は きれいな人を 汚さずに
蝶がてふてふ 秋のバラ咲く
片恋は あまたあれども 露のごと
今日が初恋 秋のバラ咲く
片恋は 狂うほどなく うららかに
色のやさしい 秋のバラ咲く
片恋は おぼろな春を 逃げ水の
夏をかわして 秋のバラ咲く
片恋は 静かに白い いわし雲
静かに消えて 秋のバラ咲く
片恋は にぎりしめても 柿ひとつ
がりりとかめば 秋のバラ咲く
片恋は 歌の中だけ
望郷は 歌の中だけ 秋のバラ咲く
望郷を きみにあげよう 秋のバラ咲く
片恋は おくれ毛だけが ゆれていて
やせたうなじに 秋のバラ咲く
片恋の 香りほのかな 陽だまりは
夢いたいけな 秋のバラ咲く
片恋は いつか見た山 いつか見た空
音消えて 秋のバラ咲く
片恋に 心ゆるめば 虫の声
ころりころころ 秋のバラ咲く
片恋は きれいな人を 汚さずに
蝶がてふてふ 秋のバラ咲く
片恋は あまたあれども 露のごと
今日が初恋 秋のバラ咲く
片恋は 狂うほどなく うららかに
色のやさしい 秋のバラ咲く
片恋は おぼろな春を 逃げ水の
夏をかわして 秋のバラ咲く
片恋は 静かに白い いわし雲
静かに消えて 秋のバラ咲く
片恋は にぎりしめても 柿ひとつ
がりりとかめば 秋のバラ咲く
片恋は 歌の中だけ
望郷は 歌の中だけ 秋のバラ咲く
きみがいた秋 [うそ八百]
大空に つながって飛ぶ 赤とんぼ
追えばよかった きみがいた秋
億年の 流れの中の しがらみで
奇跡の出会い きみがいた秋
夢一輪 かつあらわれて かつ消えて
やけに空が高い きみがいた秋
どこからきて どこに行くのか 人も風も
花はつかのま きみがいた秋
考える芦も考えない芦もみな
恋は楽しい きみがいた秋
ただ息を しているだけの 人生も
恋は楽しい きみがいた秋
うそ泣きが ただかわいくて
ため息が ただかわいくて きみがいた秋
花はうそ ことばはうそ ときはうそ
うそが心地いい きみがいた秋
折れそうな 腰を後ろから 抱きしめて
折ればよかった きみがいた秋
花に酔う 風に酔う また 雲に酔う
影が酔わせた きみがいた秋
傷つけて なお傷つける 神もいる
赤い血の花 きみがいた秋
花も鳥も 人も雲もみな リセットし
もう一度こい きみがいた秋
春眠 暁を覚えず コロナウイルス禍 [うそ八百]
午後!突然!のどに違和感。
すぐにヒリヒリ痛み出しました。
同時に頭が重く
ベッドに横にならざるを得ません。
目は自然に閉じてしまいます。
黄泉(よみ)の国に旅立つときには
こんなもんでしょうか。
鼻水があふれて
くしゃみもせきも間欠的に出るように。
ノーテンキに徘徊しているので
新型コロナウイルスにとり憑かれたのかも。
おでこが灼熱状態!
あわてて検温すれば 36.8 度。
な~んだ!平熱じゃないですか。
食欲がないので夕飯は抜いて
毎日欠かせていないはずの
アルコール類も忘れています。
腹痛がして目覚めた深夜。
夜が長い。
春眠暁を覚えず。
なかなか夜が明けません。
あ!その唐の孟浩然の詩は
深夜ではなく
朝になったときのことでしたか。
いつまでも眠っていたい状況ですね。
春 眠 不 覚 暁
しゅんみん あかつきをおぼえず
処 処 聞 啼 鳥
しょしょ ていちょうをきく
夜 来 風 雨 声
やらい ふううのこえ
花 落 知 多 少
はなおつることしる たしょうぞ
日本人の好きな詩のようです。
平易な漢字の並びで
私のような不調法なものにも
分かりやすい。
最後の「多少」を
どう解釈するのか
エラい人の見解が違うそうですが。
孟浩然はひとりで寝ていたのしょうか。
子鹿かひよこかのようないたいけな娘を
ひと晩中やさしく包んで
風雨から守っていたような気がします。
訳詞を作ります。
心許した 可愛い寝息
春あけぼのの 鳥の声
ひと夜ふんわり 包んで守る
風よ吹け吹け 花も散れ
有識者はだれもしない解釈?!
よいこは信用しないでください。
ビョーキで脳がやられているからかも。
明日になれば削除かな。
すぐにヒリヒリ痛み出しました。
同時に頭が重く
ベッドに横にならざるを得ません。
目は自然に閉じてしまいます。
黄泉(よみ)の国に旅立つときには
こんなもんでしょうか。
鼻水があふれて
くしゃみもせきも間欠的に出るように。
ノーテンキに徘徊しているので
新型コロナウイルスにとり憑かれたのかも。
おでこが灼熱状態!
あわてて検温すれば 36.8 度。
な~んだ!平熱じゃないですか。
食欲がないので夕飯は抜いて
毎日欠かせていないはずの
アルコール類も忘れています。
腹痛がして目覚めた深夜。
夜が長い。
春眠暁を覚えず。
なかなか夜が明けません。
あ!その唐の孟浩然の詩は
深夜ではなく
朝になったときのことでしたか。
いつまでも眠っていたい状況ですね。
春 眠 不 覚 暁
しゅんみん あかつきをおぼえず
処 処 聞 啼 鳥
しょしょ ていちょうをきく
夜 来 風 雨 声
やらい ふううのこえ
花 落 知 多 少
はなおつることしる たしょうぞ
日本人の好きな詩のようです。
平易な漢字の並びで
私のような不調法なものにも
分かりやすい。
最後の「多少」を
どう解釈するのか
エラい人の見解が違うそうですが。
孟浩然はひとりで寝ていたのしょうか。
子鹿かひよこかのようないたいけな娘を
ひと晩中やさしく包んで
風雨から守っていたような気がします。
訳詞を作ります。
心許した 可愛い寝息
春あけぼのの 鳥の声
ひと夜ふんわり 包んで守る
風よ吹け吹け 花も散れ
有識者はだれもしない解釈?!
よいこは信用しないでください。
ビョーキで脳がやられているからかも。
明日になれば削除かな。
京都・東山 おくれ毛が泣く冬 [うそ八百]
(東山に法然と親鸞の影を追いました)
清水の 空に飛びたい
おくれ毛が 泣いている日は
生きとして 生けるおろかさ
知りながら なにをためらう
二年坂 腕を添えれば
胸の中 こけつまろびつ
結ばれる 恋ははかなく
結ばれぬ 恋はとこしえ
高台寺 氷雨(ひさめ)あがって
まにぐるま 白い指先
抜けられる 石塀小路(いしべこうじ)に
立ちどまる 吐息せつなく
知恩院 鐘が聞こえる
ほほえみの 勢至丸(せいしまる)さま
折れそうな うしろ姿が
三門の 影に隠れる
たびびとが 旅に病んでも
うたびとが 歌を捨てても
帰らない 夢を浮かべて
白川は 今日も流れる
黒谷を 抜けてたどれば
真如堂 女悲しや
吉田山 冬のしじまに
まぼろしの 萌えるくれない
(東山を 2 万歩!歩きました)
清水の 空に飛びたい
おくれ毛が 泣いている日は
生きとして 生けるおろかさ
知りながら なにをためらう
二年坂 腕を添えれば
胸の中 こけつまろびつ
結ばれる 恋ははかなく
結ばれぬ 恋はとこしえ
高台寺 氷雨(ひさめ)あがって
まにぐるま 白い指先
抜けられる 石塀小路(いしべこうじ)に
立ちどまる 吐息せつなく
知恩院 鐘が聞こえる
ほほえみの 勢至丸(せいしまる)さま
折れそうな うしろ姿が
三門の 影に隠れる
たびびとが 旅に病んでも
うたびとが 歌を捨てても
帰らない 夢を浮かべて
白川は 今日も流れる
黒谷を 抜けてたどれば
真如堂 女悲しや
吉田山 冬のしじまに
まぼろしの 萌えるくれない
(東山を 2 万歩!歩きました)