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北田辺村と南田辺村ありき [わが街・下駄ばきドドンパ]

田辺駅の前に歴史の案内板が作られていました。

田辺駅は地下鉄・谷町線の駅。

南海電鉄・平野線が開通したのは
大正 4 年(1915 年)だとか。
わずらわしいけど細かくいえば
阪南電軌が計画し
阪堺電軌が大正 3 年に運転開始したそうです。
それを南海電鉄が買収して本格運転したらしい。

廃業したのは昭和 55 年(1980 年)です。
そのほぼ平野線廃線の地下を
大阪市営地下鉄の谷町線が延長され
上空を阪神高速道の松原線が走るようになりました。

手元に明治 18 年(1885 年)の地図の断片があります。
そのころ!私の住んでいる今の阿倍野区には
65 戸の安倍野村と
28 戸の猿山新田しかありませんが
今の隣接の東住吉区のこのあたりには
北田辺村と南田辺村という
ふたつの大きな集落が並んでいます。

南海電鉄は
その両村の間を割るように敷き設されたようです。

案内板によるとこのあたり
大きな街道がいくつも通っていたのですね。

その中のひとつ
先日(2013/07/06)!
ホタルの夕べ」のイベントで歩いた
庚申(こうしん)街道に行ってみましょう。

ああ!ここでしたね。
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あ!
「俳優紀念」と書かれた石碑!
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今の漢字なら「俳優」「記念」でしょうか。
相当!古そうですね。
「浄瑠璃」の俳優らしい。
なん年かの間に庶民の娯楽は変遷したのですね。

近くに大きなクスノキ(楠)があります。
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大昔の北田辺村の
鬼門(北東角)を守っていた樹木だそうです。

大クスノキの近くに可愛いアーケード商店街が。
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今まで日本一暗い商店街とか
日本一短い商店街とか書いてきましたが
近くにも楽しいアーケードの商店街がありましたか。



ここまでは昔の北田辺村だと思います。
昔の南田辺村にまわります。

こちらには難波(なにわ)大道が通っていたとか。

山阪神社と法楽寺をかすめていますね。
このあたりがそうかも。
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幅員が 5m から 3m ばかり。
昔は「大道」だったのでしょうか。

さらに並行して下高野街道もあったらしい。
このあたりのような。
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田辺駅のすぐ近くに
「どんなもんや」というユニークな名前の店が。
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ランチどきにはワンコインから定食が。
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もちろん!
「フィシュフライ野菜付き 500 円」を注文。
でも!写真はありません。

どうして撮らなかったかというと。

なにかささいなことで
ピシャッと叱正されていた(?)
客のおばさんがいたので。
その店主がこわもて(失礼!)だったので。

正午ちょうどに入店したのですが
お茶!ごはん!この日の小鉢もの(煮魚)!香のもの!
そして魚のフライと
20 分もの間に!
ひとつひとつぽつりぽつり出てきたもので。

ごはんを半分以上食べ終わったころ
大きな海老(エビ)の頭の入った
とても熱い味噌汁がきたもので。

500 円にしては量もあって
おいしかったですよ。

でも!写真はありません。
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