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重陽の節句 菊慈童 [平安京有情]

能を鑑賞しました。
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「菊慈童(きくじどう)」でしょうか。
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いや!この流派では「枕慈童」というらしい。

菊慈童は 700 歳生きても老けなかった童子!?
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童子は王より賜った枕に書かれていた経文を
深山幽谷の菊の葉に書き写したところ
不老不死の酒(!)が
したたり落ちてきたそうな。



重陽(ちょうよう)の節句(2016/09/09)です。

祭とかセレモニーとかに
あんまり縁なく育ったので
常識にうとい上に
特にこんな風習は知らない阿呆です。

どこででも催行されているのでしょうけど
たまたま
虚空蔵 法輪寺の節会に入れてもらいました。
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神仏に帰依のかけらもない身が
正面!まん真ん中に押し出されて
正座していたら
突然!左足がけいれん!こむら返り?!

立錐の余地もない善男善女の中に
のたうち回りたいのをこらえます。

バチがあたったのでしょうか。
連日!体調が悪いまま
放置しているからでしょうか。



9 月 9 日という
「陽」の 1 番大きな「9」が
重なった日でしょうけど
それは旧暦のことでは。

旧暦でいえば今年なら 1 月後のはなしかも。
それだったら
「菊の節句」というのも納得できますがね。
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堂内のあちこちに飾られた菊の花の上に
綿帽子があります。
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ああ!枕草子にありましたね。


 9 月 9 日だったら
 明け方ぐらいから雨が少し降って
 菊の露もたっぷり。
 かぶせてる綿なんかもすっごく濡れてて
 移り香も引き立っててさ。
  (橋本治著/桃尻語訳 枕草子)


この濡れている綿で体をふいたり
抱きしめて寝たりしていたらしい。

菊の露で 700 歳を生きた
「菊慈童」のはなしや
菊の花は他の花に比較して
寿命が長そうなので
長命とか健康を願っていたのでしょうね。

参拝者は菊の花をささげて
菊酒をいただき長命を祈っていました。



法輪寺は名勝・嵐山の渡月橋を見降ろす
高台にあります。
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帰依より(性)風俗に心が動く愚かな私なら
京都先斗町の
豆弥ね~さんのことばを記憶しています。


 十三詣りいうて
 13 の年の 4 月 13 日に嵯峨のこくぞはんへ
 お詣りに行くのどす。
  (永六輔著/極道まんだら)


「こくぞはん」は「虚空蔵さん」のこと。
この「虚空蔵 法輪寺」でしょう。


 あそこで瓦に名前を書いて納めると
 知恵が授かるのどす。
 その帰りに渡月橋を渡りますやろ
 そのときにふり向いたらあかんのどす。
 ふり向いたら
 授かった知恵を
 返すことになってしまいます。


表参道を帰ります。
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十三詣りのときには
この道を帰らないのじゃないかな。

渡月橋にまっすぐつづく細い道があります。
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 その十三詣りのことを
 「十三ぱっちり 毛十六」いいますねん。


十三詣りを終えると
旦那がついて
舞妓から芸妓になります。

頭髪もカットして
かつらをつけることになります。

数え年 13 歳で
「おとな」になっていたのですね。
昔の女の子はエラいですねぇ。

そのエラい豆弥ね~さん!
ご存命なんでしょうかねぇ。
もしそうなら!
白寿は過ぎていらっしゃいます?!



(敬称略)
タグ:枕草子
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真田丸 真田の抜け穴 [いわなが姫の丑の刻参り]

「み~(巳)さん」(大阪弁でヘビかな)がいます。
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白光大神がお住まいですので
道の真ん中にあっても撤去・移動できません。

その北に玉造(たまつくり)稲荷神社があります。
豊臣秀頼と
歴史に翻弄されて縮んだ(?)
秀頼が奉納した鳥居があります。
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このあたりに大坂(大阪)城の黒門があったらしい。
玉造門というのでしょうけど
町民は黒塗りだからそう呼んだとか。

黒門といえば!今!日本橋の黒門市場が有名ですが
元祖(?)黒門はここ。

このあたりから南に
つまり大坂城と反対側に下っています。

地下鉄・鶴見緑地線が東西に通っている道が
谷の底(清水谷)かな。

大坂城は北と東西は天然の要害に囲まれていたと
なんとなく分かりますが
南はこの谷だけなんでしょうか。

谷の底に通称・どんどろ大師があります。
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大坂の陣で戦死した兵(つわもの)どもを
弔っているのだそうですが
門前には
「おゆみ」「おつる」の母子の像がありました。

浄瑠璃の
「傾城阿波鳴戸(けいせいあわのなると)」の
涙なしでは見られない場面はここが舞台ですか。
今はこちらの方が有名なんですね。



谷(堀)からさらに南に上がれば
東側の心眼寺に
「真田幸村出丸城跡」の碑がありましたが。
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心眼寺から東一帯の
宰相山(真田山という人もいます)に
冬の陣のときに幸村が出城(真田丸!)を
構築したということになっています。

そこで宰相山にある三光神社の境内に
幸村が立っています。
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横の「真田の抜け穴」が有名です。
大坂城とつながっています。
というのは伝説で
すぐ先で止まっています。

最近の研究では徳川方が掘った穴の公算大。
敵味方!彼我全然違うじゃないですか。
そういうと身もふたもないのかな!歴史は。

元の心眼寺の前の坂道にもどって
北の堀!すなわち大坂城の方に向きます。
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新しい状況証拠では
従来の解釈の東側(上の画像では右側)!
真田の抜け穴のある方じゃなく
西側(左側)に真田丸があったそうな。

今は大阪明星学園のグラウンドですが。
今年になってから
学校の敷地に「真田丸顕彰碑」が建てられました。



宰相山に墓石が並んでいます。
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旧帝国陸軍の真田山墓地です。
5,000 を越える墓石と
おびただしい遺骨を納めたお堂があります。

この山は時代を越えて
戦(いくさ)の後の寂しさを
まとっている山(丘)ですね。

ときどきだれかが
供養しているようでしたが(拙ブログ 2012/08/16
墓石の風化は進んでいます。

ん!?
ほんのいくつかですが!新しい。
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100 年以上前の墓石を改修しています。
最近!なん代か後の子孫の人が行ったらしい。

子孫は不明の墓ばかり中で
すごいことですね。



「六文銭」だらけの商店街を歩いて帰ります。
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JR大阪環状線の車輌も
真田幸村のラッピングをしていました。
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幸村は現代の人に人気があるのですね。

織田信長を好きな人もいます。

かれらは働き盛りで死んだので
「老醜」をさらしていないからでしょうか。

徳川家康は成功者なのに人気が低い。
「ずるい」「こずるい」イメージが高そう。

豊臣秀吉も老醜をさらして死にました。
でも!家康より人気はありそう。
どうしてかなぁ。
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冷やしラーメン 神は見放された!? [食い逃げ未遂]

神奈備(かむなび)神社。
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「風神 龍田大社」(奈良県三郷町)の
末社ですが。

その龍田大社は
10 代崇神天皇のときに創建したらしい。
古事記・日本書紀から推察される
その年代はともかく
相当な歴史があるのですね。

この神奈備神社の説明板に
万葉集の歌が書かれていました。

神奈備(かむなび)の
伊波瀬(いはせ)の杜(もり)の
喚子鳥(よぶこどり)
いたくな鳴きそ 吾が恋まさる (1419)

神名火(かむなび)の
磐瀬(いはせ)の杜(もり)の
霍公鳥(ほととぎす)
毛無(けな)しの岳(をか)に
いつか来鳴かむ (1466)

神奈備(神名火・神南備・甘南備)は
神さまの住む森ということで
日本のあちこちにあるようですが
「いはせ(いわせ)のもり」が
詠み込まれているので
この神社ということ?!

では!
「毛無(けな)しの岳(をか)」はどこですか。

ん?!
手元の佐佐木信綱編/新訓 万葉集/には
「ならしのをか」と読み下していますけどね。

「いはせのもり」は
近くに現存しているらしいのですが
ああ!体調が悪い!

台風が接近していて風はあるので
ハイキングに
そんなに悪い天候でもないと思うのですが
歩けない!
「いはせのもり」に足が向かず
石段に座り込みます。

また!
ダニに喰いつかれるかも。(拙ブログ 2016/08/22

眼が回れば!
ダニも万葉集もどうでもよくなりますね。
ああ!死んでも健康に注意しなければ。



本社の「風神 龍田大社」にはい上がります。
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「風神」とは
文字通り風の神さまのことらしい。
すごい名前ですね。

天地宇宙の万物生成の中心となる
「気」でお守りくださるとか。

汗でシャワーを浴びたよう!下着までずぶ寝れ。
洗顔させてもらって「気」を待ちます。
神仏に背徳の日々!
そんなに都合よくかなえられたら
人生も最終章ですよね!はは。



大和川に向かってよろよろと下ります。

多聞橋を渡ります。
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台風のためか!不快な風があります。

この冬に季節はずれのツバメ(燕)が
群れ飛ぶのをみたところ。(拙ブログ 2016/01/26

なん羽かのツバメはいますが
群れ飛ぶほどでは。

近鉄・生駒線の鉄橋を
正面から見たことはなかったですね。
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ああ!いけません!
思考力が宙に飛んでいます。
電車がきても!じっとしていそう。

早々に土手から降りて
久度神社でまた休みます。
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「久度(くど)」とは「かまど」のこと?!
「かまど」の神の元締め!?



石の動物が
たくさん並んで励ましてくれる道を
JR王子駅(近鉄・王子、新王寺駅)へ。
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いつものように
駅前のリーベル王寺の地下の
フードコートへ避暑。
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「氷」が欲しい。

高い「氷」より
お金をつかうのなら
なにか食べよう!昼どきは過ぎています。
死にそうでも!貧乏根性はぬぐえません。はは。

「Sugakiya」の
「バンバンジー冷やしラーメン」を注文。

ああ!
こんな「呼び出し」を持って待つのですね。
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市井のフツーの平和なファミリーの体験?!
ちょっとなごみます。
あんまり!フツーの生活をしていないからなぁ。

税込み 510 円。
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下に敷いてあった氷をカリコリ。
みんな食べてしまったものは
そういないでしょうね!
市井の民には。

さて!困りました。
動けません。
永遠に眠りたい。



(敬称略)
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ならまちのスウェーデンランチ [南都有情]

「ならまち」は古い町です。

近鉄奈良駅から歩けば東南の方向ですが。

中世以降!商工業都市として栄えたとか。
今も筆!墨!蚊帳(かや)!
酒!等々の店舗が連なる
歴史的町並みが残っていますが
「ならまち」という
行政の地名が存在する訳でもないようです。

「ならまち」は
今は世界遺産になっている
元興寺の境内だったらしい。

元興寺は気の遠くなるほど
古い歴史をかかえているのですね。
飛鳥寺から法興寺!飛鳥大寺と名を変え
平城京遷都時にここに越してきたようです。

官寺だったからでしょう!
広大な境内を有していて
その境内で商工業が発展したと聞きます。



それでか元境内の「ならまち」を歩けば
あちこちで「元興寺」の文字が見られます。

「元興寺小塔院」と書かれている小さなお堂。
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なんの変哲もない祠(ほこら)に見えますが
深い歴史があるのかも。

「元興寺塔跡」!
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大きな礎石があります。

こんな石は長い間には
転用・流用されて消えるものですが。

塔の再建もないまま!たくさん残っていますね。

塔跡の横に「啼燈籠(なきとうろう)」という
銘のある灯篭が!?
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焼けたり地震でバラバラに崩れていたものを
復元しています。
継いでいます。

茶わんの金継ぎみたいですね。

金継ぎしている茶わんの中には
フツーのものより
高値で取り引きされているものもあると聞きますが
これも商品価値(?)が高まっているのやら。
それなら盗まれませんか。はは。

奈良町資料館は「旧元興寺本堂跡」とあります。
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本堂の面影はなんにも感じられませんが。



佃煮にするほど観光客がひしめく
もちいどのセンター街のアーケードを
西に抜けたら!
静かな町並みの中に
「パトリ cafe/market」という看板。

階段を 2 階に上れば
小物の販売と喫茶の
隠れ家のような店がありました。

客はだれもいません。

ランチ(税込 1,000 円)をいただきます。
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ミートボールやジャガイモに
コケモモのジャムがついてきました。

ん!?
どこかで見たことがあるような。

スウェーデン娘のオーサの漫画にあったような。
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スウェーデンの一般的な食事なんですか!これ。

奈良でスウェーデン!
すごいですね。
なにがすごいかよくいえませんが。



最近!意識しないのに
短期間におんなじ町ばかり訪問していたり
おんなじような食べものばかり食べていたり!

なぜか
オーサの漫画の世界もよく思い出すこのごろ。



用事がすんだので
元興寺に参拝して帰りますか。

ああ!もう夕刻で閉門していますね。
行った証拠(?)写真だけ撮っておきますか。

なんですか!このカップル。
じゃまなんですが。
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10 分ほどして帰ってきたら
よけいに激しいからみになっていますなぁ。

くるまの往来の多い道ですよ。
くんずほぐれつ!もっとからみに適した場所が
いくらでもあるでしょうが。
どこの国の人やら。

ちょっといいたいことがあって
書き始めたのですが
ここまで書いて空しくなり
眠くなったので!
この辺で筆を置きます。



(オーサ・イェークストロム著/)
(北欧女子オーサが見つけた/日本の不思議/参照)
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宝塚散策 すみれ坂のランチ [町道!街道!眠り未だ足らず]

阪急・宝塚駅。
ランチどき!
ここで少し時間をつぶすことに。

どこかで眠りたい。
寝るところがありません。
もう少し季節が進めば
武庫川の畔でも寝るのですが!まだ暑い。

パトロール(?)でもしますか。



「花乃みち(花の道)」を宝塚大劇場に向かいます。
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端境期でしょうか。
花なんてどこにあるのでしょう。

大劇場は公演中ですか。
なにか食べたいのですが
くすんでたどり着いたものには
食指が動くものはありません。

はやいはなし!高価でおしゃれ(!)なんですが。

通り過ぎれば「火の鳥」が呼んでいます。
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手塚治虫記念館。

さらに東に行けば旧宝塚音楽学校。
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昭和の初めごろの建築。
まだ建っていますね!息災(!)でなにより。

宝塚大橋を渡ります。

橋に並行する阪急・今津線。
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鉄橋の下に石で書かれた文字があります。
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「生」とも読めるのですが
だれがなんのために!?
洪水で流されても復活しているようです。



武庫川右岸をさかのぼります。

川を見せないようにネットフェンスがあります。
ネットフェンスの陰に橋の親柱?!
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「迎宝(寶)橋」とも読めますが。

この温泉街の芸妓の
喜怒哀楽をみんな知っている橋だと
聞いたことがあったような。

京都は祇園の巽橋を連想しますが
お門違いでしょうか。

白川のそばにある辰己大明神に
祇園の舞妓や芸妓が芸事の上達や
旦那が帰宅しないで居つづけて欲しいとか
毎日のように願って渡る橋を思い出しましたが。

迎宝橋はどこに架かっていた橋なんでしょう。
歴史から消えようとしています。

この街唯一のラブホテルかな。
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ぽつんと 1 軒だけ?!
ラブホテルはなん軒かかたまっている方が
利用しやすいと思うのですが。
余計な心配をしているときじゃないですが。

ま!息災(!)でなにより。

なまめかしくS字に身をよじる宝来橋から
下流を見れば。
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やっぱり阪急・今津線!
小豆色(阪急マルーン)の電車が
宝塚大劇場に突っ込んでいます。

橋を渡れば
スタートの阪急・宝塚駅。

パトロール(!)終了。
ランチ終わらず。



阪急の駅に並んで北にJRの宝塚駅があります。

そのJR宝塚駅の北側に出ると
まったくもって!静かです。
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急坂ばかりの中に住宅街があります。 

坂の途中に居酒屋か割烹のような店が。

ふらふら入店すれば
ランチどきを過ぎていたせいか
他に客もいなく静かです。

店の内外とても静かです。
南側の騒々しさとはエラい違いです。

日本料理だと思って飛び込んだのですが
「洋風季節料理 すみれ坂」とありますね。

「ワンプレート」の「ランチ」をいただきます。
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かなり日本的な料理に見えますが。

刺し身やイワシの煮ものもあって
私好みでおいしかったですが
いくらだったのやら!
あれ?!思い出せません。

1,000 円札でほんの少しお釣りがあったような。

残暑の現実に出ます。
ああ!心身とも!ゆらゆら。
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