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節分の豆で焼き豆腐 [だまって食え!]

節分の豆をたくさん拾ったので
豆腐屋に売りに行って
カネにしようという企て。

「焼いた豆では豆腐は作れない」
とちょっとだけ賢い人がいえば
「焼き豆腐にできないか」
というひょうきんな人。

古い笑話です。
大坂(大阪)で発行された
「立春噺大集」にのっているそうなので
江戸中期にできた噺(はなし)でしょうか。
私の推察ですが。

「立春噺大集」の「噺」という国字は
江戸中期の発明(?)と
聞いたことがあるような気がするので。



先日!ラジオだかTVだかで演じていた
「厄(やく)はらい」という落語を
耳の端で聞きましたが。

私は酔っ払っていました。

人づきあいは苦手なので
友だちは作らない!作れない人生。
それが性に合って
心おだやかに過ごしていますが。

ときどき!
親友(?)がなん百人(!)もいるとか
自慢する人がいて
私のことを哀れな目で見るのですが
私はその人がいう親友の定義が
可哀そうに感じるのですがね。

場末の居酒屋で
某おね~さんの陳情(?)か
どちらかといえば下命かがすんだので
ほろ酔いで帰ろうとしていたとき
だれかが酒を突き出してきたのです。

絶対に固辞するか
卑しいのでがばっと飲んでしまうか
ふたつにひとつ!

飲めばどう展開するのやら。
向こうが友人になったと
勘違い(?)したら困ります。

わが灰色の頭脳は
スーパーコンピュータ富岳より
速く計算しようとします。

そのとき私のコンピュータのプログラムに
バグがはっていたらしく!変調をきたし
がばっと飲んでしまっていたのです。

そのもうろうとしていたとき!どこからか
落語の「厄はらい」が聞こえたのです。

「年越し」の大みそかの噺です。
立春前日の節分は年越しの日。

節分と聞けば豆まきを想起させる現代では
ま!今は
2 月に演じるほうが自然でしょうか。

先ほどの「焼き豆腐」の噺が
この「厄はらい」に挿入されています。
いや!焼き豆腐の小話をふくらませて
「厄はらい」になったのかも知れません。

あんまり聞かない噺ですので
もっとよく聞いていたらよかったのですが
そういう状況だったのです。



先の終戦のころまでは
上方では「厄はらい」という
ショーバイがあったのだそうな。

頬かむりしてかごを背負い扇子を持つのが
正式な(?)いでたち
厄はらいの文句は決まっていたようです。

「やあらめでたいな」やら
「鶴は千年!亀万年」やら
「東方朔(とうぼうさく)は九千歳」とか。

結構長い文句をよどみなくいって喜ばれ
差し出された銭や豆を扇子で受けて
背中の籠に入れていたのですね。

銭はどうとでもつかえますが
たくさんもらった煎り豆!
どうしましょう。

  節分の豆をだまってたべて居る

尾崎放哉ならひとりだまって食べますか。

なにを考えて食べていたのでしょう。
孤独を求めて放浪の人生。
放哉はひとりで食べているときに
しあわせを感じていたのでしょうか。

まぁ!落語に出てくる連中なら孤独とは無縁。
焼き豆腐にする発想も生まれますか。はは。



焼き豆腐をオリーブ油で焼いてみます。

串に刺してあぶりたいのですが
焼き網が破れたので捨てています。

田楽みそのような
気のきいたものがありません。

柚子こしょう!
土佐の葉にんにくのたれ(みそ味)!
梅肉(梅干をたたいたもの)と青ネギと
マヨネーズを混ぜたもの。
blog98.jpg

普段は日本酒をあまり飲まないのですが
到来ものがあるので飲みます。

ひとりで食べていても
放哉のように
そんなに幸福度は高く感じませんが
少なくとも
有象無象に囲まれているよりは
しあわせに思う変な人です。



(敬称略)
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