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京街道 京橋あたり もとやの格安定食 [町道!街道!眠り未だ足らず]

寝屋川の終わり
大川(旧・淀川)に合流する前の橋の上です。
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ここに今は杳(よう)として知れない
鯰江川(なまずえかわ)も
流れ込んでいたようです。

左の鉄橋は京阪本線。
鯰江川の跡に線路を敷設しているのかも。

寝屋川橋の上流を見ると
高い位置にほっそりとした大坂橋。
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大きな名前ですが
50 年ばかり前に架橋した歩行者専用橋。
その下のフツーの橋が京橋。
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橋の向こうが南!
大阪城(いにしえの大坂城)があります。
この橋の嚆矢(こうし)は
秀吉時代の小橋だったようですが
京につづく京街道の起点といわれています。
高麗橋を起点とする地図もありますけどね。

橋のたもとに「京橋川魚市場跡」の碑。
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まぁ!こんな生半可な知識を
ハイキングなんかのときに
ひけらかしていますが
いうたびに違うことをいっているようで
恥ずかしいかぎり。

そういえば
京橋川魚市場跡を
雑喉場(ざこば)市跡といっていたかも。
すみません。

大阪を代表する繁華街の京橋と
「橋」の京橋と場所が違い過ぎるのも
私の灰色の脳はときどき混乱しています。

忙しい身ですが(ウソついてすみません)
少し京街道を京都方面に歩きましょうか。

といっても!どこが京街道なの!?
とりあえず!
たぶん!土佐堀通りの延長の
幅員のある道をたどります。

「片町東」の交差点。
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6、7 本の道が集結しています。
まるでタコ足ですね。

その中でも他より幅のない北に向いた道。
京阪本線に向かって行けば
野田橋の碑がありました。
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鯰江川を渡っていた橋があったのですね。
すると!
すぐ右へ曲がれば古堤街道でしょう。
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右に並行している低い車道が鯰江川の跡。

繁華街の今の京橋あたりで
奈良につづく古堤街道から
京街道は左に分岐していたようですが
左には京阪モールの巨大なビルがあるだけ。
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ともかく!まっすぐ進んでいるのが古堤街道。
右の分岐は下の鯰江川跡の道に降りるだけ。

JR京橋駅は鯰江川の上にあったらしく
昔の橋脚がそっくり残っています。
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古堤街道も駅の下を通っていますから
当然!古い橋脚がしのばれます。
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さらに進めば大坂七墓のひとつ
蒲生(がもう)の墓場があります。
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広大な墓地だったそうですが
今はわずかに面影が残っているだけ。

ほんのこの前までは自由に
参詣できたのですが(拙ブログ 2014/01/09
厳重に施錠されていました。

数日前にも
発情!いや!お色気おね~さんたちに
この墓場を「京橋の墓」と説明していたかも。
「蒲生」でしたね!ごめんなさい。

ことごとく反省することばかり。

京阪モール!すなわち京阪・京橋駅を
う回して越えれば
「右 大和」「左 京」の石標があります。
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京街道はJR大阪環状線の下をくぐります。
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京橋商店街のアーケードの中を進みます。
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もう!ランチどきは過ぎていますが
繁盛している店舗があります。
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「もとや 南店」ですね。

カレー 230 円!
カツ丼 330 円!
昔からあんまり値上げしていませんか。
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あいかわらず安価です。

今日は分不相応におごって(?)
まぐろ造り定食をいただきます。
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まぐろ(鮪)の造り(刺し身)と
だし巻きと豆腐をどどっという盛り方。

これで 500 円(税抜き)です。

再び!京街道へ。
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おなかがいっぱいになったので
なんだか探索もおっくうになってきました。
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