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中道寄席 ウサギ跳びやら快楽亭やら [パパラッチ!ママえっち?]

西室院(神戸市兵庫区)の中道寄席。
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多少の情けない事情があって
開演の 40 分前に着いたら
だれもきていません。

映画館や劇場の私の定席(!)の
最後部の右角を容易に確保。

ぽつりぽつり客がきます。
初めのころには
年には不足のない女性ばかり。
みんな向かって左に
つまり私の逆に座って行きます。
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最後には用意されたイスは
すべて埋まりましたが。



昔!師に聞かされていたことを
思い出しました。

「ビルの谷間のこみいったところを」
「走って逃げているときにな」

「どういうシチュエーションでしょうか。

「スイカを盗って逃げているときとか」
「松茸を泥棒して」
「犬に追いかけられているときとかだ」

「スイカや松茸と
「都会のビルの谷間は
「似合わないと思いますけど。

「スーパーで万引きならいいだろ」

「は?!

「そのときにたいてい」
「考えることなく左回りに逃げるんだ」

「どうしてですか。

「それは知らんが」
「日本人は左回りが自然体のようだ」

そのりくつで落語会の席も
左側から埋まるのでしょうか。

「だから!予想されて先回りされたりする」
「逃げるときにはウサギのように」
「右に跳んだり!左に跳んだりして」
「追っ手をまかねばならん」

私は教えに背かず
右に跳ぶウサギでしょうか。



今日の 105 回 中道寄席は
「桂あおば」から。
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つづいてこの寄席の実行委員の
「桂三ノ助」です。
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桂三枝(6代 桂文枝)の弟子ですが。

おなじ三枝の弟子に
「桂三ノ介」がいました。
「三ノ助」とその「三ノ介」は別人ですね。

「三ノ介」は
快楽亭ブラック(2 代目)というほうが
世間では通っていますけどね。

もっとも今の芸名はなにか知りませんが。
最初の師匠は立川談志。
談志より
「志ん生の改名記録を抜け!」といわれて
ひんぱんに替えたといっていますが。

それより
度重なる不祥事で替えたことのほうが
多いのでは。

談志の考えは
女をだましても
バクチをしても
ヒロポンを打っても
師匠・先輩に
毒づいてもいいらしいようですが
泥棒はダメらしい。

快楽亭ブラックは
師匠のカネを使い込んで破門になったとか。

それで大阪に流れて
三枝の弟子になったのですね。
1972 年のこと!?
たぶん!ブラックが 20 歳。
三枝が 29 歳。
談志は 36 歳かな。
三ノ助は 1 歳?!

三枝が若い。
他に弟子がいたのでしょうか。
1 番弟子!?そう私には思えますが。

ちなみに志ん生の改名記録は 18 回。
ブラックは
それを越えているのじゃないですか。

その中でも!私はなんといっても
「快楽亭セックス」という芸名が好きですが。

この落語会に
なんの関係もないはなしばかりで
すみません。



「桂楽珍」が
新型コロナウイルス禍で
10 か月収入がなかったことを
はなしていましたが。
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もう還暦なのに!
師匠と呼ばれているのに!
アルバイトをして
糊口をしのいでいたようです。

哀れなはなしは聞く方には面白い。
自分はもっと懐中不如意なのに
忘れて笑っていました。



(立川談志著/談志楽屋噺/)参照
(敬称略)
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