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丹波亀山城 爆発!ど~もすみません [いわなが姫の丑の刻参り]

JR山陰本線の亀岡駅を降りたら
大きな建造物が!?
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「サンガスタジアム by KYOCERA」だとか。
「京セラ」の工場でもなく
サッカーの競技場でした。

この日に出会った 2、3 の人は
「住民税があがらなければいいが」と
ぼやいていました。
とんでもない金額を
人口 10 万人に満たない市や
京都府が負担しているのかも。

スタジアムのある亀岡駅の北側には
桂川が流れています。
もっとも!ここから
「保津川くだり」が始まるので保津川とか
または地図によっては大堰川とか
表記が違うのが面白い。

北側は川と湿地帯でした。
丹波亀山城の天然の堀だったのでしょうけど
しばらくこなかったら
どんどん開発が進んでいます。
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大阪の梅田駅周辺に似ているような。
梅田は「埋め田」!湿地帯だったのに
あれほどにぎやかに変貌。
亀岡駅の北側もそうなれば
増税の心配がないのにね。

開発によって
天然記念物の「アユモドキ」の
絶滅の懸念があるそうです。

市民のみなさん!
ため息が絶えないようですね。

余談ですが
アユモドキはアユ(鮎)の仲間ではなく
ドジョウ科の淡水魚ですが
大昔!テント生活中
(ホームレスではありません)
獲れたから!知らずに! 煮て食べたかも。
ど~も!すみません。



駅の南に亀山城跡があります。
したがって!ここは
亀山という里だったのですが
明治になって!
なにかに忖度(そんたく)して
亀岡と改名したようです。

さらに亀山城も
丹波亀山城と呼ぶようになったのかも。

城跡を背にして明智光秀が立っています。
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最初に築城した人ですね。

ここは大陸によく見られるように
城下町をみんな取り込んだ!
いわゆる総構えの城です。

内堀があり!外堀があり!
外側にさらに惣堀が造られていました。

が!いきなり内堀にあたりました。
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桂川と湿地帯が
北側の外堀と惣堀の
代わりなっていたのでしょうか。

しかも!この内堀!
雑水川(ぞうずがわ)という川なんですね。
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のんびりと釣り糸を垂れている人!多数。



城跡は全部!大本教の所有物だそうな。
拝観料が 300 円必要です。
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といって!ゲートもなければ
門番もいません。
今まで支払った記憶がありません。
気づかずに黙って
入場していたかも知れません。
ど~も!すみません。

今回はちゃんと
みろく会館まで行ってお支払いしましたよ。

赤松がたくさんあります。
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信者が幹をみがいているそうで
きれいな色をしています。

桜が咲いています。
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十月桜のように見えましたが
「木の花桜」というらしい。

大公孫樹(いちょう)があるはずなんですが。
あの天守閣跡あたりにある大木かも。
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「禁足地」になっていて近寄れません。

石垣の下部のほうは
明智光秀や
豊臣秀吉時代のものかも知れませんが
上部は先の大戦後に復原したもののようです。

というのは
昭和 10 年(1935)からの宗教弾圧で
およそ 1,500 発のダイナマイトで
城跡にあった大本教の建造物やら
石像やらを破壊したそうな。

当然!石垣も吹っ飛んでいますよね。
大公孫樹だけは残されたと聞きましたが。

そのとき!大日本帝国政府から
爆破を請け負ったのが清水組。
今の清水建設かも。
長い歴史のある企業には
闇の部分が少なからずあるものです。

宗教団体は国家権力にすり寄りがちです。
宗教団体の親玉は
権力だけではなく金力や暴力や
およそ力とつくものみんな!大好きなはず。

すり寄らない団体は国家権力が敵視します。
小説「邪宗門」に
そのことが書かれていると
なんとなく思っていたのですが
郷土史家によると
邪宗門のモデルは大本教だけど
歴史書ではないそうな。

あくまでも小説らしい。
読書嫌いな私なんかが!
パラパラめくっただけで
分かったような気がしては
いけないようです。
ど~も!すみません。


街を歩くと竹林によく出会います。
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堀を掘った土なんかを積みあげて
お土居(土塁)を造っているのですね。
そこに防御のため竹を植えていたようです。

今はとぎれとぎれのお土居ですが
整備されているところもあります。
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先は崩されていますから
一段と高いのがよく分かります。

聖隣寺には
お土居を利用した墓地がありました。
そこに織田信長の墓があります。
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供養塔でしょうか。



亀山城が「本能寺の変」の発端!?
でも!明智光秀も本能寺の変も
分からないことだらけ。

歴史というより
ずっと後世の推察や創作だらけ。
史料価値が高いといわれる「信長公記」でも
本能寺の変の 30 年近い後のもののような。

信長公記の本能寺の場面は少ない。

森乱(蘭丸)が
「明智が者」のようだと進言したら
信長が
「是非に及ばず(ぜひにおよばず)」といって
「御腹めされた」とありますが。

明智の記述は「逆心を企て」だけかな。

みんな死んでいるのに見てきたような表記。
史料価値が高いものでもそんなもの。

「光秀の夢」というビールと
城内にあった木の花桜から命名したのか
「この花桜」という
日本酒を買って帰ります。
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へたの考え休むに似たり。
一気に飲んで!酔うばかリ。
「是非に及ばず」
ど~も!すみません。



(高橋和巳著/邪宗門/)
(太田牛一著/信長公記/桑田忠親校注/)参照
(敬称略)
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