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法隆寺の怨霊 手羽先定食あり [いわなが姫の丑の刻参り]

収穫の終わった田畑にあがる煙。
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春先の枯れ草を焼く野火には
まったく感動はなく
風にあおられて
燃え広がる懸念さえいだくのですが
秋の煙にはやさしさだけ覚えて
おおげさにいえば感傷的になります。

特に盛ったもみ殻が
ゆっくり燃えるときの煙が
心にしみます。

なぜだかよく分かりません。
遠い記憶になにかあるのかも。

遠い日に死んだ祖母が
怨霊になって
手招きしているのでしょうか。

私を可愛がってくれたのに
期待を裏切って
シケた人生に甘んじているのを
叱りに出てきてくれて!ありがとう。



なんの変哲もないような土盛り。
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藤ノ木古墳です。

法隆寺のそばにあります。

つい最近(1988)発掘され
豪華な副葬品が衆目を集めたようですが。

石棺に 2 体合葬されていたそうな。
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奇妙なことです。

1 体は成人男性。
もう 1 体は残っている骨が少なく
たぶん!
成人男性ということになっています。

同時に葬られた可能性が
高いというのも変ですが
男同士というのもなんでしょう。

骨盤が風化してしまっているほうは
女性の可能性がないのでしょうか。

被葬者はだれですか。

一時!崇峻(すしゅん)天皇説が
にぎわいましたが。

今!宮内庁の比定している崇峻天皇陵は
過去!いく度か揺れ動いて
だれも信じるものはいないので
半ば納得した人!多数。

それからどうなっているのでしょうか。

古墳の上を行く秋の雲を見ながら
立ち尽くします。
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法隆寺の中門の前を横切ります。
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堂々とした楼門です。

門の真ん中にも柱があります。
それは聖徳太子の怨霊を閉じ込めて
外に出さない閂(かんぬき)だと
梅原猛は主張しました。

その説が書かれた
「隠された十字架」を読んでも
基礎学問の欠落している私には
さっぱり理解ができませんが。

だいたい!あんな柱 1 本で
強大な怖い怨霊がおさえられますか。

怨霊さんは!
小さな間隙でもすり抜けられるでしょう。
屋根も越えられるに違いありません。

怨霊も考えられるほど
聖徳太子の周囲はあまりにも生臭い。

悪いのはみんな
蘇我馬子になっていますが
物部守屋の殺害や
崇峻天皇の暗殺にも
多大な関係がありそうだし。

聖徳太子が制定したとされる十七条憲法!
あれは「憲法」の体をなしていますか。
それはさておいて!その中の
「和を以て貴しとなす」の「和」のふしぎ。

十代のころから放蕩生活をした人が
少女歌劇を作って
「清く正しく美しく」といったり。

場末の居酒屋では
奥さんに逃げられているおじさんが
「ぼくら夫婦仲がいいのが自慢」
とほざいたり。

軍部に取り入って大儲けした人が
戦争はよくないことだから
まったく加担したことがないと
いけしゃあしゃあとしていたり。

すねに傷がある人ほど
逆のことを声高々にいいませんか。

聖徳太子の「和」が変に感じます。
和のないことをしてきたからといえば
叱られますか。

日本で一番の聖人!
日本で一番多い業績!
ということになっていますが
でも!天皇ではありません。
すぐにでも天皇になれる身分なのに。

父は用明天皇です。
用明帝の 4 きょうだいは
みんな天皇になっています。
その内の敏達帝と推古帝はきょうだい婚です。

巷間!多くの事績を
当時の推古天皇の手柄といわないのは
どうしてなんですか。

推古帝は日本書紀では在位 36 年
古事記では 37 年という長期政権。
大変優れたと思われる天皇なのに。

聖徳太子の本名もよく分かりません。
死後 100 年後の
古事記・日本書紀に見られる
「厩戸(うまやと)」は明らかに
景教(キリスト教)の影響でしょうし。

尊称はみな!ずっと後世の作。

だいたい!この聖人は実在の人ですか。
それとも!平凡な皇子を
聖人にしたてた人がいるのでしょうか。



JR法隆寺駅から帰ります。

日ごろ!頭を使わないものが
とんちんかんなことを考えていると
おなかがすきます。

「手羽先定食」とあります。

「ぎんのからあげ」という店舗。
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「金」ではなく「銀」ですか。
その「きんぎん」かどうか知りませんが。

大きな手羽先のから揚げでした。
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税込み 650 円。
いいじゃないですか。

野生の血が濃い私は
骨つきのものにおいしさを感じます。



(敬称略)
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