あいなの里史跡めぐり だったんラーメン [野道!山道!恋はけもの道!]
神戸電鉄・新開地駅。
乗り換えの駅なんですが
つぎの便まで 20 数分あります。
ホームに行くスロープに
神戸製麺所があります。
懸案の
(そんなたいしたことでもないですが)
「だったんそば」の
「醤油ラーメン」を食してみますか。
鋼鉄の胃袋と自他とも認めてきました。
なんでも食べます。
嫌いなものでも!まずいものでも!
おなかいっぱいでも!
すすめられたら食べてしまいます。
それが最近!変調をきたし!
汁ものに吐き気が起きることがあります。
それで外食時には用心しているのですが
でも!ま!食べてみますか。
税込み 480 円。
特徴のある色で!腰のある麺です。
おいしいです。
上記の事由でスープの多くは残しましたが
みんな飲みたい由緒正しい貧乏人です。
国営「あいな里山公園」の最寄り駅の
神戸電鉄・藍那(あいな)駅の前で
イベントの受けつけをしていました。
「丹生山田あいなの里史跡めぐりハイク」!
長い名前をつけましたね。
山田民俗文化保存会主催!
神戸電鉄やらあいな里山公園やらが
協力しているようです。
ハイキングのマップをもらって
勝手に歩けばいいらしい。
駅のすぐそばに紫式部の墓がありました。
すごいですね。
京都の雲林院(うりんいん)の近くの
墓所しか知りませんでしたが。
七本卒塔婆(しちほんそとば)と
宝塔があります。
推定 14 世紀末のもの。
急坂をあがれば古刹(こさつ)の
大中寺(だいちゅうじ)がありました。
ここまでも大変な急勾配でしたが
さらにゆるめることのない道を
のぼって行きます。
これ!生活道路ですよね。
ここに住めばきたえられますね。
ま!今どき
モータリゼーションに背を向けている
化石のような私の愚考ですが。
石垣の上に
毘沙門堂(びしゃもんどう)があります。
いにしえは宝形造りといいますが
今は無住でこぢんまり。
天津彦根(あまつひこね)神社には
農村舞台があります。
もう!崩壊寸前です。
六甲山の集落には
あちらでもこちらでも
農村舞台が造られていたようです。
農村歌舞伎舞台ともいわれていますが。
もう現存はわずか。
一度鉄道の走る谷底に降りて
今度は「あいな里山公園」のほうに
また急坂をのぼります。
釈迦堂!?
なん度もここを通っているのに
知りませんでした。
元は寺院でしたか。
その後!なにがあったのか
農村舞台に改造したようです。
さらに現在は倉庫に流用しているとか。
接近して見ると
倉庫に似合わない構造をしています。
鵯越道(ひよどりごえみち)をたどれば
和泉式部の墓がありました。
いやはや!大変な里です。
紫式部も和泉式部も
1,000 年前後に生きたひと。
これらふたつの墓は
それから 300 年後に建てられたらしい。
私がヘタな意見はいいますまい。
なんの変哲もない三叉路が
相談ケ辻(そうだがつじ)だとか。
源義経が軍議を開いたところ。
だれか見たんか?!
義経の伝記という義経記でさえ
ほぼ史実はないといわれています。
紫式部!和泉式部!源義経!
遠い幻を一時でも追えれば楽しい。
楽しいとしましょう。
あいな里山公園の梅林に花が少ない。
なん本かの紅梅は咲いていましたが。
あちこちの農村歌舞伎舞台は
消えて行っていますが
ていねいに復元された舞台があります。
世阿弥の「風姿花伝」にものっとった
造りでもあるような。
私のいいかげんな考察ですが。
この公園内の棚田で収穫した米で作った
甘酒のふるまいがありました。
朝!豪勢な(?)朝食!
ラーメンを食べていますから
この甘酒と
チョコレート数片でランチにします。
このあいな里山公園には
食べものは!まったく売っていません。
イベントがあるときには
なにかあるときもありますが!まれです。
近隣にもありません。
乗り換えの駅なんですが
つぎの便まで 20 数分あります。
ホームに行くスロープに
神戸製麺所があります。
懸案の
(そんなたいしたことでもないですが)
「だったんそば」の
「醤油ラーメン」を食してみますか。
鋼鉄の胃袋と自他とも認めてきました。
なんでも食べます。
嫌いなものでも!まずいものでも!
おなかいっぱいでも!
すすめられたら食べてしまいます。
それが最近!変調をきたし!
汁ものに吐き気が起きることがあります。
それで外食時には用心しているのですが
でも!ま!食べてみますか。
税込み 480 円。
特徴のある色で!腰のある麺です。
おいしいです。
上記の事由でスープの多くは残しましたが
みんな飲みたい由緒正しい貧乏人です。
国営「あいな里山公園」の最寄り駅の
神戸電鉄・藍那(あいな)駅の前で
イベントの受けつけをしていました。
「丹生山田あいなの里史跡めぐりハイク」!
長い名前をつけましたね。
山田民俗文化保存会主催!
神戸電鉄やらあいな里山公園やらが
協力しているようです。
ハイキングのマップをもらって
勝手に歩けばいいらしい。
駅のすぐそばに紫式部の墓がありました。
すごいですね。
京都の雲林院(うりんいん)の近くの
墓所しか知りませんでしたが。
七本卒塔婆(しちほんそとば)と
宝塔があります。
推定 14 世紀末のもの。
急坂をあがれば古刹(こさつ)の
大中寺(だいちゅうじ)がありました。
ここまでも大変な急勾配でしたが
さらにゆるめることのない道を
のぼって行きます。
これ!生活道路ですよね。
ここに住めばきたえられますね。
ま!今どき
モータリゼーションに背を向けている
化石のような私の愚考ですが。
石垣の上に
毘沙門堂(びしゃもんどう)があります。
いにしえは宝形造りといいますが
今は無住でこぢんまり。
天津彦根(あまつひこね)神社には
農村舞台があります。
もう!崩壊寸前です。
六甲山の集落には
あちらでもこちらでも
農村舞台が造られていたようです。
農村歌舞伎舞台ともいわれていますが。
もう現存はわずか。
一度鉄道の走る谷底に降りて
今度は「あいな里山公園」のほうに
また急坂をのぼります。
釈迦堂!?
なん度もここを通っているのに
知りませんでした。
元は寺院でしたか。
その後!なにがあったのか
農村舞台に改造したようです。
さらに現在は倉庫に流用しているとか。
接近して見ると
倉庫に似合わない構造をしています。
鵯越道(ひよどりごえみち)をたどれば
和泉式部の墓がありました。
いやはや!大変な里です。
紫式部も和泉式部も
1,000 年前後に生きたひと。
これらふたつの墓は
それから 300 年後に建てられたらしい。
私がヘタな意見はいいますまい。
なんの変哲もない三叉路が
相談ケ辻(そうだがつじ)だとか。
源義経が軍議を開いたところ。
だれか見たんか?!
義経の伝記という義経記でさえ
ほぼ史実はないといわれています。
紫式部!和泉式部!源義経!
遠い幻を一時でも追えれば楽しい。
楽しいとしましょう。
あいな里山公園の梅林に花が少ない。
なん本かの紅梅は咲いていましたが。
あちこちの農村歌舞伎舞台は
消えて行っていますが
ていねいに復元された舞台があります。
世阿弥の「風姿花伝」にものっとった
造りでもあるような。
私のいいかげんな考察ですが。
この公園内の棚田で収穫した米で作った
甘酒のふるまいがありました。
朝!豪勢な(?)朝食!
ラーメンを食べていますから
この甘酒と
チョコレート数片でランチにします。
このあいな里山公園には
食べものは!まったく売っていません。
イベントがあるときには
なにかあるときもありますが!まれです。
近隣にもありません。