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幻の難波大道 幻になる380円ランチ [いわなが姫の丑の刻参り]

私の散歩道にある
法楽寺(大阪市東住吉区)の西側を
難波大道(なにわだいどう)が通っていたとか。
blog01難波大道.jpg

発掘された難波宮(なにわのみや)の朱雀門と
大和川今池遺跡の大道を
地図上でつないだら一直線の
難波大道が現れたそうな。
blog03難波大道.jpg
(大阪府文化財センター作成地図)

左端が北の難波宮
右端が南の大和川畔の今池遺跡。
その間だけ測れば 9km 。

それが法楽寺をかすめているといいますが
平重盛(清盛の長男)が創建
栄え始めたのは源平争乱後だそうなので
早くても 12 世紀末!
大道の建設時にはまだ寺はなかったのでは。

難波大道なることばを
一番最初に記述しているのは日本書紀。
推古 21 年(613)のことだそうな。

前期難波宮(なにわのみや)は
乙巳(いっし)の変(大化の改新)後
すなわち 7 世紀後半。
推古帝時代の大道と
難波宮の大道とおなじものかどうか!
灰色の脳みそは混乱するばかり。

また法楽寺のほんの少し東に並行して
下高野街道が走っているようです。
blog02難波大道.jpg

高野街道は
京・大坂から高野山参詣の道でしょうから
平安時代の後期あたりから
さかんになったとすれば
その当時にはもう
難波大道の存在は薄いのかも。



幅員が 18m という難波大道が
こんなに下町の路地ではないでしょうけど
北へたどってみましょうか。

たどれません!まともに。
まっすぐな道なんて全然ありません。
先の太平洋戦争で
地形が変わっていますからね。

JR阪和線沿いがその道と推定されますが。
blog04難波大道.jpg

すぐに美章園(びしょうえん)駅に。

駅の隅のデッドスペースに
「遭難供養之碑」がありました。
blog05美章園駅.jpg

やっぱり!太平洋戦争の空爆で
多くの人が犠牲になっているんですね。



美章園駅前の居酒屋のまるふく(丸福)
美笑園(美章園にあらず?)店のランチは
私好みです。
blog06丸福.jpg

なにが好みかといっても
日替わり定食が 380 円という値段ですが。

ひぇ~!
blog07丸福.jpg

8 月 15 日でランチをやめるの!

では!最後の日替わり定食を。
blog08丸福.jpg

漬け(マグロのたれ漬け)でした。
野菜サラダがついて税込み 380 円。
なにもいえません。



元気出してさらに北へ。
といってもまっすぐな道!
いよいよありません。

徒労かも。
というのは
大正 14 年(1925)の地図を見たら
難波大道の面影!すでにありませんでした。

いや!明治 18 年(1885)の地図にも
まったくありません。

ま!もう少し行きますか。
近鉄・南大阪線の高架をくぐりさらに北上。

八反田地蔵がありました。
blog09八反田地蔵.jpg

地蔵菩薩と思って拝んでいたのに
近年!阿弥陀如来と判明したそうな。

ここから北へJR関西本線の下を通って
ほぼまっすぐな道があります。
blog10田辺街道.jpg

田辺街道!?
あれ!別名・下高野街道?!
いずれにしても難波大道ではないの!?

JR大阪環状線の寺田町駅に着きました。
blog11寺田町駅.jpg

さらに北へ延びているような
延びていないような。

あ!その道の両側は「大道」の地名!
blog12難波大道.jpg
やっぱり
難波大道を歩いていたのでしょうか。



暑いし!
よく分からないからもうやめます。



(大阪市土木技術協会編/歴史の散歩道/)
(難波りんご著/私たちの阿倍野/)参照
(敬称略)
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