福知山廃線ハイキング 通行許可 [野道!山道!恋はけもの道!]
振り仰げば
大きな音を立てて電車が通ります。
JR宝塚線(福知山線)の
武田尾(たけだお)駅です。
武庫川にかかる橋梁駅。
名塩(なじお)に抜ける道を確認したくて
右岸の西宮市側の川沿いを下っていますが
ハイカーたちは普通
駅を出ると左岸の宝塚市側を歩きます。
温泉橋を渡って宝塚市に入ります。
橋を渡ったあたりに
旧・武田尾駅があったようです。
その周辺に集落があり
駅と線路が移転した後も
いくつかの商店があったのですが
大洪水が暴れてなにもなくなっていましたが。
集落が!村が!
ホントに!まったく一切!消えていました。
(その当時は)アラフォー(around 40)の
(思い出の中では)美しいおね~さんと
その集落の酒店兼居酒屋(?)で
「焼きぼたん」なるもので
生ビールを飲んだのは
ほんのこの前のような気がしますが。
(拙ブログ 2014/05/10)
おね~さま!その節はお世話になりました。
今も清く正しく美しくお暮しでしょうか。
淫(みだら)らでもよろしい!
たくましくてやさしい腕の中で
まどろんでいたらいいのですが。
集落も少しずつ復興してきたようで
いくつか新築中のようです。
すごい!ハイカーのために
新しいトイレが建てられています。
ここからホントになにもない
福知山線の廃線跡なんですが
まず渡る鉄橋が新しくなっています。
あれ!?
以前は(拙ブログ 2014/05/09)
「通行不可」の注意書きばかりだったのに
「自己の責任と判断」で
通行してもいいような看板。
それもJRと宝塚市が連名で。
では!行きます。
トンネル内で必要以上に怖がって
抱きついてくる人もいませんが。
8 号トンネル 91m から。
最近入手した
西宮市観光協会&宝塚市国際観光協会の
リーフレットでは
長尾山第 3 トンネル 86m ですが。
7 号トンネル 147m 。
上記リーフレットでは(以下おなじ)
長尾山第 2 トンネル 142m 。
河原ではだれも遊んでいません。
私たちはなん度か降りたと思うのですが
川の形が変化していて
そこがどこだったのか特定できません。
国鉄時代のタラップは
まだいくつか残されていますが。
6 号トンネル 307m 。
(長尾山第 1 トンネル 300m)
トンネルを抜けるとすぐ
第 2 武庫川橋梁なんですが?!
鉄橋の上に木道ができています。
以前は横の
キャットウォークを通行していました。
つづいてすぐ 5 号トンネル 150m 。
(溝滝尾トンネル 140m)
短いのですがカーブしているので
向こうが見えません。
このあたりかなぁ!
小学生たちを連れて降りたのは。
今は渓谷に降りることは禁止のようです。
ま!降りたくてもどの道も消えていますが。
トンネルの範ちゅうに入りますか。
水路が越えているところ。
その昔!この水路に
こどもたちが上るというので許しましたが。
ああ!とんでもないことをしました。
もし!水路の中ですべったら
遊園地のすべり台のように飛び出して
渓谷のはるか底に落ちるところでしたね。
引率責任は重い!
今ごろ震えがとまりません。
一番長い 4 号トンネル 414m 。
(北山第 2 トンネル 413m)
新 4 号トンネル 318m
(北山トンネル 319m)に向かいます。
あの日!
生娘が強姦魔に追いかけられているような
叫び声をあげつづけたおね~さん。
(拙ブログ 2014/05/09)
尺取り虫が
すだれのように垂れていたあたりかも。
美しい人は顔をくちゃくちゃにしても
絵になったような。
思い出はただただ美しい。
錆びた鉄橋だったような
姥ケ懐川橋梁は木橋に変身しています。
名塩川橋梁も木橋に。
今!認知されている
福知山廃線ハイキングコースの南の端にも
トイレが新設されていました。
こちら側のトイレは西宮市!
北の端にあったそれは宝塚市の設置かも。
このハイキングコースは武庫川に沿っていますが
武庫川が市境なんでしょうね。
廃線跡は両市の努力か
全体!歩きやすくはなっていました。
ここから最近はほとんど
西宮名塩(にしのみやなじお)駅に出ていますが
最初のころは
生瀬(なまぜ)駅を利用していましたね。
今日は心を原点にもどらせ
中国自動車道の高架をくぐって
生瀬駅に向かいます。
このあたりに
旧・福知山線を忍ばせる景色があったような。
まったく分からなくなっています。
宝塚市も山の上まで変貌していますね。
鉄橋!?
これは現役の鉄道かも。
JR生瀬駅。
一時!寂しい無人駅だったような。
今は立派なたたずまい。
武田尾方面に電車が行きました。
ここから北への新線はほぼトンネルです。
大きな音を立てて電車が通ります。
JR宝塚線(福知山線)の
武田尾(たけだお)駅です。
武庫川にかかる橋梁駅。
名塩(なじお)に抜ける道を確認したくて
右岸の西宮市側の川沿いを下っていますが
ハイカーたちは普通
駅を出ると左岸の宝塚市側を歩きます。
温泉橋を渡って宝塚市に入ります。
橋を渡ったあたりに
旧・武田尾駅があったようです。
その周辺に集落があり
駅と線路が移転した後も
いくつかの商店があったのですが
大洪水が暴れてなにもなくなっていましたが。
集落が!村が!
ホントに!まったく一切!消えていました。
(その当時は)アラフォー(around 40)の
(思い出の中では)美しいおね~さんと
その集落の酒店兼居酒屋(?)で
「焼きぼたん」なるもので
生ビールを飲んだのは
ほんのこの前のような気がしますが。
(拙ブログ 2014/05/10)
おね~さま!その節はお世話になりました。
今も清く正しく美しくお暮しでしょうか。
淫(みだら)らでもよろしい!
たくましくてやさしい腕の中で
まどろんでいたらいいのですが。
集落も少しずつ復興してきたようで
いくつか新築中のようです。
すごい!ハイカーのために
新しいトイレが建てられています。
ここからホントになにもない
福知山線の廃線跡なんですが
まず渡る鉄橋が新しくなっています。
あれ!?
以前は(拙ブログ 2014/05/09)
「通行不可」の注意書きばかりだったのに
「自己の責任と判断」で
通行してもいいような看板。
それもJRと宝塚市が連名で。
では!行きます。
トンネル内で必要以上に怖がって
抱きついてくる人もいませんが。
8 号トンネル 91m から。
最近入手した
西宮市観光協会&宝塚市国際観光協会の
リーフレットでは
長尾山第 3 トンネル 86m ですが。
7 号トンネル 147m 。
上記リーフレットでは(以下おなじ)
長尾山第 2 トンネル 142m 。
河原ではだれも遊んでいません。
私たちはなん度か降りたと思うのですが
川の形が変化していて
そこがどこだったのか特定できません。
国鉄時代のタラップは
まだいくつか残されていますが。
6 号トンネル 307m 。
(長尾山第 1 トンネル 300m)
トンネルを抜けるとすぐ
第 2 武庫川橋梁なんですが?!
鉄橋の上に木道ができています。
以前は横の
キャットウォークを通行していました。
つづいてすぐ 5 号トンネル 150m 。
(溝滝尾トンネル 140m)
短いのですがカーブしているので
向こうが見えません。
このあたりかなぁ!
小学生たちを連れて降りたのは。
今は渓谷に降りることは禁止のようです。
ま!降りたくてもどの道も消えていますが。
トンネルの範ちゅうに入りますか。
水路が越えているところ。
その昔!この水路に
こどもたちが上るというので許しましたが。
ああ!とんでもないことをしました。
もし!水路の中ですべったら
遊園地のすべり台のように飛び出して
渓谷のはるか底に落ちるところでしたね。
引率責任は重い!
今ごろ震えがとまりません。
一番長い 4 号トンネル 414m 。
(北山第 2 トンネル 413m)
新 4 号トンネル 318m
(北山トンネル 319m)に向かいます。
あの日!
生娘が強姦魔に追いかけられているような
叫び声をあげつづけたおね~さん。
(拙ブログ 2014/05/09)
尺取り虫が
すだれのように垂れていたあたりかも。
美しい人は顔をくちゃくちゃにしても
絵になったような。
思い出はただただ美しい。
錆びた鉄橋だったような
姥ケ懐川橋梁は木橋に変身しています。
名塩川橋梁も木橋に。
今!認知されている
福知山廃線ハイキングコースの南の端にも
トイレが新設されていました。
こちら側のトイレは西宮市!
北の端にあったそれは宝塚市の設置かも。
このハイキングコースは武庫川に沿っていますが
武庫川が市境なんでしょうね。
廃線跡は両市の努力か
全体!歩きやすくはなっていました。
ここから最近はほとんど
西宮名塩(にしのみやなじお)駅に出ていますが
最初のころは
生瀬(なまぜ)駅を利用していましたね。
今日は心を原点にもどらせ
中国自動車道の高架をくぐって
生瀬駅に向かいます。
このあたりに
旧・福知山線を忍ばせる景色があったような。
まったく分からなくなっています。
宝塚市も山の上まで変貌していますね。
鉄橋!?
これは現役の鉄道かも。
JR生瀬駅。
一時!寂しい無人駅だったような。
今は立派なたたずまい。
武田尾方面に電車が行きました。
ここから北への新線はほぼトンネルです。
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