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めすねこ・マークン 野生に還る [はなしのはなし 食えぬ梨]



庭の端に立つと眼下に渓流が見える。

庭といっても
池泉式とか枯山水とかの庭ではなく
筵(むしろ)干しなどの
農作業が行えそうな
10m 四方ほどの平地が
家の前にあるだけだが。

渓流の幅は 5m ほどで
ときどき丈のある草の間から水面が
キラリと反射している。

コンクリートの橋を渡って
ピンク色の軽乗用車がのぼってきた。

ここの集落のために
村と県とが拡幅した道だそうだが
それでも幅員はあまりなく
特に狭いところは 3m ばかり。
最近はだれもメンテをしなくなり
雑草が生い茂っている。

そんな道をくるなんて!だれだろう。

「昆虫います?!

アラサー(around 30)の女が
くるまから出てくるやいなや問う。

なんだ!?
この女は。

少し心がとがった。
日本人なら
初めになにかあいさつがあるだろうに。

「チョウやトンボやバッタなら
「いくらでもいますよ。

「トカゲは?!

ちょっと見は美人で可愛らしいが
礼節はないのだろうか。

「トカゲやヘビの天下ですよ。
「サワガニもカエルも。
「夜行性のシカやイノシシや!
「タヌキもキツネも
「昼間から堂々と歩いていますよ。

怒った声で
聞かれもしないことまで
一気にしゃべった。

「あの家の向こうにも家があるんですか。

道がのぼりつめた 300m ほど先の
民家をあごでしゃくって女が聞いた。

「ないです。
「道はつづいていますが
「やがて林の中で行き止まりになります。

「あの向こうから
「だれも住んでいなくなりますか。

「だれもって!あなた。
「この集落で
「住んでいるのはわたしだけですよ。

「この家!みんな空き家なの?!

「そう!崩れて廃屋に近い家もありますよ。

斜面に点在している十軒の家を
あらためてふり返りながらいった。

「廃屋には勝手に入ってもいいのですね。

「法的にはどうか知りませんが
「キツネやフクロウやムササビは
「勝手に住んでいるようですがね。



「ここでいいか。

女はくるまの後ろの席から
ペット運搬用のボックスを引き出して
扉を開けると!大きな猫が出てきて
「にゃぁ」とひと声鳴いた。

おとなしい。
知らない場所で知らない人を見ても
あまり動揺していないようだ。

「アメリカンショートヘア?!

「そう!アメショーのマークンです。

「男の子!?

「女の子。
「飼う前に名前を決めていたから
「メスのこのこが気に入って
「連れて帰ってもマークン!初志貫徹。

なんだ!初志貫徹とは。
ことさらそんな場面で使う
硬い熟語でもあるまいに。
と!胸の底で思った。

「じゃ!マークン!
「あの上の家に行こうね。

「なにをしに行くんです。

「野生に還るまでの
「仮のおうちに貸してもらいます。

「野生?!

「猫は野生に還るのが
「一番しあわせなんです。

「飼い猫は野生には還りませんよ。

「わたくし!
「T 大の教育学部を出たのですが。
「動物学の聴講もすごくしています。
「それに多くの文献にあたっています。

「ネイチャーなんかも読み返し
「執筆者に直接聞きもしました!英語で。

「猫は秘めた本能が無数にあるのです。
「それらをよみがえらせて
「野生で生きるのが
「きゅうくつな人間の社会で
「しぶしぶ生かされるより
「どんなにかしあわせなんです。

なんだ!この女の傲慢(ごうまん)さは。

そうだ!自信家は傲慢なのだ。
学者でも!芸能人でも!芸術家でも!
創業者社長でも!政治家でも
自信家は傲慢に見える。

自然にそうなのか!
そう装っているのか!
自信に縁のない私には分からないが。

そんな自信家とは議論はできまい。

「でも!もし!野生にもどれなかったら
「この猫!困るでしょう。

「そんなに無責任ではありませんわ。
「わたくし!いつも
「2 週間後にきて確認しています。

いつも?!
この女はいつも猫を放しているのか。

「マークンが野生に還れなかったら
「連れて帰ります。

女はマークンを再び乗せて
タイヤをきしませ!のぼって行った。

10 分ほどして
くるまは急いで降りて行った。

きたときにあいさつはなかったが
帰りにもなんにもない。



たまにきたものがあれか。
なんだか疲れて!濡れ縁で横になった。

そういえば最近だれも!家族もこないな。

長年の夢だった陶芸をするために
会社を早期退職したのは 5 年前。

この地に縁故はないけど
村のあっせんで
古民家をわずか 15 万円で購入した。

浄化槽を埋めたり
水回りを改修したり
陶芸のために
プレハブの小屋を建てたりして
少々出費したが!格安で夢はかなった。

最初!妻は月に 2、3 度きて
洗濯や家事をしてあげるといっていたが。

娘や息子は孫や恋人を連れて
ときどき泊ってもいいかといっていたが。

もう!だれも 1 年以上きていない。
それもまぁ!いいか。
気楽で。

初めにはこの集落に
10 人ほどの老人がいた。

じきに老人ホームに入ったり
鬼籍に入ったり
幸か不幸か!だれかが引き取りにきて
山を降りて
みんないなくなってしまった。

縁側の板の硬さに目が覚めた。
1 時間ばかり寝ていたのか。

ん!?

足元にマークンが座っている。

なんだ!野生に還らないの?!

マークンは「にゃん」と鳴いて
座った私の腰に頭をこすりつけた。
いやにフレンドリーである。

水を飲んでいたのだろうか。

売るほどある自作の器に
水を入れてやったら
ぺちゃぺちゃ音を立てて飲んでいる。

もう夕方である。

空腹なんだろうか。

昨夜!大きなホッケの開きで
冷や酒を飲んでいたが
眠くなってしまい!半分残している。

冷蔵庫から取り出して
電子レンジにかけてみる。

各家々の送電線は撤去されてしまったが
さいわい!わが家だけは
電力線と電話線はつながっている。

ホッケの身をほぐして骨を抜いて
売りたくても売れない
器のひとつに入れて差し出してみた。

マークンはちゅうちょなく食べた。



ん!薄暮なのにマークンがいない。

仮住まい(?)に帰ったのかな。
いや!庭の隅でおしっこをしていた。

土のう袋に入れていた
下の川から拾ってきた砂をみんな
おしっこのあとにぶちまけて
1m 角ほどの砂場を造ってやった。

よく考えたら!笑えた。
自分の猫でもなく
預かる約束をした訳でもないのに。

この家の座敷はふすまと障子で
田の字型に仕切られた 4 部屋があるだけ。

ひとつは囲炉裏(いろり)のある板の間。

あとは畳敷きだが。
北に掃き出し窓のある部屋に
万年床を敷いている。

マークンもここでいっしょに寝るか。
それとも夜のうちに野生の旅に出るか。
そんなことをいいながら
浅い段ボールの箱を置いてみた。

さっそく箱に入っていたが
すぐ出てきて長々と寝そべっている。

未明に見たら
私の足元にすり寄って寝ていた。

不安なのだろうか。
飼い主はいないし
この集落で頼るものは他にいないから。

いったい!これからこの猫を
どう扱ったらいいのだろう。

いや!私の猫ではないじゃないか。
それに!野生に還るのだから
心配してやることもないじゃないか。

逡巡しながら夜が明けた。



朝はたいてい冷凍のパンを解凍して焼いて
マーガリンを塗りたくって食べる。

マークンがじっと私を見ている。
けっこう行儀はいいようだ。

パンをちぎって皿にのせると
食べた!

今までこのこは
なにをいつどれだけ食べていたのだろう。

これからどうするのだろう。
とても!
バッタを捕まえに行く気はないようだが。

活動的な猫ではある。
こまめに家の周囲を探検しているが
そんなに遠くには行かないようだ。
いつの間にか私の近くにきて寝ている。

昼にはいつも
冷凍のごはんをあたためて
種々の野菜を煮込んだみそ汁ですます。

マークンのごはんはない。

白いごはん!食べてみるか?

少し置いてみたが食べない。
お好み焼き用の魚粉をかけてやると
もそもそと半分だけ食べた。

夕方!パンもごはんも消えていた。

ネズミか鳥かが入ってきた訳でもあるまい。
マークンは少しずつ食べるのか。

今夜はウイスキーを沢の水で割って飲む。

賞味期限の切れたクラッカーを
つまみにしていたら
口元で割れたかけらが
マークンのほうに飛んだ。

マークンはすかさず食べた。

ん!?
こんなドライなものに慣れているのかも。
キャットフードで生きてきたのかな。

そうだ!チャッピーのエサが残っている。

チャッピーは
この集落にきたときからの相棒の
ミックス犬だったが
先月!天国に逝ってしまった。

チャッピーのドッグフードを
皿に入れてみる。

食べた。
カリカリいわせている。

そうか!こんな食感のものを
主食にしていたのだろう。

マークンの食卓はにぎやかになった。

ドッグフード!ごはん!
魚の皿と水のカップ。
よっつも並んでいる。

それから
私が魚ではなく獣肉を食べるときには
マークンの分は調味料をつけずに
ゆでてやった。



4 日も過ぎると
マークンにやる魚も肉もなくなった。

畑の隅の生ごみの捨て場の
土を掘ってミミズを探す。

マークンがそばにきていた。

釣りに行くか?

ホントについてきた。
この種の特徴か
犬のような行動をとれる猫である。

下の川に降りて釣り糸を垂れると
1 発目からはでな斑点を見せて
20cm ほどのアマゴがあがってきた。

漁をするものがいない昨今
容易に釣れるようになっている。

つぎの魚はスレがかり!
口ではなくエラあたりにかかって
あばれて!草の上に落ちた。

マークンがすかさず両の前足で押さえた。

いいぞ!かんでごらん!

しかし!マークンは
魚をじっと押さえているだけだった。

それを食べなきゃ生きていけないぞ。

無理らしい。

1 時間で釣果は 20 尾くらいあったが
小さな魚!数尾はリリースした。
ま!これくらいあれば
マークンが帰るまでは十分だろう。



昼下がり!キナくさい?!
ああ!一番奥の家から煙が出ている。

谷底の集落の消防団に電話で知らせる。

30 分もしてから
はでに鐘を鳴らして
赤い軽自動車がのぼってきた。

が!ほとんど消火活動をしないうちに
燃えてしまった。

「大桑さんは進歩的な人だったからな。

消防団の団長の山菜栽培農家の
おじいさんがいう。

村で一番最初に
ソーラーパネルを設置したそうな。
離村するときに屋根から降ろして
家の中に重ねていたらしい。

しかし!家は朽ちて行っても
パネルは生きていて発火したらしい。

ん!?
この騒動の中!マークンがいない。

ご主人さまに指定されている
仮住まいがなくなって
困惑しているのかも。

「にゃぁ!にゃぁ!」
マークンが大声で鳴いている。

屋根の上にいた。
のぼったものの!
降りられなくなったようだ。

アルミ製のはしごをかけたら
マークンはすぐはしごに飛びつき
猛スピードで降りてきた。

あと 2、3 段のところで
足をすべらせて!落ちた!

が!ちゃんと四つ足で着地した。

顔をあげて「にゃん」といった。
まん丸い目を見開いて!どや顔に見えた。



運命の 2 週間目がきた。

が!マークンの迎えがこない。

あれだけ自信たっぷりに
断言したのだから
あのね~ちゃん!くるはずなんだが。

マークン!どうする?

マークンは答えず
沢から引いて垂れ流しの
竹の樋の水を飲んでいる。

落ちる水を飲むのを
好むようになっていた。

さらに 3 日 4 日過ぎて行く。

ドッグフードがなくなってしまった。

ときおりマークンは
ドッグフードの皿の前で
待つそぶりをする。

もうすぐ帰るのなら
我慢してもらうか。

でも!ちょっと可哀そうに思えた。
ドッグフードではなく
キャットフードを
1 袋だけ買ってやるか。

ネット通販を利用すればことたりる。
通販は便利である。
こんな僻地でも届くのだ。



3 週間目になった。

この 21 日間
マークンに振り回されているのか
あんまり陶芸も!他のこともしていない。

ま!勝手に振り回されているだけ。
だれにも頼まれてもいないことなのに。

今日ももう午後になったが
なにもする気が起きない。

マークンは平然と
濡れ縁に長くなって寝ている。

ん!?
くるまの音がする!

マークン!
よかったね!
お迎えがきたよ。

マークンは細い目を開けたが
すぐ閉じて
長いしっぽを大きくひと回しした。

私はぞうりをつっかけると
庭の端まで走った。

あがってくるのは
運送会社の軽トラだった。

マークン!
よかったね!
キャットフードがきたよ。

マークンは今度は目も開けずに
しっぽの先を小さく持ちあげただけだった。


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