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ぶっカレーは物部守屋の里 [いわなが姫の丑の刻参り]

稲城址ときざまれた碑があります。
blog21光蓮寺.jpg

稲城はたぶん
「いなき」と読むのでしょう。
大阪府八尾市の光蓮寺の前。

丁未(ていび)の乱という
私は聞いたことも
たぶん!習ったこともない
歴史の舞台でしょうか。

ときは 587 年
蘇我馬子(そがのうまこ)が
厩戸皇子(うまやどのみこ)らを引き連れて
大悪人(!)
物部守屋(もののべのもりや)を襲撃し!
殺した場所だそうです。

仏教伝来のころ
崇仏派の蘇我氏と
廃仏派の物部氏の戦いといわれています。

厩戸皇子は後世の人がいう聖徳太子。
もちろん!崇仏派!
よくない考えの守屋の首をとるのは
残虐でもとても立派な(!)ことです。
めでたし!めでたし。

勝者の歴史しか残りませんから
勝ったほうが正義です。

その跡が寺とは!?
物部氏が
廃仏派だったかどうかあやしいもの。
たぶん!後づけの説明でしょう。
ただの権力争いなんでは。



余談ですが!遠い日。
私でも(?)色気づいて
周囲が見えなかったころ。
ちなみに今は色気づいてではなく
色ぼけしていますが。

そんなときのかすむ記憶ですが
大陸の!たぶん!寒山寺あたりで
聖徳太子に出会ったのです。

有名な「聖徳太子二王子像」というもの。
昔の 1 万円札に刷られていた顔のもの。

ところが!そんな絵!現地の人が
いくらでもあるというのです。

貴人の描き方は決まっていて
みなおなじだと聞かされました。
あの日本で一番古いといわれる肖像画は
聖徳太子でもあり
他の人でもあるのです。
横に名前を書いたらいいだけです。

それから!胸の中
もやもやしたものが消えません。

知れば知るほど!
聖徳太子はあやしいことだらけ。

超!超!スーパーマンです。
キリストや釈迦をはじめ
大陸のたくさんの偉人と
同様な逸話を持っています。

あれもこれも
偉大な業績はみんな聖徳太子の仕業。

蘇我一族だった聖徳太子が亡くなったら
馬子の孫の蘇我入鹿(いるか)は
大悪人になり
乙巳(いっし)の変において討たれます。
これも単純な権力争いのような。

日本書紀を書いた人は
善悪という創作(?)に
苦労していますなぁ。

推古天皇以降のことは書いていない
古事記は賢明というものでしょう。



光蓮寺の北に
樟本(くすもと)神社がありました。
blog22樟本神社.jpg

稲村城の守護神らしい。

先ほどの稲城は稲村城ともいうようです。

樟本神社のすぐ東にも
樟本神社がありました。
blog23南木の本の樟本神社.jpg

区別するために
「南木の本の樟本神社」と呼ぶとか。

南があれば北もあります。
blog24北木の本の樟本神社.jpg

「北木の本樟本神社」です。

稲城の中に榎の木があったそうな。
そこでこのあたりを榎木村とか
木の本村とかいったようです。

その後!律令制以降
政治の思惑やら大和川の流路の変更やら
いろいろあって
木本村!北木本村!南木本村に
分断させられて
そして!樟本神社も三座おわすことに。

現地でそう学習してきましたが
間違っていたら!ごめんなさい。

それだけ物部守屋は
地元の偉人なんでしょうね。
大悪人というのは反対勢力から見ただけ?!



「ぶっカレー」とはなんでしょう。
blog25ぶっカレー.jpg

「讃岐うどん」「やさか」ですか。
blog26やさか.jpg

暑いとき!日ごろ使わない脳を使い
くたびれたので入れさせてもらいます。

「ぶっカレー」はカレーライスではなく
カレーうどんでしたか。
うどん店ですから!そうでしょうね。

では!冷やしうどんの
「ぶっカレー」をいただきます。

暑さにバテているようでも
空腹だったので
お得という
かやくごはんとのセットにしました。
blog27.jpg

税込み 1,130 円。

薬味のように小皿にあるのは
甘辛いあげです。

あ!?
これ!食べたことがあります。
半分食べて
突然!思い出す!優秀な脳ですなぁ。

このブログにも書いていました。
6 年も前のことでした。
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