初庚申 北向きこんにゃく [わが街・下駄ばきドドンパ]
街中!開店している店舗が少ない。
ああ!まだ正月 2 日ですか!
年末年始!なんとかものの節句働き!
普段より動き回ったのか
もう十日戎(とおかえびす)のころの
感覚でいましたが。
フランチャイズの大店はいつも通りかな。
阪堺・阿倍野駅の前に
すき家と松屋が並んで営業していました。
松屋に入店して朝食を摂ります。
「牛小鉢朝定食」税込み 350 円。
小鉢は 5 種の中から選んで!
カレーをもらいます。
ごはん!多い。
「並」を頼んだのに。
外食でなかったら
いつもの 2 日分くらいあります。
ん!?
ごはんのお代わり!無料なの?!
あちこち!お代わりしている客がいます。
「お代わり!特盛り!」と叫んでいる
見た目には年に不足のない輩もいます。
すざましいところです!
今年は
「初庚申(はつこうしん)」(2023/01/02)と
正月が重なっています。
四天王寺の境内の外の
庚申堂にお参りに行きます。
「柴燈大護摩供(さいとうだいごまぐ)」!
早いはなし!昼からの
護摩焚きの準備ができています。
「日本最初の庚申尊出現の地」です。
それは他にも
「最初」「発祥」と名乗っている
庚申堂もあるそうですが。
境内で!たぶん!かつおぶしと
昆布のだしで煮込まれた
「こんにゃく」が売られています。
税込み 300 円。
北向きで黙食します。
その後!加持か祈祷か知りませんが
なにかしたら!病とか魔とか
不吉なことが去るそうな。
後ろに老婆とおばちゃん!
たぶん!母娘がいました。
おばあさんが!
もうひと皿!こんにゃくを
買ってきなさいといっています。
おばちゃんが!
必要ないと聞きません。
母が!私は 3 切れとも食べると主張。
娘が!串を 2 本もらってきたから
分け合って食べようと怒ります。
母親が 3 切れ食べないと
三猿が怒るといっています。
娘は関係ないと冷たい。
庚申堂は青面金剛童子と
庚申は「かのえさる」とも読むからか
「見ざる」「いわざる」「聞かざる」の
三猿が祀られています。
こんにゃくと猿の関係は
たしかによく分かりません。
「北向き」こんにゃくの意味も
分かりませんが。
奉納された
三猿の碑はたくさんあります。
寛文十年(1670)の三猿があります。
寛文十二年(1672)のものも。
天和四年(1684)ですか。
元禄五年(1692)!
松尾芭蕉の晩年のころじゃないですか。
昭和十五年(1940)のものは
すごく新しく感じます。
風化が進んでいるものも。
この碑の文字はひとつも読めませんでした。
ああ!まだ正月 2 日ですか!
年末年始!なんとかものの節句働き!
普段より動き回ったのか
もう十日戎(とおかえびす)のころの
感覚でいましたが。
フランチャイズの大店はいつも通りかな。
阪堺・阿倍野駅の前に
すき家と松屋が並んで営業していました。
松屋に入店して朝食を摂ります。
「牛小鉢朝定食」税込み 350 円。
小鉢は 5 種の中から選んで!
カレーをもらいます。
ごはん!多い。
「並」を頼んだのに。
外食でなかったら
いつもの 2 日分くらいあります。
ん!?
ごはんのお代わり!無料なの?!
あちこち!お代わりしている客がいます。
「お代わり!特盛り!」と叫んでいる
見た目には年に不足のない輩もいます。
すざましいところです!
今年は
「初庚申(はつこうしん)」(2023/01/02)と
正月が重なっています。
四天王寺の境内の外の
庚申堂にお参りに行きます。
「柴燈大護摩供(さいとうだいごまぐ)」!
早いはなし!昼からの
護摩焚きの準備ができています。
「日本最初の庚申尊出現の地」です。
それは他にも
「最初」「発祥」と名乗っている
庚申堂もあるそうですが。
境内で!たぶん!かつおぶしと
昆布のだしで煮込まれた
「こんにゃく」が売られています。
税込み 300 円。
北向きで黙食します。
その後!加持か祈祷か知りませんが
なにかしたら!病とか魔とか
不吉なことが去るそうな。
後ろに老婆とおばちゃん!
たぶん!母娘がいました。
おばあさんが!
もうひと皿!こんにゃくを
買ってきなさいといっています。
おばちゃんが!
必要ないと聞きません。
母が!私は 3 切れとも食べると主張。
娘が!串を 2 本もらってきたから
分け合って食べようと怒ります。
母親が 3 切れ食べないと
三猿が怒るといっています。
娘は関係ないと冷たい。
庚申堂は青面金剛童子と
庚申は「かのえさる」とも読むからか
「見ざる」「いわざる」「聞かざる」の
三猿が祀られています。
こんにゃくと猿の関係は
たしかによく分かりません。
「北向き」こんにゃくの意味も
分かりませんが。
奉納された
三猿の碑はたくさんあります。
寛文十年(1670)の三猿があります。
寛文十二年(1672)のものも。
天和四年(1684)ですか。
元禄五年(1692)!
松尾芭蕉の晩年のころじゃないですか。
昭和十五年(1940)のものは
すごく新しく感じます。
風化が進んでいるものも。
この碑の文字はひとつも読めませんでした。