菜の花の里・梅田 ブリスケのカレー [わが街・大阪ブギウギ]
阪急・大阪梅田駅の東側あたりを
大きく 2 度も回りました。
目的地が見つかりません。はは。
この辺の地理を
熟知している訳でもありませんが
その昔!大阪にきたころには
色気づいて徘徊していた場所なので
なんとなく知っている気でいたのですが。
街の様相も大きく変貌してはいます。
時代遅れのアナログ人間は
ただ!自分の足だけ頼りに
もう 1 度歩きますか。
「阪急東通商店街」を進んで
直角にぶつかっている
「ひがし中通り商店街」に入ります。
いきなり!おどろかすように
突っ立っている大きな仏さまがいます。
こんな街角に!?
あたると痛いじゃないですか。
ん!?
さわると柔らかい?!
金属で作られてはいませんね。
先ほどもちらりと見て通り
気になっている置き看板があります。
肉がてんこ盛りにのっているカレーが
税込み 650 円ですと!
「牛鍋あぐら 梅田堂山店」ですか。
もう午後の 1 時過ぎ
あわててもしかたがないので
食べて行きますか。
まぁ!看板ほどに
肉盛りはないようにも見えますが
税込み 650 円では許せます。
肉は豚肉とブリスケだとか。
好むと好まざるにかかわらず
野菜ばかり食べて生きているものは
ブリスケ( brisket)なんか
知る由もないのですが
牛肉の部位のひとつらしい。
おいしかったですよ。
北に歩きます。
歯神社に手を合わせて行きます。
その昔!淀川の大氾濫を歯止めしたとか。
そのうち!歯の神さまになったらしい。
なんの変哲もない道ですが
今も落語なんかに出てくる能勢街道かな。
明治の大展望台!凌雲閣があったところ。
地上高 39m !
当時ではとんでもない高さだったとか。
鶴乃茶屋跡。
なんでしたか。
レクチャーを受けたことがありましたが
すぐ!忘れてしまいました。
「菜の花や 月は東に 日は西に」
与謝蕪村の句碑があります。
このあたりは
菜の花が咲き乱れていたらしい。
蕪村はここから 1 里も離れていない
毛馬村(けまむら)の生まれですが
20 歳ころに出奔して以来
1 度も里帰りしていないようです。
帰郷すれば
風景も人心も変貌していて!つまらん。
心の中の故郷が色褪せず!美しい。
そんな私の考えに近かったのでしょうか。
「阪急」の事実上の創設者の小林一三も
1 度も故郷の山梨に帰らなかったとか。
東京の会社の経営やら商工大臣就任やらで
ふるさとの近くをなん度も通っていても。
あ!偉人と
私とおなじに考えて!すみません。
蕪村も最後は京都に住んでいて
大坂(大阪)にきたときもあるようです。
そのときに
ほんの少し歩いたらいいのに!帰らない!?
でも!故郷を詠んだような句が多い。
ビルに埋もれた綱敷(つなしき)天神社。
あれ!?
ここは御旅社でしたね。
本社はどこでしたやら。
この神社のことも
10 年ばかり前に!ていねいに
説明を受けたことがありますが
やっぱり!なにも記憶がありません。
もう!帰ります。
出直します。
(敬称略)
大きく 2 度も回りました。
目的地が見つかりません。はは。
この辺の地理を
熟知している訳でもありませんが
その昔!大阪にきたころには
色気づいて徘徊していた場所なので
なんとなく知っている気でいたのですが。
街の様相も大きく変貌してはいます。
時代遅れのアナログ人間は
ただ!自分の足だけ頼りに
もう 1 度歩きますか。
「阪急東通商店街」を進んで
直角にぶつかっている
「ひがし中通り商店街」に入ります。
いきなり!おどろかすように
突っ立っている大きな仏さまがいます。
こんな街角に!?
あたると痛いじゃないですか。
ん!?
さわると柔らかい?!
金属で作られてはいませんね。
先ほどもちらりと見て通り
気になっている置き看板があります。
肉がてんこ盛りにのっているカレーが
税込み 650 円ですと!
「牛鍋あぐら 梅田堂山店」ですか。
もう午後の 1 時過ぎ
あわててもしかたがないので
食べて行きますか。
まぁ!看板ほどに
肉盛りはないようにも見えますが
税込み 650 円では許せます。
肉は豚肉とブリスケだとか。
好むと好まざるにかかわらず
野菜ばかり食べて生きているものは
ブリスケ( brisket)なんか
知る由もないのですが
牛肉の部位のひとつらしい。
おいしかったですよ。
北に歩きます。
歯神社に手を合わせて行きます。
その昔!淀川の大氾濫を歯止めしたとか。
そのうち!歯の神さまになったらしい。
なんの変哲もない道ですが
今も落語なんかに出てくる能勢街道かな。
明治の大展望台!凌雲閣があったところ。
地上高 39m !
当時ではとんでもない高さだったとか。
鶴乃茶屋跡。
なんでしたか。
レクチャーを受けたことがありましたが
すぐ!忘れてしまいました。
「菜の花や 月は東に 日は西に」
与謝蕪村の句碑があります。
このあたりは
菜の花が咲き乱れていたらしい。
蕪村はここから 1 里も離れていない
毛馬村(けまむら)の生まれですが
20 歳ころに出奔して以来
1 度も里帰りしていないようです。
帰郷すれば
風景も人心も変貌していて!つまらん。
心の中の故郷が色褪せず!美しい。
そんな私の考えに近かったのでしょうか。
「阪急」の事実上の創設者の小林一三も
1 度も故郷の山梨に帰らなかったとか。
東京の会社の経営やら商工大臣就任やらで
ふるさとの近くをなん度も通っていても。
あ!偉人と
私とおなじに考えて!すみません。
蕪村も最後は京都に住んでいて
大坂(大阪)にきたときもあるようです。
そのときに
ほんの少し歩いたらいいのに!帰らない!?
でも!故郷を詠んだような句が多い。
ビルに埋もれた綱敷(つなしき)天神社。
あれ!?
ここは御旅社でしたね。
本社はどこでしたやら。
この神社のことも
10 年ばかり前に!ていねいに
説明を受けたことがありますが
やっぱり!なにも記憶がありません。
もう!帰ります。
出直します。
(敬称略)