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行基と和泉式部伝説の地を歩く [みんなで歩けばこわくない]

2 月の仮面(氏素性の名乗らなくてもいい)ハイキング。
この寒い季節!元気な人たちがぞろぞろ!
お年寄りもたくさんやってきますね。
感心します。

今日は大阪府堺市!
行基(668? ~ 749)の生誕の地を歩きます。

今回は地元の
「鉄人じいさん」が先導してくれるので
私は殿(しんがり)で楽させていただきます。

JR・津久野(つくの)駅からほど近い
行基の生誕地の家原寺(えばらじ)から。
本堂が白い包帯(?)で巻かれています。
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ハンカチ祈願というのだそうな。
本尊が文殊菩薩。
ときは学校の受験の季節!
「合格祈願」のハンカチでいっぱい。

“横の家原大池(えばらおおいけ)は?!”

「あの池はどんどん埋め立てられて」
「大池でなくなっていますから!通り過ぎます」



和泉式部ですね!祀(まつ)ってあるのは。
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どうも私は
抹香(まっこう)臭いはなしは向かないようで
この地に見え隠れする
和泉式部(978 ~ ?)伝説の方に
興味がいきます。

和泉式部は本名ではないですよね。

夫の和泉守 橘道貞の「和泉」と
父か父の系統の官名の「式部」を
合体させたものといわれています。

その由来も少々不可思議。

夫・道貞が和泉守に就いていたのは
わずか 5 年あまり。
ほんの短い期間なのに。



静かな境内。
華林寺(けいりんじ)。
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行基の母のゆかりの寺だそうです。



和泉式部は恋多き人です。
年下の男が好みのようです。

この和泉の国に
和泉式部の伝説が多くなければいけないような
そんな気にさせられますが
かの女はホントにこの地にきたのでしょうか。

和泉式部伝説は日本全国にあると
柳田國男はその考察を
和泉式部の足袋(桃太郎の誕生)にまとめています。

このあたりの伝説の信憑性は果たして。



「左馬」ですよ。
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蜂田神社(鈴の宮)で
いつまでも不思議そうにたたずむ
相棒のアラフォー(around 40)女史。

あなたにお色気以外の関心事があるんだ!?



和泉式部は
夫に従わず都にいたから
弾正宮(だんじょうのみや)為尊(ためたか)と
浮名を流すことができたのじゃないでしょうか。

弾正宮(だんじょうのみや)の死後にその弟の
帥宮(そちのみや)敦道(あつみち)と
5 年もの間
淫らな恋(ダブル不倫かも)に明け暮れます。

帥宮(そちのみや)との間に
こどもももうけた記録があったはず。



ソフィア・堺(堺市教育文化センター)でトイレ休憩。
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プラネタリウムを見たい!と
ダダをこねるアラフォー年増。
だめ!あきません!
あかんものはアカンのです。
今日のあなたは変ですよ!お色気を忘れて!

今度また
和泉式部のように
年下のオトコをだまして連れてきてもらいなさい。



大鏡には
弾正宮(だんじょうのみや)も
帥宮(そちのみや)も軽薄で
一門の君たちに不快に思われているとあります。
この兄弟はイケメンで遊び人だったのかも。

和泉式部の恋は
淫乱おばちゃんが
ジャニーズ風いかれぽんちに
夢中のなるようなもの?!

たとえですよ。
悪口をいっている訳ではありませんからね。
おばちゃんの多くは節操があることでしょう。
ジャニーズの多くは良識人でしょう。

わが相棒にも節操ある行動を祈ります。



はい!野々宮神社の境内を横断しますよ。
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なにか!?
怒っているのですか。
ごきげん斜めですね。



大鏡や和泉式部日記には
人目をはばからない乱痴気ぶりを匂わす記述ばかり。
そして帥宮(そちのみや)の死後は

  捨て果てむと 思ふさへこそ 悲しけれ
       君になれにし わが身とおもへば

なんて!
忘れようとしても
体が覚えている!疼(うず)く~!
はぁ~!とかなんとか吐息をもらすような
未練たらたらな歌ばかり。

どこかで聞いたような。

南朝・宋の子夜四時歌に
似ているような詩がいっぱいあるような。
たとえば春歌に。

  自従別歓後
  歎音不絶響
  黄檗向春生
  苦心随日長

  吐息をふたつ 重ねた日々の
  思い出だけが この胸責める
  きはだは苦く 萌えても燃えず
  ひとりの春に 吐息はひとつ

あ!日本語訳は私の勝手な意訳で
よいこは信用してはいけません。
試験の答えなら点数にはなりませんよ。
もっとも!こんな詩は受験に出ませんがね。



水賀池(みずがいけ)のほとりでランチにしましょう。
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なにしてるんですか!?
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「カモが寄ってくるよ」
「水からあがって!のぼってくるよ!」
「カモ(鴨)ン!といったら」

パンをちぎって投げるからでしょ!
ドバトもきたじゃないの!

あああ!それ?!
私のランチ!?
そのフランスパン!私のランチじゃないの!
ごめんなさ~い!
いけないところ!あやまりますから!やめて~!

直後!大きなアオサギが飛来し
パンを横取りして食べてしまいました!
サギもパンを食べるのですか!?
それとも!フランス育ちのサギ?!



今日の最大の見もの。
大野寺の土塔(どとう)。
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727 年に行基が造った仏塔。
なにかよく分かりませんが
とりあえず!よく祈っておきましょう。
はい!ごいっしょに。

あれ?どこへ行きました?!
アラフォーのおね~さまは。



(敬称略)
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相合橋 食満南北 道頓堀五座 [パパラッチ!ママえっち?]

道頓堀川に架かる橋のひとつに
相合橋があります。
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1680 年ごろ架橋された中橋が
この橋の嚆矢(こうし)かも。

私は最初に「あいおいばし」と教えられたので
口が変えることはできませんが
「あいあいばし」「あいおうばし」
みなさん!色いろいっていますね。
大阪市は「あいあうばし」とルビを打っています。

別称!縁切り橋!
北の遊里と南の芝居街を結ぶ橋。

北のたもとに
食満(けま)南北の句碑があります。
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  盛り場を むかしに戻す はしひとつ

食満南北(1880 ~ 1957)は堺の人。
芝居の作者部屋の人!
今どきのことばでは劇作家・演出家でしょうか。
本名は食満貞二。
食満(けま)は本名?!珍しい姓ですね。



相合橋を南に渡れば芝居小屋が並んでいたのですね。

川沿いに西から
竹本座(1685 ~)→大西の芝居→筑後の芝居→戎座→浪花座
中の芝居(1661 ~)→中座
角の芝居(1669 ~)→角座
角丸の芝居(1710 ~)→朝日座
竹田の芝居(1662 ~)→弁天座の 5 座を
道頓堀五座(or浪花五座or五つ櫓)と
呼ばれていたらしい。(→は名称変更)

朝日座と弁天座の間に
豊竹座(1703 ~)→若太夫の芝居→阪恵座もあったらしい。
五座のひとつは朝日座ではなく
阪恵座だとも聞きましたが!よく分かりません。

すべての小屋は今!
千日前の焼き場の煙のように消えています。
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ちなみに浪花座より西
御堂筋の方に今も残っている松竹座は近代の小屋。
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といっても!大正 12 年(1923)の竣工ですが。
ミラノのスカラ座と
パリの凱旋門を合体させたデザインらしい。
なんともはや、、、!



芝居小屋の雰囲気は
江戸時代のことは知る由もありませんが
明治の終わりから大正・昭和にかけてのことは
食満南北の随想「作者部屋から」をめくれば
垣間見えます。

役者とは
泣く子と地頭の!地頭以上にどうにもならぬもの。
常の人の常識は役者の非常識とか書いてあります。

大変ですなぁ!裏方も。

役者がせりふを覚えない(!)で舞台に出るのは
フツーのようで
作者(演出家)なんかが
黒衣(くろこ)姿で舞台に出て
なん日か覚えるまで
せりふをつけて(教えて)いたとか。

それは演劇のある意味では宿命。
洋の東西を問わず
いわゆるプロンプターを置いているのでしょうけど。

黒衣は役者の介添えには出てきますが
南北の時代には
せりふを教えるために堂々と舞台に出ていたのですね。

それでまき起こった逸話は
枚挙にいとまがないようです。



喜田川守貞(1810 ~ ?)著/守貞謾稿に
役者の給料の解説がありましたね。

上手座頭(ざがしら)は
いわゆる!千両役者らしい。
1 年の給金が 1000 両!

その下が 8、900 両!
次は 2、300 両とガクンと減って
さらに半分以下!
以下その半分以下と少なくなっていくようです。

ただし! 興行日の数で割られるので
千両役者といえども
1 年の所得は 500 両がいいところ。
最下は日雇いで 2、300 銭。

弁当代等の別手当ももらう契約もあったようですが
高給取りは見栄もあって
衣装なんかが自前なので出費も多い。

もっとも!下っ端役者は
貸衣装屋から損料を払って借りなければなりませんが。

どうも!
上も下もなにもかも
フツーの常識ではつとまらない世界のようですね。



(敬称略)
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寒い奈良のごはん屋でほっこり [食い逃げ未遂]

あ?!
桜が咲いています!
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梅が咲いてから桃の花が開き
それから桜花となるのが
奈良公園の季節の順序じゃなかったですか。
それが梅もかたいつぼみのころに桜の花!?

どこかで咲かせてきて仮植え?!
いつか見た「冬牡丹」のように。

造花でした!
よくできていますね。



やっぱり!まだ!寒い真冬。
それでも観光客は歩いていますね。
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観光のメインルートの東大寺に回れば
ほとんど外国人ですね。
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東大寺の前に塔がふたつなかったですか。
ふと!大昔にそんなものを探して
だれかと散策したことを
ぼんやり思い出したりして、、、!
焼きが回って、、、悲しいこのごろ。

このあたりの高台が東塔の跡かな。
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教えて!おね~さん。

シカトされましたね。
ちなみに「シカト」を漢字で書けば
「鹿十」でしょうか。
花札の十月札。



西に下って西塔に向かいます。

この辺の情緒がないところ。
あの高くなっているところが怪しい。
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教えて!おね~さん。

「なにか食べるもの!ないの?」

今日はキャベツを持っていなくて!ごめんね。

東塔と西塔。
建っていた位置の高低差が大きいような。
同じ意匠ではなかったのでしょうか。
東大寺に入山したら当時の絵でもあるのかも。
メンドくさいからやめますけどね。
今!拝観したら
もろもろのイヤな思い出がよみがえりそう。



近鉄奈良駅まで帰ってきました。

通称・やすらぎの道に
「ごはん屋」という
ベタな看板が置いてありました。

矢印の方へ入れば
ビルのすき間に
なんという古臭い!
失礼!取り残されているような!
いや!失礼!郷愁をおぼえるような!
細い路地。
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屋号が「ごはん屋」なんですね。

民家をそのまま店舗にしているような。

結構!有名なんでしょうか。
重ね重ね!失礼な発言!お許しあれ。
1 階はいっぱいだったので 2 階に通されました。
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おばあちゃんの嫁入り道具のような調度品ばかり。
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日替わり定食が
「お肉」と「おさかな」の 2 品。

「おさかな」の方。900 円。
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ごはんのお代わりが可能です。

ここにこたつでもあったら
心ほっこり!寝てしまいそうな。

冬きたりなば春遠からじ。
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海神の漁汁 [西田辺探検記]

先日!伊勢で伊勢えびを食べられなかったですね。
怖いお局さまの鶴のひと声で。

あの「おかげ横丁」に
エビの入っていた味噌汁がありました。
てこね寿司の「海老丸」にあったと思うのですが。

1200 円くらいだったような。
じゃ!伊勢えびではなく
他のエビか!カニ(蟹)だったのでしょうか。

味噌汁の名前は「漁師汁」でした!たしか。



「漁師汁」といえば
韓勝源(はんすんうぉん)の「海神」に
出てきたような。

だいたい「海神」を「うみがみ」と読むのか
「わだつみ」なのか「かいじん」なのか
それさえ知らないものが論じてもこっけいですが
幻想的な妖しいはなしでしたね。

(旧暦の)正月 14 日に海神祭があるのです。
ソンマンの妻はその 1 月も前から
挙動が怪しく!妖しく!なっていき
夫も近づけず
潔斎(けっさい)は厳格にして
祭事に臨もうとしています。

そして 46 歳の髪が!肌が!唇が
妙に若やいでうるおいを増してくるのです。



妻の秘密が分からないまま海神祭の夜。

  祭礼のすませた膳を差し出した。
  あえものの匂いが
  妻の乳房や体の匂いのように
  かれの心を熱くした。

ここでかれは「漁汁」の実をつつこうとします。

「漁師汁」ではなく「漁汁」でしたね。

「漁汁」?!
またまた!これなんと読むのですかね。
「いさりじる」でしょうか。
この日本語訳は「韓国文芸編集部」ですが
ルビを打っておいてくださいよ。

注意書きに「貝類を入れたスープ」とあります。



地下鉄西田辺駅の近くの自称・高級割烹で
しばし沈思黙考。

とりあえず!
そこのアサリで味噌汁を作ってもらいましょうか。

「うちのアサリ!高級品!」
「400 円やけど!いいの?」

人を貧乏人のようにいってから!
たしかに貧乏人ですけどね!
貧乏人にはいわれたくないの。

どこにアサリがあるのよ。
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「サービスで汁を増やしてやったのに」

あなたは北大路魯山人か!?

  貝類は多く使うと味をわるくする。
  あくどい料理になってしまう。
  (魯山人の料理王国)

私はあくどい料理でもいいから
貝は多い方が好きじゃぁ!

汁はいらん!上までアサリを入れなさい。
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上をだいぶ飲んだら底にありましたが。

重ねていいますが!実の多い方が好きですけどね。



小説の「海神」は 1977 年の発表。

先の大戦の前後の不安定!
その後の動乱!荒廃!
他民族には分からない多くの悲しみを
まだ!背負っていたころのはなし。

そしてこの時代は「処女」へのこだわり!
他の作家の小説も含めて
今では異常とも思われる表現が
おそらく意識なく書かれていますね。

呉善花(おそんふあ)著/スカートの風/に
韓国軍の入隊テストが書かれています。

著者は女性です。

入隊資格に「処女」があったそうな。
かの女が処女審査を受けて入隊したころと
「海神」の時代は重なっているのかも。



ソンマンの妻は処女ではありませんでした。

韓国動乱・女性同盟!麗水・順天反乱!収復!
私には単語さえ聞いたことのない歴史の荒波。
その生死の境界線上で
かの女は多くの男性と肌を合わせているのです。
それは流れの中!仕方ないことでしょうけど。

ソンマンはかの女が浮気していると疑います。

ま!浮気といえば
浮気をしていたのですけどね。

暗い洞窟で!
一糸まとわぬ姿で!

「海神」と!?

動乱時!銃殺された恋人は
この海に散骨されていたのです。

虚空を抱いて
ひとりもだえる熟(う)れた女。

「エアセックス」と思わず命名してしまった
不謹慎な私です!怒らないでね。



ふと!思い出しますね。
日本では
泉鏡花の高野聖(こうやひじり)の
深山の渓谷で一糸まとわず立つ
練り絹のような女性!

どちらも映像化したいものですね。



ああ!
なにかけだるくなったから帰ります。
アサリ汁代!つけておいて。

「おい!お~い!困るんやけどぉ!」

コートの襟を立てれば聞こえないよ。
たぶん!明日持ってくるから信用しろ。

外は寒い。

ん!?
旧暦 1 月 14 日の海神祭の日といえば
今ごろじゃないですか。

洞窟の中の一糸まとわぬかの女?!
全羅南道の漁村らしいけど。
韓国の南西部とはいえ!寒いでしょう。

小説だからでしょうか。
かの女のほとばしる恋情が
寒さを吹き飛ばしているのでしょうか。



(敬称略)
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てんひちの十八番のワンコイン [郷に入ればガタロー]

淀川を渡る長柄橋です。
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大阪にきたころ
「ながえばし」といったら
能なし上司がげらげら笑いやがったですね。

違うのですか。
「ながへいはし」と読んだら
取引先が鼻で笑いやがったですね。

だれも教えてくれないのですね。
知りたくもないですがね。

「ながつかばし」「ながひばし」
色いろいいましたが。
まるで落語の「平林」ですね。


はなしが澪(みお)を外れますが
「平林」の原話は
安楽庵策伝(1554 ~ 1642)著/
醒睡笑/だと思いますが
策伝和尚は平林太夫とか
平林平太夫とかも呼ばれていたらしい。

「平林」はあんまり
高尚な噺(はなし)ではないのですが
策伝自身は気に入っていた創作だったのかも。



はなしをもどせば
大阪の土着民は排他的なのですね。
笑うだけ。
大阪が地球の中心だと思っているやつばかり。

どの里の土着民も多かれ少なかれそうでしょうけど。
私のキャラクターが生意気に見えるのが
心を開かない一番の要因だったのでしょう。はは。



「がらと読むのですよ!」と
協力業者の人のいいおじさん。
すみません。
そっか!「なが・がら・ばし」ですか。

それも違いましたね。
そんな「ながらばし」です。



弘仁(9 世紀初頭)のころ
嵯峨天皇が架設したのが
この橋の嚆矢(こうし)らしい。

でも!ほとんど伝説で!
その上!淀川は暴れ川で
川筋をよく変えているので
このあたりかどうか!たぶん!分からないでしょうね。



大阪市北区と東淀川区を結ぶ長柄橋の
南詰から南に
天神橋筋の商店街が始まります。

天神橋筋は 1 丁目から 7 丁目まであり
それぞれ商店会を作っているものの
通しで見れば日本一長い商店街と威張っています。

一番北は 7 丁目。
「天七商店街」と書いてありますが。

「てんしち」じゃないのです!
「てんひち」ですね。
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「し」と「ひ」が入れ替わるのは
江戸っ子といっしょかも。

それに江戸っ子は
「ひ」を「し」ともいい換えやすい?!
たとえば「ひがし」を「しがし」と。
大阪弁はそんな逆はないのかな。



そんな「てんひち」に
ワンコインランチの大看板!
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朝から朝まで(!)営業していることで有名な
中華料理店「十八番」!

メニュー全体がリーズナブルなんですが
ワンコインにこしたことはない。
それください。
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この日はイカ(烏賊)とニラ(韮)入り焼きそば。
ごぼうごはん。スープ。

麺類にはあまり飛びつかない私には
焼きそばの評価はできませんが
ごぼうごはん!!
おいしい!

炒めてはいるのですが
ばりばりと口の中で暴れるごぼう。
かむたびに鼻腔を酔わせるごぼうの匂い。
たまりませんでした。



あ!
別に大阪人に
けんかを売っている訳じゃありませんよ。
長柄橋はいいところですよ。
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