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こん平師匠に合掌 [スペインのハエ (R-18)]

先月(2020/12/17)
林家こん平が亡くなっていました。

ま!あまりメディア(報道)に
接しないで生きているので
旧聞に属するニュースでも
突然驚いたりしてあきれられたりします。

それはともかく
日本テレビの「笑点」に
第 1 回(1966/05)から出演して
人気ものになったので
知人たちのコメントも
それに関したものが多かったようです。

ときどき!地方収録があり
こん平は二日酔いで出演していたというのは
だれでも知っている逸話のようですが。

この番組の企画者で司会者だった
立川談志の述懐によると
地方の収録の前日には酒と女とバクチで
ひと晩中騒いでいたらしい。

談志はどんな趣味の持ち主か
こん平がセックスしているところを
枕元で!また違う日には
後ろからながめていたとか。

談志もしない訳ではありません。
“していた” ときに
「キン×マがじゃまだ」という声が
後ろからしたそうな。

そのうち!談志のキ×タマを
のれんのように持ちあげたヤツがいたとか。
笑点のメンバーがみんなで
後ろから見ていたのですね。

そのころ!毎日セックスしないものは
落語家じゃないという常識があったらしい。



落語たちはセックス依存症なのでしょうか。

俳優の原田龍二は自分のくるまの中で
10 分ほどのセックスをくり返していたそうな。

記者に問われて
「自分は性欲が強い」と答えていましたが。

芸人の渡部建は
多目的トイレで
3 分間ほどで行っていたそうな。
早~!?

これらは
別に大騒ぎするほどでもないのでは。
犯罪ではたぶんないのでしょうから。

「パンツ!脱いで」といえば
さっと脱ぐ女性がいるからできるだけ。
男も女も好きもの(!)同士。

セックス依存症かなにか知りませんが
せいぜい!家族ともめて
血を見たらいいですよね。
芸能レポーターが喜ぶことでしょう。



世界 100 か国を歩いたという
ヒッピースタイルの放浪おじさんが
リオのカーニバルでは
腰が抜けたといっていましたね。

目が合った女性が
間髪入れずにパンツを脱いでいたそうな。
こちらもすぐ脱いだそうな。

あの祭りの場にいたら
20 時間だか 30 時間だか
セックスしつづけなければいけない
決まり(?)らしい。
うっかり目を合わせられない!?

ドラック依存症(たぶんです!)の
おじさんのいうことなので
軽く聞き流していたのですが
やはりなん年も放浪していたおばさんも
おなじようなことをいうので
すごいことになっていたのでしょう。

そこここで国から
コンドームの無料配布があったそうな。



いつもグループで深酒をしていた
女友だちの女友だちと
帰る方向がおなじだったので
送って行っていました。

近道で通る土手が暗かったので。

友だちの友だちなので
なんの意識もなく
もちろん手もふれたこともなかったのですが
あるとき

「キスする?」

「ん」

と即断。
土手の中段に降りてキスしていたら
してはいけないこと(!)まで
してしまいました。

どちらがいい出したことか忘れましたが
そのときにどちらかが
「はは」と笑ってあしらえば
たぶん!なにごともなかったのでしょうけど。

あ!?
私のことじゃないですからね。
絶対にないですからね。



昔の同僚と飲み屋で久しぶりに遭遇。
同棲相手のかの女といました。

キャンプ等のアウトドアを企画したら
いつもふたりできていたので
気が置けることもない人たちですが。

たまたまかれらの家が近くだったので
家に招かれて飲んでいたら
かれがコンビニかどこかに
出て行ってしまいました。

「だっこ!する?」

「ん」

というやいなや
ふたりともパンツを脱いで
座っている男に女がまたがりました。

1 分ほどで離れて
パンツをはいたときにかれが帰宅しました。
危なかった!

これもどちらかが軽く受け流せば
それでなにごともなかったのでしょうけど。
瞬間!なにがそうさせたのやら。

これも!ぜった~い!
私の経験ではありません。
聞いたはなしですよ。



飲み出したら
倒れるまで飲まずにはいられない
おじさんがいました。

いつもかついで帰って
かれの家の玄関のあがりがまちに
放り投げていましたが。

あるとき!いきなり目覚めて起きあがり
ひと口だけ飲み直そうというので
家に入れてもらいました。

そのころ!かれは
娘とふたりで暮らしていました。

娘を小さいときから知っていて
お年玉やら修学旅行のこづかいやらあげたり
なにかと可愛がっていたので
深夜の訪問にも娘はいやがりませんでした。

おじさんはひと口飲んだら
ぶっ倒れてしまいました。

酔眼で娘を見ると!
いつの間にかぎすぎすだった体がぽっちゃり。
少女が女(!)になっているじゃないですか。

「パンツ!脱げる?」

「え?」

からかうつもりだったのですが。

「なめてもいい?」

「いいですよ」

軽い即答に驚きました。

かの女の女友だちたちが
かれに「なめられる」はなしをよくするので
かれのいないかの女は
どんなものか試したかったらしい。

父親が寝ているこたつの反対側で
娘のスカートに頭を突っ込んだりして!
なんというか!
殺されかねませんよね。



あ!上記のみっつ!
もう時効(?)のふた昔以上の前のはなし。
もちろん!聞いたはなしですよ。

つまり!
パンツを脱がせるなんて
計画しても大変で!
犯罪になったり!
口にするのも恥ずかしいことなのに!
なにかのタイミングで
それまでにひとひらの恋愛感情がなくても
あっさり!できてしまうと思った次第。

絶対に私の体験談ではありませんからね。
他言は無用に願います。

性欲だけがぎらぎらと渦巻いているのに
思うようにならない賢姉!大兄!
そっと小さくつぶやいてみてください。
あたるときにはあたりますよ。

ただし!大声でなん度もいわないこと。
しつこいと変態の烙印を押されますよ。



なんのはなしでしたやら。
合掌。



(立川談志著/談志楽屋噺/)参照
(敬称略)
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さるかに合戦 さるは負けない [はなしのはなし 食えぬ梨]

通称・風の谷は
急峻な崖にはさまれています。

西の崖に沿って
北から南に川が流れています。

東の崖沿いには細く長く
田んぼがつづいています。

谷の底ですが
南が開けているので
“かに族” が稲作をしています。

崖の上の奥には “さる族” が住んでいて
住居を隠れるように造っています。

さる族はリスやウサギを狩り
木の実を採集して暮らしているようですが
年貢も納めなければ使役も出さないので
全容がまったく分かっていません。

かに族とさる族は大変仲が悪いのです。
文化が違います。
常識が違います。
なんといっても正義が違うからです。



「お奉行さま!
「年貢に納める籾米(もみごめ)を
「10 俵盗られました。

「盗賊は崖の上のさる族にございます。
「成敗してくださいませ。

『さる族は知らぬ!存ぜぬ!といっておる。
『日ごろ!おまえたちが差別し!
『イジメるからであろう。

「差別され!イジメられているのは
「おらたち!かに族でございます。

『わが藩内のどこでも
『差別を受けているのはさる族だが。

「それは数の論理では。
「他の地域では圧倒的にかに族が多いから
「さる族が劣勢なんでございましょう。

「この谷ではさる族の天下です。
「西の崖の上には
「さる族の集落がふたつもあります。
「それは隣の藩の村ですが
「こことみっつで互いに連携をとり
「おらたちを襲ってきます。

「収穫どきになると襲来して
「矢と石を雨あられと放ち
「けが人は出るは!焼かれる家はあるは!
「毎年!被害が甚大でございます。

『殿は最近ますます神仏に帰依があつく
『さる族とかに族は仲よくするようにと
『ご命令あそばした。
『困ったのぉ。
『その盗られた米をいくらか
『拙者の懐中から負担するから
『そのはなし!いったんおさめてくれぬか。



『殿の意向でもある!
『崖の上と下!
『なんとか仲よくしてくれぬものかのぉ。
『今度の秋祭りに
『さる族を呼んだらどうだろう。

「祭りにはみなでカネを出し合って
「催行しております。
「さる族にふるまう余裕はありません。

『拙者の懐中から少しおそなえをするから
『なんとか参加させてやってくれ。
『ああ!わがふところはやせるばかりじゃ。

祭りの朝。
奉行所の通達があり
さる族がぞろぞろ降りてきました。

神社に幕が張られ
おそなえの卓が並べられるのを
さる族たちは遠くから見ております。

新米と芋などの農産物が積みあげられ
餅の箱が運ばれてきます。

今年は奉行の寄付もあり
例年より多くの酒瓶がそなえられたとき
先頭にいたさる族の男が走り出し
酒瓶を小脇に 2 本抱えるやいなや
一目散に逃げだしました。

それをきっかけに
さる族が押し寄せてきて
おそなえも餅も根こそぎ奪うありさま。

賽銭箱はひっくり返し
幕ははがし取り
卓はかついで
神社の鈴まで引きちぎって
遁走してしまいました。

目前にあるものを盗るのは
狩猟に生きるさる族の常識なのです。
罪の意識は皆無です。
かれらの立派な正義なのです。

『ううぬ!許せん!
『拙者の顔に泥を塗りよって!
『あした!役人を集めて村を焼き払いだぁ!



しかし!
焼き討ちの成敗は行われませんでした。
やはり!
慈悲深いお殿さまがお止めになりました。

『こうなれば自然に消滅させるしかないな。
『自然にそうなったと仕組まねばならん。
『時間をかけてこらしめてやろう。
『協力して長期作戦と行こうじゃないか。



再びの秋がきました。
稲刈りが始まると
さる族の姿が
ちらちらと見えるようになりました。
偵察がきています。

脱穀が終わりました。

「ぼちぼち!だな。

それは突然!起こりました。
屈強なさる族の戦士が 20 数人!
石を投げ!矢を放ち!
なだれこんできました。

川向うの隣の藩のさる族の集落は
なにかの逆鱗に触れたらしく
焼き払われています。
その残党がこちらのさる族に合流したらしく
戦力が増強されています。

「さからうな!
「石や矢に当たらないように隠れろ!
「火矢は協力してすぐ消し止めろ!

さる族はまっすぐ共同倉庫に向かい
錠前を破壊し!飛び込んで行きます。

『うぎゃぁああ!

たちまち!数人が虫の息!

春の終わりに小さなスズメバチの巣を
ふたつとめておいたのです。
巣は 3 尺を越えて育ち
ハチの数が数万匹になっています。

でも!さる族は強い!
刺されながらも仲間の屍を踏んでも
米俵をかついで逃げ出すもの多数。

米俵には土を詰めているだけですが。

村はずれの急坂には
さる族の応援部隊が待機していました。
獲物をリレーして運ぶつもりです。

息絶え絶えで
米俵をかついだ男たちがやってきました。

「それ!今だ!

かれらのさらに上部に
かに族が隠れていたのです。

かねて用意の牛糞をまき散らします。

家畜のないさる族は驚いて
すべって進めません。

「爆竹をくらえ!

長崎から取り寄せていた爆竹を投げつけます。

かに族はそれぞれが
竹やりを突き出して追い落とします。

集落のほうからも
爆竹と竹やりのかに族が
ときの声をあげて追いかけてきました。

今まで攻撃するだけで
守備に回ったことがないさる族たちは
勝手が違い!なすすべもなく
どんどん追い詰められて
村はずれの崖下までやってきました。

そこはひと月かけて掘った大きな蟻地獄。
さる族 50 人ばかり
全員落とされてしまいました。

「臼だ!

崖の上には臼ほどの石を用意していました。
それをどんどん落としました。

「お奉行!やりました。

『手はず通りだったな。
『倉庫に倒れたいるやつらもここに放り込め。

総出で蟻地獄に土砂をかぶせます。
大きな土盛りができました。

『よいな!われわれはなにも知らない。
『なにも見ていない。
『塚の上に “泥棒は犯罪だ” と
『きざんだ石をのせておこう。



奉行は戦闘能力が激減したさる族を
山から降ろして荒れ地を貸与しました。

慈悲深いお殿さまは昔の
「俘囚(ふしゅう)制度」を
まねるように指示されています。

捕虜とか反逆者とか犯罪者とかの異端者を
更生させようとする試み。

『開墾に精を出し
『良田を造り
『早く米の収穫ができるようにしろ。

『そうすれば “とる” ことが正義の
『常識も改まり
『差別されることもなくなるであろう。

『かに族からボランティアで
『開墾や農耕の指導にこさせよう。

『米が採れるまでは
『食うものもないだろうから
『城内の備蓄米を支給してやろう。



それから 3 年経ち 4 年経っても
一向に開墾が進みません。

5 年過ぎても米が 1 粒もできません。

「お奉行さま!やつらは
「朝から白いごはんを食べて
「ごろごろしております。

「あれはおらたちが
「頑張って納めた米じゃないですか。
「おらたちは
「年になんども白いごはんにありつけず
「雑穀を食べて働いているのに
「やつら!朝から
「酒まで食らっているじゃないですか!

『けしからん!
『おい!おまえたち!
『そんなことをしていたら
『いつまで経っても差別されたままだぞ!
『悲しくはないのか。

「ずっと差別されたままがいいのです。

『なんだと?!

「差別がなくなれば
「米の支給がなくなりますから。
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陶王子2万年の旅 はるか [活動写真]

映画「陶王子 2 万年の旅」を観ました。
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陶磁器の 2 万年の進化!
歴史をたずねたドキュメンタリー。
カメラは日本から中国!メソポタミア!
ギリシャ!エジプト!ヨーロッパ!
宇宙と回りますが。

壮大な人類史なのですが
なにか!よく理解できませんでした。
無知なものは辛い。

陶磁器でできた「陶王子」が狂言回しですが
この人形!必要なんですかね。
おカネをかけて
なんセットも製作したらしいのですが。



阿呆にはまず
「陶磁器」ということばが分かりません。
歴史を問うのなら
陶器と磁器を分けておかねばならないのでは。

ん?!
では!土器とはなんじゃらほい!?

勉強嫌いで知識皆無のクセに
遺跡の発掘現場にしったかぶりで
のぞいたりすることがありますが。

「須恵器(すえき)が出てきました」とか
「土師器(はじき)ばかりですね」とか
説明を受けたりして!しっぽを巻いて退却。
その器のイメージが湧かないぞな。

そんなことはおかまいなしに
はなしは進んで行きますね。

「2 万年」というのは
オーストラリアで発掘されたもの?!
日本の最古のものは
青森県で見つかった
1 万 5 千年前の縄文土器だそうな。

昔の定義はともかく
縄文時代の土器だから縄文土器!?
縄文土器が出たから縄文時代?!
その辺さえ!私は知りませんですがな。

縄文土器は
世界で稀有な意匠(デザイン)らしい。
たしかにシロート目にも
すごいものを作っていますね。



ああ!
土の焼きものはすべて
「陶磁器」という代名詞を使えばいいのかな。
それに見た目が粘土でなくても!石でも
陶磁器の原料はすべて土と呼べばいいのかも。
すかすかの頭の中は大混乱。

では!
火に入れて焼きかためられていなかったら
土器ではないのかな。
やめましょう!下手の考え休むに似たり。

陶磁器の茶碗とかを
「瀬戸もの」とか
「唐津もの」とか呼んでいます。
地方によって
どちらかの呼称を使用している?!
私の祖母はどちらも使っていたような。
母の記憶はありません!はは。

あ!大昔に勤めていた会社の関係先に
陶(すえ)でしたか
陶田(すえだ)でしたか
そんな苗字の人がいましたね。

瀬戸ものじゃなく「陶(すえ)もの」と
呼ぶ地方があるのかも知れません。

ん!?
「陶(すえ)」とは須恵器の名残り?!

やっぱり須恵器の
勉強から入らねばなりませんかね。



上映後
柴田昌平監督とゲストの
トークショーがありました。
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自分の器を決めて大事に使う習慣は
日本独特のものだといっていました。
なるほど!

そういえば
一番最初の勤務先では
まず!マイ湯呑み茶碗を
買いに行かされましたね。
たくさん入るものがいいと思い
大きいものを買ってきたら
お局さまに「みんなに合わせろ!」
「扱いにくい!」と叱正されたような。

それから出張かなんかで
陶磁器の有名産地に行ったとき
500 円ほどの茶碗を
「5 千円で買ってきた」と吹聴し
入れ替えたら
「高価なものは家で使え!」とまた
叱られたことがありました。

そのつぎからの職場の茶碗の記憶は
まったくありませんが。

思えば日本には陶磁器産地が多いですね。

京焼のように
京都で焼いているから京焼ではなく
九谷焼とか備前焼とか
特徴がシロートでも
なんとなく分かるような産地が多いですね。

監督は
100 円ショップの茶碗を
評価していないようでしたが
すごいと思いますがね!
実用的には
あれだけクオリティの高いものが
あんなに安く!?

その供給方法も知りたくなりませんか。

100 円ショップの茶碗でも
愛着のあるマイカップになりますけどね。
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光秀と石垣の里 [町道!街道!眠り未だ足らず]

京阪・石山坂本線の松ノ馬場駅から
比叡山のほうに向かえば
「頬焼地蔵尊」の碑が。
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あれ!?
頬焼地蔵尊はここにもあるのですか。
いや!「これより 6 丁」の道標ですか。

右に回り!通称・造り道へ。
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穴太衆(あのうしゅう)積みの石垣を
見ながら歩きます。

「鶴喜そば」まできました。
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すぐ!日吉の馬場!つまり
日吉神社の参道に出ました。
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横切って横小路を進みます。
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西教寺に行きたいのですが
最後に訪れたのは気の遠くなるほどの大昔。
あちらのほう!という記憶だけで
道順はまったく忘却のかなた。

しかし!某国営放送局みたいなTV局の
ドラマに便乗したように
「明智光秀」ののぼりが多いので
ぼんやりといざなわれます。

明智光秀一族の墓のある西教寺。
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なんとなく心が重く
入山することなくきびすを返します。

八講堂千体地蔵に手を合わせましょう。
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比叡山の見えるところに
庶民は死者を葬ったのかも。
その供養のお地蔵さまでしょうか。

埋もれていたお地蔵さまが
開発や開墾で出てくるたびに
ここに集結していたのかも。

日吉大社につづく通称・山の辺の道。
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なんの変哲もない道ですが
この道だけは記憶にあります。
最後に歩いたときには暑い日?!
だれかといっしょだったのですが
その顔を思い出せません。

たぶん!あの人!と思われる人が
2、3 人いますが
うかつな発言は慎みます。はは。

琵琶湖が望めます。
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晴れたり!くもったり
一瞬!小雪が舞ったりする日です。

石垣の町でも珍しい石積み。
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山地の農地の獣除けのような石盛り。

日吉大社まで帰ってきました。
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やっぱり!ここでも
参拝する元気は湧きません。

あ!?
鳥居の向こうの
山の上のお堂はなんでしたやら。
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崖にへばりついている舞台。
行ってみますか。
いや!また今度ね。
根性はかんなくずより薄し。

日吉の馬場をくだります。

穴太衆積みの石垣が
いやというほどほどつづきます。
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京阪・坂本比叡山口駅の近くに
甘味処の「うえだ」があります。
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だれかと「ぜんざい」を食べたような。

酒と白いごはんばかり食らってないで
たまには甘いものをいただきますか。

でも!またなぜか元気が失せて
「でっちようかん」(税込み 430 円)を
買って帰ります。
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長さは 20cm を越えていますが!薄い!
重さは 200g ばかりありますが。

「でっちようかん」は菓子店ごと違います。
製法も形状も。

袋代を請求される昨今
無料で大きな袋に入れてくれました。
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アスショクの朝ショク ロウバイの雨 [朝食 モーニングサービス]

大阪メトロ(地下鉄)の森ノ宮駅の
中央線の西の端からあがります。
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「もりのみやキューズモールBASE」は雨の中。

朝から「アスショク」がオープンしています。
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ランチどきから
営業する店舗だったような気がしますが
新型コロナウイルス禍で
緊急事態宣言が出て
夜間の営業の時間短縮を強いられたため
営業時刻を早くしているようです。

お粥の朝食を始めています。
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突然のことで周知されてないのか
客はだれもいませんね。
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「龍のたまごのお粥膳」をいただきます。
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佃煮と香のものと
魚か牛肉か鶏肉かをひとつ選びます。

税抜き 780 円。
高価なものです。
個人的には
お粥はこんなにたくさんいらないのですが。



大阪城公園に南東から入ります。
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こんなに大雨になるとは
予報になかったのですが。

大阪城の玉造口にのぼります。

東外堀を見降ろせば
メタセコイアの列が
静かに雨にけむっています。
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なにも面白いものはないので帰りますか。

梅林もくすんでいますが
黄色が目立ちます。
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白い色と赤い色もぽつぽつ。

近づいてみると
ロウバイ(蝋梅)の花が満開。
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白い花はスイセン!赤い実はナンテン。

ロウバイは
こんな天候の中でもあざやかですね。
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思ったよりたくさんの株があります。
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早咲きの梅も咲いているのですが
雨に消え入りそう。
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東外堀沿いを帰ります。
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雨の中!水鳥が元気に泳いでいます。

さきほど上から見たメタセコイアを横から見ます。
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なん度か大風に吹かれてきたのに
みんなそろって生きています。
1 本でも途中で折れていたら変かも。
よけいな心配ですが。

雨!やみませんね。
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