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さくらんぼの歌 [うそ八百]

暑くてたまらん!

百貨店に避難
エスカレーターに乗って涼みながら
上に上に行ったら
ワインカーニバル(2015/07/09 ~ 15)を
開催していました。
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近鉄百貨店(あべのハルカス本店)です。
「世界のワイン 300 銘柄が無料試飲!」ですか。
なんか!うれしい!

小さなカップに目薬ほど入れてくれます。
これなら 300 杯くらいいけるでしょう。

でも!これが大変。
無料試飲コーナーがある訳じゃないのです。

売らんがために
手ぐすね引いて待ち構えている各売り場で
試飲させてもらうだけなのです。

客が少ないので
売り子は饒舌(じょうぜつ)です。
振り切って次に行けば
周囲では
買いもしない客と横目で見て判断したのか
中にはあからさまに試飲を進めない店員も。

とても私には
300 銘柄を試飲する度胸はありません。



昔!某百貨店の警備室には
万引き常習者のリストが
大きく張り出されていましたが。

その横に
試食常習者のリストも!はは。

「万引き」と「試食」はどちらも怪しいけど
扱いを替えるのでしょうね。

私のように風体がいやしい田舎ものは
どちらと思われているのでしょうね。



「さくらんぼワイン」がありました。
山形県の高畠ワイン製。

試飲したら
甘いのなんの!

私は白ワインさえ
大辛口を探して飲んでいるのです。
たいていは赤ワインを冷やして
オンザロックで飲む無謀なワイン飲みですが。

買いましたよ!その大甘口を。
ふらふらと。
ハーフボトル 734 円ですが。

どうかしています。
さくらんぼが気になったのですね!なぜか。
佐藤錦(さくらんぼ)で醸造したのだそうな。



百貨店の上
ハルカス 300(展望台)の下
16 階のあべのハルカス美術館の横の
屋上庭園で休憩。
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やっぱり!暑い!
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でも!ハルカス300 の真下です!
ときどきビル風(?)が強く吹き降ろしてきます。
しばらく座っていたら
そう不快でもないような。

おなかが空いたので
ワインを出してながめてみます。
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ま!ながめるだけに。

眠くなってきました。
ランチは抜きでも少し寝ようかな。
梅雨の合い間か
ちょっとだけ青空が見えます。
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遠い雲の向こうでだれかが歌っています。

私のいつの時代の人だったのやら。
思い出の人?
架空の人?だれなんでしょう!?
深く考える気もなく。

幻覚が出ましたね。
さくらんぼのような人の面影。





風を見た 人は しあわせですか
ふるさとへ つづく あなたの空よ

甘いんだもん
つやつやなんだもん
あたしみたいに まんまるなんだもん




猫が見る 花は なに色ですか
犬が見る 山は 大きいですか

きれいんだもん
生きているんだもん
あたしみたいに まんまるなんだもん




夢を見た 人は 泣きたいですか
ままならぬ 思い 捨てずに抱いて

すねたんだもん
ふくれてるんだもん
あたしみたいに まんまるなんだもん



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京都市学校歴史博物館にて [平安京有情]

京都市学校歴史博物館にきました。

まず!明治の小学校の「教訓」から。
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「物ノ始末ヲヨクセヨ」
なかなか含蓄のある教えですねぇ。

博物館は
元・開智小学校の校舎を利用しています。
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これがいつごろ建てられた校舎か知りませんが
開智小学校は明治 2 年(1869)創設とか。
日本最初の
学区制小学校である番組小学校とあります。
明治 5 年(1872)の学制公布の前だそうです。

番組小学校の「番組」とは地域の組織
町会みたいなものでしょうか。

町衆の自治組織が明治維新のころから
「番組」と呼ばれたらしい。
その番組でお金を集めて学校を建てたのですね。

64 あった番組が 64 の学校を創ったのです。
すごいですね。

町民たちで建てた小学校ですから
町民たちのものです。

集会所として使ったり
火の見櫓(やぐら)や
時を知らせる太鼓場も併設していたようです。

また!各家から
均等に徴収したお金(かまど銭というらしい)を
運用したりしていたそうな。



京(みやこ)が遷都して
衰退をくいとめるには
学問からだと考えたのでしょうか。

今でも学問に力を入れて識字率を上げた後進国ほど
発展がめざましいものです。

しかし!
学校がマラヤ(売春婦)を作る残念なはなしが
松本仁一著/アフリカで寝る/にありましたが。

ケニアの農村では
やっぱり地域でお金を出し合って学校を創っています。

そこで成績の優秀な女の子とか
美人の女の子は男の教師が目をつけて
すぐ孕(はら)ませてしまうんですね。

しょせん!男と女ですケンね。
顔を合わせていれば!孕むんですなぁ。

まして!先生と教え子がデキ安いのは
火を見るより明らか?!
どんな世界でも師と弟子はすぐデキています。

いつも真っ先に思い出すのが
明治の与謝野鉄幹(1873 ~ 1935)の教師時代。
すぐ女生徒とデキていたようですが
今でもまったく同じかも。

今はそんなことの後!
女生徒と結婚したら許され
結婚しなかったり!できなかったら
バッシングを受けるシキタリのようですが!?

変じゃないですか!
あやまち(!)を犯したことは同じでしょう!

男の教師ばかりではありません。
明石原人らしい骨の発見者の
直良信夫(1902 ~ 1985)は
だいぶ年長の先生と結婚しています。
それはあやまちで結婚した訳じゃないでしょうけど。

あ!例をあげた日本の方々!すまんのぉ。
ケニアのはなしでしたね。

教師の子を孕んだこどもは村にいられず
都会に出て、、、さまよって!ま!落ち着く先は
マラヤ(売春婦)の世界だということです。

女性ばかりに非を押しつけて!悲しいかぎり。



学校らしい階段。
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私は学校嫌いでした。
学校というより勉強嫌いかも。

児童・生徒・学生!どの期間も
思い出したくもありません。

それなのに!最近!
ここの博物館で催しなんかがあると
のこのこやってきて
この階段でしばし足をとめているのは
なんなんでしょうね!
階段が好きとも思えませんが。
自分がよく分かりません。



京都には街中!観光客があふれていますが。
どこのミュージアムも人波にもまれて
ゆっくりできません。
「ここは静かでいいですよ!」と
「どこかへ連れて行け」という人を
なん人か案内したのですが
たいてい!すぐ出てきますね。
早い人なら 15 分くらいで出てきますね。

意外や!意外!(失礼!)
アラフォー(around 40)のおね~さんが
なかなか出てきません。

日ごろの「頑張り屋さん」は認めますが
「お勉強家」でもありましたか。

教科書の展示室にいました。
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「ハナ ハト マメ マス」
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大正期の尋常小学校の国語かな。

「サイタ サイタ サクラガサイタ」
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昭和初期の国定教科書かな。

どうして「ハナ」なのか「サイタ」なのか。
不思議な羅列です。

それはともかく
どの教科書を使ったかと聞けば
年齢が分かるようです。

私なんか!どんな教科書だったか
まったく記憶にありませんがね。



塗りつぶされた教科書も展示されています。

昭和 20 年(1945)戦争に敗れて
文部省は算数と国語の教科書に
「墨ぬり」指示を出したそうな。

これも?!
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これはだれが塗ったのですか!?

歌詞がまずいのでしょうか。

しかし!
算数と国語だけ指示するというのも
よく分かりません。

算数より歴史とか修身とかの方が
イケナイような気がしますがね。



おね~さんがお勉強している間に
歴代の給食のレプリカを見ていましょうか。

昭和 22 年(1947)のものですか。
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おいしそうじゃないですか。
このときに食べた人は
一様に「まずい!」といいますが。

ぜいたくいうんじゃありません!
ちなみに私は
ただの 1 度も給食の経験はありません。
おフランス人(フランス人にあらず)ですから。



(敬称略)
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黒龍大神下の豆富のランチ [通天閣が見える]

大阪市には南北に背骨のような
丘陵地が走っています。

北の大阪城あたりから
だんだん下がって行き
南は住吉大社あたりまで 10km 少々。

通称・谷町筋からあべの筋へと進めば
上町台地を走っている感覚かな。

それで!上町台地の西側は
急坂になって海に落ちて行きます。

もっとも昔は海だったのでしょうけど
埋め立てあり!干拓あり!
今じゃ海岸線ははるか遠くに行ってしまって
目視は困難でしょうけど。



標高の高い上町台地にあるJR天王寺駅から
まぁ!近鉄・あべの橋駅からでもいいのですが
大阪市立大学病院の前を(昔の)海に向かって
つまり!西に向かって下って行けば
まるで崖のような急坂道の途中に鳥居が!
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「黒龍大神」さまですか。

坂を下ったあたりは
沼やら池やら川やら海やらばかりで
あんまり住環境には適していない
湿地帯だったのでしょう。

黒龍さまが棲んでいても
おかしくはなかったのでしょう。

「かみやまとばし」!?
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橋の親柱が玉垣に流用(?)されています。
橋も数多かったことでしょう!
今はまったく見あたりませんが。



「あべの水」?!
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大坂(大阪の前の時代)の町には
水の中に暮らしていても良質の井戸は乏しく
いい湧水は重宝されたのかも。

いわゆる大坂三郷の家では
飲用水を川の水
雑用水を井戸水と使い分けていたようです。

淀川の水は今の私たちの想像以上に
良質の飲料水だったのですね。

長堀川やら東西の横堀川の絵には
水をくむ人が描かれたりしているのを見ますが
人工の堀とはいえ
淀川の水が流れていたのですね。

余談ですが
江戸も湿地帯にできた町のようですが
やはり!良質の飲用水に窮しています。
淀川のような名水の河川に恵まれず
やむを得ず!上水道を造ったのでしょうね。

あ!
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「豆腐」!?
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のぼりが揺れていますが
豆腐屋さん!どこにありますか。
「あべの水」でこしらえているのでしょうか。

事務所か配送倉庫か
錯覚するような地味な(失礼!)表。
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いわゆる町の豆腐屋さんの顔もしていません。

外壁に遠慮がちな「日替りランチ」の旗が。

豆腐屋(!)ではありません。
喫茶店かレストランといった内装です。

一番安い日替わりのランチをいただきます。
この日は大阪湾を泳いでいたタイ(鯛)の造り。
750 円(税込)。
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どのセットにも自家製の豆腐がつくらしい。

食べ終わったらアイスクリームが出てきました。
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屋号は「豆富」だそうです。

「とうふ」ですか。

「いいえ!マメトミと読みます」

早朝 8 時から
夕方 16 時 30 分まで営業かな。

地下鉄・動物園前駅から歩いた方が近そうです。

天王寺駅界隈と動物園前駅周辺の
ふたつのにぎやかなエリアの中間の
隠れ家的な静かな店舗です。
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七夕伝説の里 交野は雨の中 [野道!山道!恋はけもの道!]

JR片町線(学研都市線)星田駅。

雨がざかざか降っています。

7 月 7 日です。(2015/07/07)
七夕(たなばた)です!だれがなんといっても。
ま!だれもなにもいいませんが。
織女(おりひめ)と牽牛(けんぎゅう)が
1 年に 1 度だけ会うことを許される日です。

ここは大阪府の東北に位置する交野(かたの)の里。
七夕(たなばた)伝説発祥の地と名乗っています。
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初めてきたときに
この里に天上の星や
天の川が落ちてきたと教えられました。

その証拠にこの里の地名には「星」がいっぱい。
星田!南星台!星の森!星田公園!星田神社!
星田旭遺跡!天田の宮!天野川!月の輪滝!まだまだ。
どれが由緒あるのか!最近作られたものか!
ともかく書き切れません。



雨の日で星空がなくてもかまいません。
すでに星たちはこの地に降りてきているのですから。

「おりひめ」に会いに行きます。

来年(2016)創建 1,200 年の星田妙見宮。
大伴家持の万葉歌碑が迎えてくれます。
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織女(たなばた)し 船(ふな)乗りすらし まそ鏡
 清き月夜(つくよ)に 雲立ち渡る

「織女」を「たなばた」と読むのですか。

でも!私の手元の万葉集では

多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡
 吉欲伎月夜爾 雲起和多流

ですがね。

あ!佐佐木信綱編/新訓 万葉集/でも
「多奈波多之」を
「織女(たなばた)し」とありますから
そうなんでしょう!よけいなこと考えてはなりません。

でも!すごい!
万葉の昔から「たなばた」があるのですね。



境内は七夕の笹飾りで埋まっています。
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やっぱり!星が降りてきているんですよ。
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桓武天皇(737 ~ 806)が
この地で祀(まつ)ったといわれる
七曜星は特に北極星を指すのかも知れません。
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階段を上って
一番高いところの拝殿の奥に磐座(いわくら)が!
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織女石(たなばたせき)だそうです。
ね!「おりひめ」は降臨しているのです。



雨は降り止みません。

南に山道を上って行けば
「府民の森 ほしだ園地」展望台。
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いつか!アラフォー(around 40)の
おね~さんたちと渡った(拙ブログ 2013/10/11
吊り橋の「星のブランコ」がかすんでいます。

思い起こせば
いろんなおね~さん方と渡りましたね。
小学生たちとも。
あのときの小学生たちも
今は高校・大学生らしい。

みんな恋の吊り橋を無事に歩んでいるのかなぁ。

この日は「星のブランコ」はお休み。
「お休み」とはどういうこと?!
渡れません。
メンテナンスでもないのに!
「大阪府」の行政はたるんでないかい!



山を下りると小降りになったので
同じく七夕祭りで有名だという
機物神社(はたものじんじゃ)へ回ります。

やっと!お祭りらしい景色。
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境内には大きな竹が林立。
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まだまだ!短冊を書いている人たち。
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もともとは
機(はた)織りの技術を伝えた渡来人を
祀っていたようなんですが
いつのころか祭神が
織女星(おりひめぼし)の
棚機姫(たなばたひめ)と変わったとか。
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そもそも「たなばた」は
「七」日の「夕」の節句じゃないんですか。
旧暦じゃないとおかしいのでは。

それに
牽牛・織女の伝説も中国からの伝来でしょ。

渡来人の語りや風習が
万葉集の時代にはもう
日本人の心と融合していたのかも。

そして桓武帝のころに
この地に大きく展開したのかも。

まったくの思いつきの愚考ですが。
雨に打たれたせいにしてください。



(敬称略)
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鉄道むすめ和泉こうみの光明池 [みんなで歩けばこわくない]

なんですか!?
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キャピキャピギャル。

「和泉こうみ」
(たぶん!いずみこうみと読むのでしょう)
「泉北高速鉄道株式会社/運転士」
「鉄道むすめ」

と書いてありますが。
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鉄道になんの興味もないものは
まったく聞いたこともありませんね。

あ!
関西圏に住んでいない賢姉・大兄には
「泉北高速」も読みづらいかも。
「せんぼくこうそく」です。
大阪府堺市と和泉市をまたぐ
14km あまりの鉄道です。

あ!思わず
キャピキャピギャルといってしまいましたが
1990 年代のことばでしたかも!もう死語かな。
ボキャブラリィ貧困ですみません。



泉北高速に乗って
ハイキングで「鉄人」とウワサされている
偉丈夫なおじさんについて
「光明池(こうみょういけ)」を見に行きます。

鉄人おじさんは歩くこともすごいですが
?十万円の自転車で
このあたりを疾駆していて
ま!庭のようなものらしい。



光明池(こうみょういけ)。
大きなため池ですね。
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大きなカエルがいました。
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「向こう岸には光明皇后の像もあるよ」

光明皇后!?
聖武天皇(701 ~ 756)の
皇后(701 ~ 760)ですか?!

ここは光明皇后が造った池なんですか!?

違いました。

この池は昭和の初め(1936)に完成だそうです。

光明皇后がこの地の誕生らしい。
伝説でしょうけどね。

それで命名したのですね。

あ!
泉北高速の運転士(?)の
「和泉こうみ」は
「こうみょうこうごう」
「こうみょういけ」の頭の部分の
「こうみ」かも知れませんね。はは。

池の周囲に遊歩道があります。
池を横断している橋を目指します。
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なんでしょう!
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UFOみたいなものがありますね。



「他にもため池がいっぱいありまっせ」
「ふたつみっつ回ってみましょう」

もういいですけどね。
蒸し暑いときに。

田植えがなんとなく雑そうに見えますが。
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機械植えにしても
浮き苗も多くて育ちが不ぞろいですね。

あ!
リンゴガイの卵塊!
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おぞましい!
水中にはリンゴガイだらけ。
稲を浮かせている犯人かも。

カブトエビもいます。

「あ!あれ!」

おじさんが指さす方。
田の奥に消えてしまいましたが。
昔!アラフォー(around 40)のおね~さんが
ピロピロエビといっていた(拙ブログ 2014/06/21
ホウネンエビだったような。

錯覚かも。

でも!まだ自然豊かな環境なんですね。
リンゴガイだけは許せません。



暑い!
どこをどう歩いているのやら。

「梨本池でっせ」
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ああ!そうですか。
リンゴガイを見て気が滅入っていますが。
深そうですね。
リンゴガイは水深のあるところには
棲息しないんでしょうか。

もしかして
水深のある池には天敵がたくさんいるのかも。
コイとか!アカミミガメとか!
ホタルの幼虫みたいに餌にする昆虫もいるのかも。



泉北高速の端っこ
和泉中央駅近く。
トクサ?!
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街路樹にたぶんトクサが繁っています。

こういう植栽もあるんですね。
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