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氷室の氷出し 福住氷まつり [猫も歩けば棒立ち]

なごんちゃん(清少納言)は枕草子に
「あてなるもの」のひとつとして
「削り氷(ひ)にあまづら入れて」
「新しき金(かな)まりに入れたる」
と書いています。

橋本治の桃尻語訳でいえば
「優雅なもの!」
「カキ氷にシロップ入れて」
「新しい銀のコップに入れたの!」ですが。

冬の氷じゃありますまい。
真夏のフラッペでしょうなぁ。

平安時代の夏の氷。
「あてなるもの」だったのでしょうね。
橋本治は「優雅なもの」と訳しましたが
「高貴なもの」の方がいいような気もしますが。



「あてなるもの」を見に行きました。

冬の氷を夏まで保存していた氷室(ひむろ)の
発祥の地ともいわれている都祁(つげ)の里。
今は天理市の東部の福住町に
氷室跡が 23 か所確認されているそうな。

平城京の朱雀門まで 19km ほど距離の
結構!都に近い里らしいのですが
今はへんぴ!(失礼!)交通不便なところ。
てくてくてんり(天理市役所産業振興課)の
チャーターしたバスに乗せてもらって
「福住氷まつり」(2015/07/20)におじゃましました。

氷室。
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復元したものだとか。
カヤ葺きです。
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その小屋の中に穴を掘り
氷を入れて周囲を断熱材として
カヤで厚くおおっておいたのですね。
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毎年 3 トンの氷を保存しているそうですが
2 トン残っていた年もあれば
わずか 30kg しかなかった年もあったとか。

今年は、、、!?
穴の底の方にちょっぴり!
36.8kg !
地球温暖化のせいでしょうか。

こんな年には
なごんちゃんの口には入らないんじゃないの。

余談ながら
なごんちゃんは平安京の人ですが
京(みやこ)が移っても
献氷はつづいていたようです。



ともかく取り出した氷をくるまに積んで
「まつり」ですから
こどもたちが引いて行きます。
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静かな田園地帯。
村落の住民が総出のような行列。
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「まつり」のメイン会場は小学校。
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これまた住民総出のような模擬店なんかがにぎやか。

ああ!運んできた氷!
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炎天下に放り出されていますけど?!
「あてなるもの」
カキ氷にしましょうよ。

「てくてくてんり」のご厚意で
かき氷はもらいましたが。
これは別の氷で作ったものです。
氷室の氷を食用にしてふるまうには
いろいろな現代社会のしがらみがあり
大変なんですね。

かき氷と素麺でランチ。
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素麺は自前で買いました。100 円。



氷室跡は急峻な山の頂上にありました。
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馬の背!
それも三角木馬のような狭いいただきに
穴があります。

(あ!私!卑猥なこと!いっています?!)
(いっていませんよね)

その穴に下の池で作った氷を入れて
カヤで断熱し
やはりカヤの三角屋根でおおったらしい。
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穴の大きさは
イノシシ(猪)が落ちたらあわてる落とし穴ぐらい。
そんな落とし穴があるのかどうか知りませんが。

この里は海抜 400 ~ 500m で
平城京より気温が数度低い上
馬の背は風通しと水はけがいいとか。

復元の氷室は作業のしやすさなんかの事由で
低地にありますが
氷室はみんな三角木馬の背にあるようです。

また!復元の氷室の小屋は
本職のカヤ葺き職人が建てたとかで
立派過ぎます。

実際の氷室の小屋は
構造が簡単なもので
毎年造り替えていたらしい。



高い木々に囲まれて氷室神社がありました。
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全国の氷室神社の親分(!)らしい。

毎年 7 月 1 日に「献氷祭」を催行しているとか。

それは旧暦の 6 月 1 日に
この地から氷が献上されていたからだそうな。

平安時代には氷室の担当官を
清原氏が務めていたとも。

あ!
なごんちゃん(清少納言)は清原氏の娘ですよ。

「カキ氷にシロップ入れて」
「新しい銀のコップに入れたの!」を
食べるチャンスの多い家で育っていたのかも。



(敬称略)
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