SSブログ

奈良の冬 工場跡事務室のほっこり [南都有情]

東大寺の二月堂。
blog21.jpg

仰ぎ見る大木の
杉の木は通称(本名かも知らんけど)良弁杉。

ワシ(鷲)が運んできた
赤ちゃんが引っかかった杉。
僧・義淵(643 ~ 728)が助けて育てました。

それにしては大木とはいえど
千年を越えてはいないような?
若い!?
なん代めかの杉の木ですね。

その赤ちゃんが東大寺開山の
良弁(ろうべん 689 ~ 773)ですか。

人形浄瑠璃で有名になったはなしのようですが
その浄瑠璃の初演は 1887 年のようです。

どこかに引っかかっていたとか
動物が運んできたという
偉人の出生ばなしが各地にあまたありますが
良弁の場合
浄瑠璃になる前に
すでに伝承されていたはなしでしょうか。
それとも、、、。

最近!同道していたおね~さん方に
いや!おばさんといったほうが!
いや!尊敬して刀自(とじ)というべきか!
ま!そんな親愛なるみなさんに
「行基杉」といったかも知れません。

すみません!間違っています。
頭の中のイメージは良弁と行基は違うのですが
口が!この口が!
勝手に間違えてしゃべるんですよ。

行基(668 ~ 749)こそ
東大寺創建の尽力者じゃないかと
日ごろ思っているものですから。

二月堂に上がる外の石段。
blog22.jpg

いろんな線刻がありますが。
意味とか由来とかがあるのでしょうか。



鐘楼があります。
blog23.jpg

そりゃ!ありますよね!
日本三大梵鐘ですからね。
というのは
大昔に除夜の鐘を撞いたきり
年になん度も奈良公園を散策しているのに
この鐘の下を歩いた記憶がありません。

突然!新鮮な気分。



東大寺の大仏殿の前に
工事用の大屋根が架けられています。
blog24.jpg

廻廊の保存修理ですか。

入堂口が正面の中門に変更されています。

困ります。

ここからのぞいて正面の大仏殿を拝んで
写真を撮って
みなさんに
十分!観光!拝観したつもりになってもらい
入山料を節約していたのに!

退堂口に変更になった東楽門では
中国語を使うグループが
強引に入堂しようとしていました。

「中国」強い!
無茶苦茶です!
どどっと入ってしまいましたよ。
入場料!節約ですなぁ。
節約というより不法侵入でしょうけど。
「中国」強い!

この真冬にミニスカの女の子は
たいてい韓国語をはなしています。

古都には韓国語と中国語だらけ。
そちらの国からきた文化ばかりでしょうが。
そんな国のみなさん!珍しいの!?



西に!焼け門に向かいます。

焼けたから焼け門。
境内の西の端にあった東大寺の中門でしょう。
先ほどの中門は大仏殿の中門かな。

あら!
昔でいえば!まだ境内の内。
古い!さびれた(失礼!)建てもの!
blog25.jpg

古い建てものが珍しくて
歩を止めたのじゃありません。
カップの絵と喫茶スペースとが描かれた
小さな看板が出ています。

「工場跡事務室」という屋号。

古いくすんだ事務室(たぶん!)の中で
コーヒーをいただきます。
税込み 550 円。

高価です。
しかし!この空間をどう評価するかでしょう。

飲料工場だったそうです。
これだけのものを一から演出するのは大変です。
近代のデザインで
最新の材料を使い造作するほうが安あがりかも。

錆びて穴の開いた金網越しに
先ほど歩いた道を仰ぎながら
古都の暗い冬を感じてときを過ごします。
blog26.jpg

ここには
厚かましい「中国語」はまだ攻めてきません。
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

やたがらす飲んで上市初市 [みんなで歩けばこわくない]

早朝!
寒い!
JR天王寺駅と
近鉄・あべの橋駅との間の陸橋の上。

今日は京都の奥地の山はやめましょうよ!
たぶん!大雪でしょう。

「六甲山に行っても遭難するかも」

茶臼山に登りませんか!

「ん!?」

大坂冬の陣やら夏の陣の舞台。
そこにラブホテルもありますし!
割り勘で行きませんか!
朝食サービスがあるかも知れない。

「なにが!悲しくて!割り勘で!」

割り勘が不満ですか!
貸し借りがなくて精神的にいいですよ。

「その前の問題!」
「なにが悲しくて!」
「あなたとふたりで!早朝から」

近鉄の方へ降りると
今日の「近鉄ハイキング」は決行するようで
ハイカーが流れています。

近鉄ハイキングに紛れてみませんか!
茶臼山が不満なら。
なにも自分で考えなくてもいいし。



集合場所は吉野神宮駅でした。

遠い!

急行で橿原神宮前駅まで行ったものの
そこからの吉野線は単線。
行き違いだらけ。
その間数分停車。

「社内保温のため」
「いったん扉は閉まります」

JRの車輛のように
扉の開閉の押しボタンがありません。
扉は発車のときに 1 度開けてから閉まります。

あべの橋駅から 1 時間 29 分もかかりました。



駅で地図をもらってフリーハイキング。
積もった雪をさくさく踏んで歩きます。

200 年近い歴史のある「松屋」があります。
blog51.jpg

銘菓・宇治拾遺を
買ってあげようかと思ったのですが
朝早くてまだオープンしていませんね。

大きな建てものは本善寺ですか。
blog52.jpg

境内の寛政 2 年(1790)建築の茶所太鼓楼。
blog53.jpg

茶室と太鼓楼の合体したもの?!
珍しい建築物ですね。

この里には大きな寺院がたくさんあります。

吉野川を渡ります。
blog54.jpg

雪が解けてきたのに
歩道だけは凍てついています。



わ~い!酒蔵見学だそうですよ。
「やたがらす」(北岡本店)です。
blog55.jpg

酒粕!もらった袋に詰め放題!無料。
blog56.jpg

1kg ばかりもらいましたが。

「初めに袋を引っ張って」
「破れる寸前まで伸ばしてから」
「すき間なく詰めて!」
「上に上に!倒れないように積み上げなきゃ」

アラフォー(around 40)のおね~さんは
2kg 近くゲットしたのでは?!

私は育ちがいいので(?)
そんなテクはまったくありません。

利き酒と利き分けのコーナー。
blog57.jpg

全酒(といっても 3 種ですか)あてましたが
別に景品もなにもありません。

この蔵は多品種製造しているんですね。
果実の酒だけでもずらりと並んでいました。
blog58.jpg

そうそう!工場見学しなけりゃ。
blog59.jpg

この日は操業していないし
ほとんど覆いをかけられていて
なんにも見るものはありませんでした。

工場内でも試飲。
blog60.jpg

ちょっと!うれしい。



蛭子神社大祭の日(2017/02/11)でした。
blog61.jpg

「上市 初市」だそうで香具師(てきや)の
サンズン(露店)が出ています。
blog62.jpg

バザー会場でも日本酒の試飲がありました。
blog63.jpg

あ!ここにも日本酒の酒蔵。
blog64.jpg

いい伏流水が得られる地のようですね。

結局!試飲で 150cc 以上いただいたような

吉野川を渡る鉄橋は近鉄かな。
blog65.jpg

なにか古いデザインのようですが!果たして。

近鉄・大和上市駅に着きました。
blog66.jpg

ああ!
ここから大台ケ原行きのバスに
なん度か乗りましたよね。

今思えばみなさん!
かっこいい山ガールばかりでしたが。
あなたもね!

「私は大台ケ原に連れてってもらったこと」
「ないよ!」

そうでした!?
今度こそ割り勘で行きましょうね。
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

切り干し大根 梅醤油和えは寝藁 [だまって食え!]

「日本!勝った!」
「日本!勝った!」
「ロシアに勝った!」と
日本全国が浮かれている
日露戦争(1904 ~ 1905)のとき入営した
長谷川二等兵(後の作家・長谷川伸)は
驚いたそうな。

浮かれるものはなにもない!
支給されるものはオンボロ!
寝床にはワラを敷いてあったそうな。

規定ではひとり 1 挺の銃剣もなく
しばらくして
ロシアから分捕ったものを
やっと支給されたそうな。

戦勝国の割りには
後進国並みのひどい装備だったのですね。

食べものは特に悪く
麦のほうが多いごはんの盛りは少なく
普段のおかずは
「寝藁(ねわら)」ばかりだったそうな。

「寝藁」とは厩舎の馬の寝藁に似たもの。
切り干し大根とワカメを
酢醤油にくぐらせたものをそう呼んでいたとか。



昭和 12 年(1937)の「軍隊調理法」に
「切り干し大根」は
4 レシピありますが。

その「煮しめ」「三杯酢」
「胡麻和え」「辛し和え」の中の
「三杯酢」が該当しますか。
でも!ワカメは使っていませんが。



思い出しました!
梅の醤油漬け!(拙ブログ 2016/06/16

万博記念公園の梅の実を
醤油に漬けていましたね。

酸味がついた醤油ができていました。
さっそくそれで
切り干し大根とワカメの梅醤油和え。
blog千切り梅醤油.jpg

なかなか美味ですぞ。

「寝藁」バンザイです。
バンザイなんていえるのは
平成飽食時代だからでしょうか。



(棟田博著/陸軍いちぜんめし物語/参照)
(敬称略)
タグ:軍隊調理法
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

恋の忍坂 冬の倉橋ため池 [町道!街道!眠り未だ足らず]

パワースポットという人もいる
忍坂坐生根(おっさかにいますいくね)神社を
下からのぞき見。
blog31.jpg

奈良県桜井市の忍坂(おっさか)街道。

行政の表示は「忍阪」らしい。
どこの行政も市民の利便性は無視し
独善的ですからね。

私の住んでいる大阪市でも
豊臣秀吉が建てた城は大坂城!
昭和時代に建てた城は大阪城です。

忍坂坐生根神社に
万葉仮名(!)の歌碑があります。

隠来之 長谷之山
青幡之 忍坂山者 走出之
宜山之 出立之 妙山叙
惜山之 荒巻惜毛

こもりくの はつせのやま
あをはたの おさかのやまは はしりでの
よろしきやまの いでたちの くはしきやまぞ
あたらしきやまの あれまくおしも

はせ( or はつせ)の山や
忍坂(おさか)の山は
裾がきれいで姿の美しい山なのに
近ごろは荒れて行くのが悲しい!
と詠っているような気がしますが。

山が荒れてしまったのではなく
あなたがいなくなって久しく
寂しくて山がくすんで見えるという
恋の歌じゃないでしょうか。



このあたりは神武天皇の東征の
最後の戦いの地ですね。(拙ブログ 2012/11/04

尾のある土蜘蛛(つちぐも)
八十建(やそたける)を討ち果たしたところ。

衣通姫(そとおりひめ)を祀(まつ)っています。
blog32.jpg

どえらい美人だったそうです。
兄の木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と恋して
命を絶ったのかな。
日本最初の心中!
記録にある最初の心中かも。

舒明(じょめい)天皇陵。
blog33.jpg

八角の古墳だそうですが。

石位寺(いしいでら)の
「薬師三尊石仏」に手を合わせて過ぎます。
blog34.jpg

額田王(ぬかたのおおきみ)が
恋を念じたかも知れない石仏です。



お!
向こうに見える堰堤は倉橋ため池。
blog35.jpg

そう!(拙ブログ 2013/09/08
この柵の切れ目から落ちて
血まみれになって!
新しいカメラを壊したところ。

いやなこと思い出しました。

倉橋ため池に向かってゆるやかに上がれば
天王山古墳(群)。
blog36.jpg

昔!石室に入ったことがあったような。
この古墳群の中のどれかに。

どれかに大きな家形石棺がありましたね。
それだけですので
最近!横着になって再訪する気は起きませんが。

崇峻(すしゅん)天皇の陵との
伝説が残っているようです。
宮内庁は比定していませんので
興味ある人は堂々と探検できますよ。

冬の今行かなければ
夏草の繁るころには
各種昆虫やらマムシやらの歓迎に合います。



走ってきたニャンコに
跳びつかれたあたり。(拙ブログ 2012/11/08
blog37.jpg

空腹だったのかなぁ!
かまってやれず!後悔しきり。

このあたりをなん度も歩いたことはなく
地理にも不案内なのに
なぜか記憶に残っている土地ですね。
blog38.jpg

梅の花が咲いています。
blog39.jpg

ここから丘の上に崇峻天皇の
倉橋柴垣の宮があったといわれていますが。

これは柴垣の宮ではありません。
blog40.jpg

広大なスペースに立派な建造物があります。
人の気配はありません。

この中に
地産地消!格安のバイキング料理店が
オープンしたと思ったのもつかの間
つぎにきたときには!もう!こんな状態でしたが。

それからなん年!
廃墟にするつもりでしょうか。



なんの変哲もないところに
「崇峻天皇 倉梯岡陵」があります。
blog41.jpg

宮内庁の治定が間違いでしょう!
天王山古墳のほうが陵らしいとは
シロート目にも分かります。

だいたい!ここに落ち着くまで
明治になってから二転三転したと聞きます。

古くからの伝承のほうがまだ信憑性が高そう。

寒そうな田んぼの向こうに
聖林寺(しょうりんじ)が見えます。
blog42.jpg

和銅 5 年(712)に
藤原鎌足の長男の定恵(643 ~ 666)が創建。

これは伝承のほうが不可思議。
定恵が死んでから半世紀して建てたなんて。



(万葉歌の訓読みは)
(佐佐木信綱著/新訓万葉集/参照)
(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

いも雑炊は味噌味 [いも!たこ!なんきん!]

看板行燈(あんどん)に
江戸では「八里半」
京坂では「十三里」と書いていると
喜多川守貞(1810 ~ ??)が
指摘しています。

「さつまいも」のことです。

江戸では焼き芋!
京坂(ま!主に大坂のことでしょうけど)では
だいたい蒸し芋をひさいでいたようですが。

「栗」より少し劣るから
「九里」より「半里」少ない「八里半」です。

「栗」「より」うまいからか(まずいからか)
「九里」「四里」合わせて「十三里」ということ。



「さつまいも」は
江戸時代後半には
かなり一般的になっていたのでしょうか。

やせ地でも水の便が悪いところでも
日照さえあれば育ちますからね。

いや!そんな場所ではないといけないのでしょう。

大昔!多肥・多水!
乾燥防止に腐心して育てたさつまいもは
根が根のまま!
まったく肥大していなかった経験があります。

近所の畑に比べて
なん倍もの大きな葉と葉柄!
みごとなものでしたが。

その年には
葉柄(いわゆる“つる”)ばかり食べましたけどね。

他人には放任栽培を推奨していたのに
どうして!そんなことをしてしまったのやら。



明治の終わりごろの
「いも一切料理法」に
「いも雑炊」なる料理が紹介されています。

「さつまいも」の「雑炊」!
なんら不思議な食べものでもないとも思いますが。

「雑炊」を考えたら大変!
「雑炊」「おじや」「粥(かゆ)」の違いも
定義も分かりません。(拙ブログ 2012/09/19

喜多村筠庭(1783 ~ 1856)は
味噌味の「みそうづ」が
雑炊だと書き記していました。

前述の喜多川守貞も
粥にいろんな野菜を入れて
味噌味をつけたものが雑炊と
書いていましたね。

先代・林家正蔵(彦六 1895 ~ 1982)は
残りものの味噌汁と
残りごはんだけで作ったものが
「おじや」といっていますが。

「雑炊」も「おじや」も
味噌味でなければいけませんか。
私が今住んでいる大阪では
雑炊に味噌味は少ないのですがね。



あ!
「いも一切料理法」の
「いも雑炊」のはなしをしていたのでしたね。

この料理は生米を炊いて!またはごはんに
すりおろした生のさつまいもを入れて加熱し
青菜を加えて
味噌で調味するというもの。

味噌の代わりに焼き塩でしてもいいとか。

まだ!小鯵(こあじ)の煮干しがありました。
これを半日水に浸けておいて!だしを取ります。

さいころに切ったさつまいもを煮て
冷やごはんを入れて煮立てます。

青菜がないので
ネギ(ねぶか)をぶつぶつ切って加え
味噌の香りが消えるかも知れませんが
ここで味噌を入れました。

さつまいもをすりおろしながら入れれば
すぐにねばって焦げつきそうになったので
火から降ろしましたが。
blog芋雑炊.jpg

レシピとは違うかも!はは。
おいしいですけどね。

横の惣菜は
だしを取った後の小鯵を少しの水で煮て
砂糖と味噌で調味したものです。



(喜多川守貞著/近世風俗史/宇佐美英機校訂/)
(藤村棟太郎著/いも一切料理法/参照)
(敬称略)
コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理